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読者レビュー

銅

月のかわいい一側面

「カレンダー小説」という縛りの強み

レビュアー:牛島 Adept

「犬村小六先生の書く作品の魅力は、そのラストシーンの圧倒的な美しさにある」――それが私が犬村先生の著作を読んできて感じた実感です。
 このことは劇場版への期待も高まる「とある飛空士への追憶」や、最前線読者の方々にはおなじみの「サクラコ・アトミカ」に顕著にあらわれています。

 …………。

 その、犬村先生が書く「中秋の名月」の物語。
 まさか冒頭三行目にして主人公がヒロインへの盗撮を決意するとは、夢にも思っていませんでした……。

 物語は主人公が絶世の美少女・イザヤに対し綿密な計画をもってストーキングを実行するところからはじまります。
 蛇蝎のように嫌われながら、「ぼく」はイザヤの個人情報をあの手この手で探る。無線付きカメラを仕込んだストラップを持たせ、送受信したメールをチェックできるよう細工し、イザヤの家の近くに引っ越しまでするほど熱心に。 
 そうやってイザヤを監視していくうちに「ぼく」はある疑念を確信に変え、満月の夜、中秋の名月の日に一人イザヤの元へ向かいます。
 そして物語は超展開につぐ超展開を越え、感動的なラストシーンへと着地します。さながら、お伽噺のように。

 こうして見てみるとかなりアレな内容なのですが、さらにいくつか補足すると、いきなり小説の途中にイラストが出てきます。……犬村先生直筆の。そしてとある古典作品のウィキペディアのリンクまで飛び出します。作中に堂々と。

 さて。
 注目したいのは、この小説が企画モノの短編小説であるということです。
 星海社カレンダー小説として書かれた本作は、分量としてもそれほど長くありません。
 もしもこれが長編小説だったなら、犬村先生直筆イラストやウィキペディアのリンクなどの飛び道具はこれほど読者に驚きを与えなかったかもしれません。
 あるいは、この物語が「中秋の名月」の物語だとラベリングされていなかったら、超展開に次ぐ超展開に読者は納得しなかったかもしれません。

 あくまでこれはカレンダー小説、お祭りなのです。

 そして、だからこそ。
 そこにはカレンダー小説にしかない強みがあると思います。
 展開の補強。
 短編という様式。
 期間限定掲載というライブ感。

 佐藤友哉先生のしんみりした話に続く二番手として、この作品は素晴らしい。
 だってこれは、最前線がくれた夏の終わりに楽しむお祭りなのだから。

2011.09.30

のぞみ
なるほど~。と思いました。
さやわか
あ、うむ、また姫があっさりされてますが。しかし、カレンダー小説という形式に注目しながら作品を語るのは面白いと思います。ウェブで小説を読むということと、そのライブ感について言葉にできているのはいいですね。お祭り感をこの文章からも感じることができますし。ということで「銅」にしたいと思います。それはいいのですが、文章全体としてはちょっと締まりきっていない部分もあるようです。たとえば犬村小六の作品の「ラストシーンの圧倒的な美しさ」という特徴についての話やウィキペディアなどの仕掛けについて散発的に語る部分と、カレンダー小説について語る部分の分離した感じが気になります。「さて。」以降の内容とそれ以前があまりにリンクしていない。「こんな奇妙な小説だけど、カレンダー小説だからお祭りで楽しめる」というだけにしては、前半の作品自体について書かれた部分は量がありすぎるし、さりとて後半に影響もしていないのではないでしょうか?

本文はここまでです。