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読者レビュー

銅

空の境界 the Garden of sinners 3/「痛覚残留」

「痛覚残留」なんて……

レビュアー:牛島 Adept

「痛覚残留」は苦手だ。

 原作小説や劇場版を観た人には今さらだろうが、「空の境界」第三話であるこの話は、浅上藤乃という少女に焦点が当てられる。浅上藤乃を通して両儀式が生を実感する――話の構成がそうなっている以上、自然と浅上藤乃の登場は多くなるし、その内面も深く掘り下げられる。
 先に言っておくと私は浅上藤乃が好きだ。いやもう大好きだ。ふじのん推しだ。『空の境界』で一番好きなヒロインは浅上藤乃だ。もう結構な時間この作品に触れていて、それでもぶれない。他にもいる魅力的なキャラたちに浮気したりしないあたり、自分でも本気で好きなのだろう。

 で。
「痛覚残留」である。
 両儀式と似通った性質を持ち、しかし決定的に違う浅上藤乃は、しょせん物語の中で敵役として設定されたキャラクターにすぎない。作中で彼女は悲惨な目に遭うし、彼女への救いはあまりにも遅すぎた。
 鬱だ。辛い。不覚にも泣きそうだ。
 それが物語の展開としては正しいことだけに余計に辛い。ただの不運ではなくそれは当然の帰結なのだ。
 浅上藤乃とは、そうした業を背負った少女なのだ。

 さて。
 原作小説を読み、映画を観た。そのたびに彼女の運命に対してやりきれないものを感じてきた。
 そして10年越しの外伝にして外典である「未来福音」を読んだとき、そこに収録されていたとある短編マンガを読んだとき、私は感動したのだ。
 そう。浅上藤乃の未来は絶望だけではない。そこには確かな祈りと救いがあった。
 よかった……!
 ふじのんは乗り越えることができたんだ……!

 それは浅上藤乃というキャラクターの決着である。きっと全国の浅上藤乃愛好家たちが胸をなで下ろしたことだろう。これで彼女の幸福な未来を思い描くことができる、と。

 ……だが。
 コミカライズの名の下に、再び「痛覚残留」は再生される。浅上藤乃が傷つき、見る者の心を抉る展開が待っている。
 ああ。また彼女は傷つけられるのか――そんな風にちょっと退けた腰で最前線を、「痛覚残留」を開いた。

 ……。
 …………。
 ……………………。

 ……あれ。
 天空すふぃあ先生の描くふじのん、かっわいくね……!?

 かわいい。少し幼くあどけない顔立ちの浅上藤乃。黒桐の好意に純粋な感謝をむける浅上藤乃。夢見るような表情の浅上藤乃……!
 参った。
「痛覚残留」は苦手なのだ。なのに、これじゃあ更新を楽しみにしてしまうじゃないか。すふぃあ先生の描くふじのんがかわいすぎて楽しみになってしまうじゃないか!

 気づけば「痛覚残留」への苦手意識……というか、展開への憤りは消えていた。ああそうか、と納得する。今さらだがすふぃあ先生の絵はマンガ版「空の境界」において一抹の清涼剤となっていたのだ。

「痛覚残留」は苦手だ。浅上藤乃が好きだからだ。
 だけど、浅上藤乃が好きだから、だからこそ私はこの新しい「痛覚残留」が好きだ。

 すふぃあ先生の描くふじのんに惚れてしまったのだから。

2011.09.30

のぞみ
真面目に語っているはずが、だんだん崩したような表現になっていくのが面白いですわ~。
さやわか
うむ。レビュアー騎士団はこういう「キャラがかわいい」みたいなレビューが少ないのですが、もっとあってもいいのですぞ! と言いたいですな。そして、すふぃあ先生の描くふじのんは言うまでもなくかわいい……。さて、レビューとしてですが、中盤まで読んで『未来福音』のレビューになってしまいそうであらあら大丈夫かしらと思いましたが、最終的にはコミック版のレビューとして落ち着いていたので、うまくできていると思いました。しかし何かひっかかりますな。すふぃあ先生の描くふじのんがかわいいから、なおさら「痛覚残留」がかわいそうで読んでいられない、みたいには思わないのでしょうか? 思わない、と言われればそれまでなのですが、「すふぃあ先生の描くふじのんがかわいいから、『痛覚残留』も好きだ」という理屈は、その前にあった「浅上藤乃が好きだからこそ『痛覚残留』が苦手だ」という理屈がそれなりに説得力があったからこそ、矛盾を大いに感じさせてしまうのですな。なのでここは、その浅上藤乃への「愛情」に対し敬意を表して「銅」を贈りましょう。

本文はここまでです。