Fate/zero
文庫版に込める価値
レビュアー:牛島
私にとって「Fate/Zero」は特別な物語です。だからどうあっても、最初に同人版を読んだ感動は越えられないでしょう。
原典である「Fate/staynight」は私が思春期のまっただ中で触れた娯楽作品の最高傑作の一つでした。過酷で凄惨、なのに美しい物語。魅力的なキャラクターたち。中でも主人公と対極をなす存在・言峰綺礼という「悪人」としての在り方と、彼の散っていく姿には心打たれるものがありました。その言峰の若き日が語られている。彼に何かを感じた人ならば、それだけで無視できない作品でしょう。そして第四次聖杯戦争を全力で駆け巡ったウェイバーとライダー。彼らから受け取ったものの価値は計り知れません。
私にとって「Fate/Zero」はかけ値無しに人生に影響を与えるほどの作品であり、それこそ作中のライダーのように紙が変色するまで読みました。
だから、白状します。星海社文庫の「Fate/Zero」には、感動することをまったく期待してませんでした。あの感動に何かを加える余地などなく、文庫版を買ったのも「Fate」と星海社のファンだから――そんな風に思っていました。
しかし。その上で、星海社が仕掛けた文庫版ならではの試みは、文庫を揃えるだけの価値があったと思うのです。
前置きが長くなりましたが、さて。文庫版「Fate/zero」の魅力を語っちゃいましょう。
まずは目につく表紙から。セイバーさんです。全巻セイバーさんです。同人版では四冊だったのに六冊に分けられた「Fate/zero」――その表紙が全部セイバーさんです。イラストレーターである武内崇氏の描くセイバーさんがいっぱいです。恥ずかしながら全巻セイバーさんが表紙というこの仕掛けに気づいたのは三巻が出たあたりでした。けどこれ、実はかなり重要な試みだと思うのです。まず、物語におけるセイバーさんの活躍が表紙イラストに現れているという点。アイリスフィールとの理想的な主従関係、アインツベルンの森での剣舞、エクスカリバーの発動、ライダーとのカーチェイス……などなど、物語のセイバーさんの活躍を切り取ると、六冊に分けるのがちょうどいいのです。「Fate/zero」はセイバーさんの挫折の物語でもあり、その面が強調されています。なにが言いたいのかというと、セイバーさんがとても愛されているということです。
さて、六冊に分けたことには他にも意味があります。星海社文庫の特徴のひとつ、長い折り返しです。このイラストを載せることもできる素敵なスペースには、聖杯戦争を戦う他のサーヴァントが描かれています。既読の方には今さらですが、聖杯戦争を戦うのは七柱のサーヴァントです。表紙にいるセイバーさんを除くと、その数六柱。つまり各巻に綺麗に収まる数になっています。この六分冊、なかなかどうして粋な計らいです。
次にフォントについて。星海社が刊行物のフォントにこだわっているのはもはや周知の事実かと思いますが、それはこの「Fate/zero」にも現れています。あくまで同人版との比較ですが、版面の組みとフォントが変わったことで、読むときの圧迫感が減った印象を受けました。
最後に、物語の本文で、セイバーの「あのシーン」を除いて一切のイラストを載せなかったことについて。これに関しては賛否両論あるだろうと思います。が、しかし。文章だけにすることで深まる楽しみというものは確実にあります。まして虚淵先生の作品を文章だけで楽しめる機会というのはそうそうあるものではありません。ですから私はこの試みを支持します。
さて。こうして見てみると、やはり私はこの文庫版が好きなのでしょう。既にある物語を再び編集するという行為に意味を込める。物語を読んだ作用ではありませんが、そこには確かな感動がありました。
素敵な文庫版を、ありがとう。
原典である「Fate/staynight」は私が思春期のまっただ中で触れた娯楽作品の最高傑作の一つでした。過酷で凄惨、なのに美しい物語。魅力的なキャラクターたち。中でも主人公と対極をなす存在・言峰綺礼という「悪人」としての在り方と、彼の散っていく姿には心打たれるものがありました。その言峰の若き日が語られている。彼に何かを感じた人ならば、それだけで無視できない作品でしょう。そして第四次聖杯戦争を全力で駆け巡ったウェイバーとライダー。彼らから受け取ったものの価値は計り知れません。
私にとって「Fate/Zero」はかけ値無しに人生に影響を与えるほどの作品であり、それこそ作中のライダーのように紙が変色するまで読みました。
だから、白状します。星海社文庫の「Fate/Zero」には、感動することをまったく期待してませんでした。あの感動に何かを加える余地などなく、文庫版を買ったのも「Fate」と星海社のファンだから――そんな風に思っていました。
しかし。その上で、星海社が仕掛けた文庫版ならではの試みは、文庫を揃えるだけの価値があったと思うのです。
前置きが長くなりましたが、さて。文庫版「Fate/zero」の魅力を語っちゃいましょう。
まずは目につく表紙から。セイバーさんです。全巻セイバーさんです。同人版では四冊だったのに六冊に分けられた「Fate/zero」――その表紙が全部セイバーさんです。イラストレーターである武内崇氏の描くセイバーさんがいっぱいです。恥ずかしながら全巻セイバーさんが表紙というこの仕掛けに気づいたのは三巻が出たあたりでした。けどこれ、実はかなり重要な試みだと思うのです。まず、物語におけるセイバーさんの活躍が表紙イラストに現れているという点。アイリスフィールとの理想的な主従関係、アインツベルンの森での剣舞、エクスカリバーの発動、ライダーとのカーチェイス……などなど、物語のセイバーさんの活躍を切り取ると、六冊に分けるのがちょうどいいのです。「Fate/zero」はセイバーさんの挫折の物語でもあり、その面が強調されています。なにが言いたいのかというと、セイバーさんがとても愛されているということです。
さて、六冊に分けたことには他にも意味があります。星海社文庫の特徴のひとつ、長い折り返しです。このイラストを載せることもできる素敵なスペースには、聖杯戦争を戦う他のサーヴァントが描かれています。既読の方には今さらですが、聖杯戦争を戦うのは七柱のサーヴァントです。表紙にいるセイバーさんを除くと、その数六柱。つまり各巻に綺麗に収まる数になっています。この六分冊、なかなかどうして粋な計らいです。
次にフォントについて。星海社が刊行物のフォントにこだわっているのはもはや周知の事実かと思いますが、それはこの「Fate/zero」にも現れています。あくまで同人版との比較ですが、版面の組みとフォントが変わったことで、読むときの圧迫感が減った印象を受けました。
最後に、物語の本文で、セイバーの「あのシーン」を除いて一切のイラストを載せなかったことについて。これに関しては賛否両論あるだろうと思います。が、しかし。文章だけにすることで深まる楽しみというものは確実にあります。まして虚淵先生の作品を文章だけで楽しめる機会というのはそうそうあるものではありません。ですから私はこの試みを支持します。
さて。こうして見てみると、やはり私はこの文庫版が好きなのでしょう。既にある物語を再び編集するという行為に意味を込める。物語を読んだ作用ではありませんが、そこには確かな感動がありました。
素敵な文庫版を、ありがとう。