iKILL
そこに死体があります。私は生きています。
レビュアー:matareyo
この物語を50字で要約しました。
死体が腐る。死体を解体する。頭部を陥没させて死体にする。生身の人間を散々なぶった挙句に死体にさせる。
ふぅ、こんなところですかね。
って、ちょいちょいちょい。あいやしばらく。逃げないで。お待ちになって!
言いたいことはわかります。存じております。未読の方は顔をしかめられることでしょう。あー、ええと、一体何の話だい、と。既読の方の呆れ顔が目に浮かびます。そいつはちと乱暴に過ぎやしないかい、と。そのようなご指摘は覚悟のうえ。それでも私はここが要点だと思うのです。
人間、あるいはかつて人間だったモノに対しての容赦ない仕打ち。それがこの物語では描かれる。おぞましい。気持ち悪い。不快。肌が粟立つ。腹の底がぞわぞわする。わかったよ。わかったから……。もうやめてあげてくれ!
そんな感情が渦巻く。目をそむけたくなるような描写がこれでもかとばかりに続くのだ。だから、耐えられなくて、本を閉じる……とはいかないんだなぁ、これが。困った。
目をそむけられない。
気持ち悪い、不快だと思っているはずなのに。だけれども純粋な好奇心が勝ってしまう。切り刻まれる人間だかモノだかを食い入るように見ているのだよ、私は。どうしたね?
人間はどうなるのだろう。これはもはや人間なのだろうか。どこまでが人間なのだろうか。
子供が無邪気にアリを潰すような純粋な好奇心。潰す。動いているものが止まる。命であるらしきものが命ではないナニモノかに変わる。さてこれはなんなのか。そういう無表情な好奇心。
そういうの、ありませんでしたか?
それが蘇ってしまうからままならない。
作中、こんなことが書いてあったのです。
「痛みとは主観的なものである。
目玉を刃物でざっくりと切られたら。想像するだけでも誰もが耐え切れないほどの苦痛をイメージするはずだ。
しかしながら、眼球部位の神経は実際はまばらであり、感覚はとても鈍い。痛みは、それが取り返しがつかない行為だという知識がもたらすものなのだ。
もし死の覚悟を確固として持っている人間がいたとしたら、その苦痛は耳たぶにピアスの穴を開けることと変わりはない。逆に生にたっぷり執着を持った人々がその光景を目の当たりにしたなら。間違いなく、激しい嫌悪をもよおすだろう。
あるいは。顔の皮を丁寧に薄く剥いでいき、その下にあるものを標本のように露わにしていったら。
イマジネーションの外側にあるものをつきつけられた時、人は目をそむけることができなくなるものだ」
ああそれ、私の状況ではないか。想像した苦痛のイメージ。激しい嫌悪。それでも目をそむけることができない。この物語で重要な要素となる「i-KILLネット」の住人たちと、私は同じだったのです。
私も彼らと一緒なのか……。怖い。
『iKILL』は私が生きていることを突きつける。普段は平穏無事に安穏と過ごしているのだと思う。生きている実感などない。そんなことは考えもしない。死ぬことについても同じ。だけれども。ここで私はイメージした、人間の物理的な痛みを。イメージできなかった、その上を行く痛みを。だから容赦なく見続けた。痛みと嫌悪を感じる人間。好奇心に無邪気な人間。私はそれなんだよ。身のうちから湧き上がるジクジクした痛みとゾクゾクする心地良さ。矛盾するような感覚。私は感じている。感じていることを実感する。生きている。
『iKILL』は否が応にも、想像を強要する。そして私という人間を見せつけてくるのです。こいつは、堪えますなぁ。
ところで私、こんなんで大丈夫なんでしょうか。どう思います?
そんな心配をさせるなんて、まったく罪なお話しだよ。
死体が腐る。死体を解体する。頭部を陥没させて死体にする。生身の人間を散々なぶった挙句に死体にさせる。
ふぅ、こんなところですかね。
って、ちょいちょいちょい。あいやしばらく。逃げないで。お待ちになって!
言いたいことはわかります。存じております。未読の方は顔をしかめられることでしょう。あー、ええと、一体何の話だい、と。既読の方の呆れ顔が目に浮かびます。そいつはちと乱暴に過ぎやしないかい、と。そのようなご指摘は覚悟のうえ。それでも私はここが要点だと思うのです。
人間、あるいはかつて人間だったモノに対しての容赦ない仕打ち。それがこの物語では描かれる。おぞましい。気持ち悪い。不快。肌が粟立つ。腹の底がぞわぞわする。わかったよ。わかったから……。もうやめてあげてくれ!
そんな感情が渦巻く。目をそむけたくなるような描写がこれでもかとばかりに続くのだ。だから、耐えられなくて、本を閉じる……とはいかないんだなぁ、これが。困った。
目をそむけられない。
気持ち悪い、不快だと思っているはずなのに。だけれども純粋な好奇心が勝ってしまう。切り刻まれる人間だかモノだかを食い入るように見ているのだよ、私は。どうしたね?
人間はどうなるのだろう。これはもはや人間なのだろうか。どこまでが人間なのだろうか。
子供が無邪気にアリを潰すような純粋な好奇心。潰す。動いているものが止まる。命であるらしきものが命ではないナニモノかに変わる。さてこれはなんなのか。そういう無表情な好奇心。
そういうの、ありませんでしたか?
それが蘇ってしまうからままならない。
作中、こんなことが書いてあったのです。
「痛みとは主観的なものである。
目玉を刃物でざっくりと切られたら。想像するだけでも誰もが耐え切れないほどの苦痛をイメージするはずだ。
しかしながら、眼球部位の神経は実際はまばらであり、感覚はとても鈍い。痛みは、それが取り返しがつかない行為だという知識がもたらすものなのだ。
もし死の覚悟を確固として持っている人間がいたとしたら、その苦痛は耳たぶにピアスの穴を開けることと変わりはない。逆に生にたっぷり執着を持った人々がその光景を目の当たりにしたなら。間違いなく、激しい嫌悪をもよおすだろう。
あるいは。顔の皮を丁寧に薄く剥いでいき、その下にあるものを標本のように露わにしていったら。
イマジネーションの外側にあるものをつきつけられた時、人は目をそむけることができなくなるものだ」
ああそれ、私の状況ではないか。想像した苦痛のイメージ。激しい嫌悪。それでも目をそむけることができない。この物語で重要な要素となる「i-KILLネット」の住人たちと、私は同じだったのです。
私も彼らと一緒なのか……。怖い。
『iKILL』は私が生きていることを突きつける。普段は平穏無事に安穏と過ごしているのだと思う。生きている実感などない。そんなことは考えもしない。死ぬことについても同じ。だけれども。ここで私はイメージした、人間の物理的な痛みを。イメージできなかった、その上を行く痛みを。だから容赦なく見続けた。痛みと嫌悪を感じる人間。好奇心に無邪気な人間。私はそれなんだよ。身のうちから湧き上がるジクジクした痛みとゾクゾクする心地良さ。矛盾するような感覚。私は感じている。感じていることを実感する。生きている。
『iKILL』は否が応にも、想像を強要する。そして私という人間を見せつけてくるのです。こいつは、堪えますなぁ。
ところで私、こんなんで大丈夫なんでしょうか。どう思います?
そんな心配をさせるなんて、まったく罪なお話しだよ。