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読者レビュー

銅

Fate/Zero

新たなる風

レビュアー:ひかけ Novice

今回はFate/Zeroの1巻がタダで無期限読めるということで釣られてしまったので1巻についての感想を述べていこうと思う。

Fate自体はアニメ化されたFate stay nightを見ただけで、PCゲームのほうは全くプレイしていない。
だからはっきり言って知識は浅い。面目ないが。

しかしアニメを見た時にバトルシーンに強く心を惹かれた。サーヴァント、マスター同士の戦い。英霊の宝具。意地。諦めの悪さ。
そういったものがアニメに注ぎ込まれていた。少し説明が少なかった気もしないではないが。あ、あとセイバーかわいいよセイバー。
コホン。話を戻そう。

でもこの作品は女性受けしないだろうなと見ていて思った。この作品は少年の心を掴むものは多くあるが、女性が好きになりそうなところが見受けられなかったからだ。突如聖杯戦争なるものに巻き込まれた主人公 衛宮士郎。魔術師ではあるが才能が見出せず半人前。
ヒーローになることを渇望するが力がない。そういった存在。男子なら一度はヒーローになることを夢見て、守る力がなくて絶望した経験があるのではないだろうか。少なくても俺はそうだ。はっきり言って主人公に心を重ねやすい。俺に力があったらと何度望んだのかわからない。
まぁ望むだけで力が手に入るわけはないのだけれど。しかしこの主人公はそういった力を手にしてしまった。セイバーのクラスであるアーサー王という存在を。アーサー王が女の子だという理由でその力を行使しようとはしていなかったが。女の子は守るべき対象となっているのが見てとれる。
そりゃヒーローになるのだから別の人、しかも女の子を使うなどという考えは頭になかったのだろう。むしろ守るべきものが増えたと言ったほうが正しい。
こうして文章を打っている間も、自分の溢れ出るこの熱い気持ちをどう表現しようかと四苦八苦しているところだ。語彙力がないからというのもあるが。

主人公の設定段階だけでこう胸が熱くなるのだから本編が始まったら尚更、感情移入してしまって胸が高まってしまう。でも女子は胸が高まるのか?という問いかけをしてみたい。近くにFateをプレイ、もしくはアニメを見た女子がいないのであんまり確証はないが、この熱い設定、展開に心躍らせるのは男子ではないのか?
女子全員が胸が高まらないと言っているわけではない。ただ最初力を持たなかった少年が力を付け、敵と対峙し次第に強くなっていく。バトルものの王道を突っ走る作品だからこそそう思うのだ。だからこそ男子の死角となっているものが存在するのではないかと思うのだ。女性の目からすればすぐ見つかりそうなものなのに、男子過多の作品だからこそ見過ごしてしまいそうなものが。

私はやはり「女性」というものがそういった存在に当てはまるのではないかと思っている。このFate/Zeroを読み進めながら考えていきたい。

魔術師の血統を絶やさないためにはやはり女性という存在が必要だろう。どっかの国の首相も観客を大いに沸かすミュージシャンも誰もが女性の腹の中で育ち、生まれ、さまざまな環境の中で育っていく。例外はなしだ。誰もが女性から生まれてくる。つまり女性がいないと魔術師の血統は途切れてしまうわけだ。このFate/Zeroという作品には魔術師の妻となった人物やその子供の立場、強さ、愛情。そういったものが強く押し出されている気がする。文中に「友よ…君もまた良い後継ぎを得たのだな」などというセリフがあるがやはり後継ぎが生まれるには女性の存在が必要である。養子をとったとしても例外はなく女性から生まれてくる。それほどまでに女性の占める役割は大きいのだ。しかし魔術師の目から見ると女性は子供を産むための道具的なものに見えているのだろうか、血を絶やさないようにするための道具のような扱いをしされているような気がする。そして生まれた子供も同様だ。その時の女性の心情を省みると心が痛む。ただこの作品はそれだけではない。さまざまな人物が描写されていていることに注視したい。

まずはアイリスフィール。ホムンクルスの身でありながら魔術師殺しの異名を持つ衛宮切嗣との間に子を宿し、娘イリアスフィールを生む。そして数多くの命を奪い、切り捨ててきた衛宮切嗣を愛する存在。切嗣の目的のために器、つまり生贄になることに恐れず、気丈に振る舞い、切嗣を支えている。その姿は理想の妻を具現化したかのよう。娘であるイリアスフィールに弱さを見せることなく、母親というものを演じ続けた。そして愛し続けた。後悔と自責の念で苦しんでいる切嗣なんかよりよっぽど強い存在に見える。力ではなく意思の強さという面において。

次に言峰綺礼の妻だ。ほとんど描写されていないが、綺礼が愛した唯一の人物として取り上げられている。すでに死んでいるが綺礼の頭から離れないくらい、綺礼にとって大きな存在となっていたことが窺える。

そして遠坂葵。時臣の妻となった女性である。さきほど言った魔術師に道具として、自身のみならず子供まで道具的扱いを受けている女性である。
幸せを求め遠坂家という魔術師一家に嫁いでくるのは相当な覚悟を持ってのことだっただろう。しかし幸せになるならと遠坂家に来た。にも関わらず時臣という魔術師との間にふたり子を生み、そしてひとりの子供を間桐の家に送られるという悲劇を経験している。綺礼曰く「一昔前であったなら良妻賢母の鑑であっただろう。」だそうだが、葵と仲の良い雁夜には涙を隠せなかったところを見ると良妻賢母を貫いていても弱い部分があるのが見てとれる。しかし簡単には表に出さないところから彼女の強さというものが窺える。ちなみに葵を道具として見てるという根拠は時臣とのやりとりがなく、愛というものを感じられないからだと付け足しておく。

そして間桐の家に送られた「桜」という娘にも話を広げたい。間桐の家にいったばかりにひどい仕打ちを受けている。笑顔が消えそれでも懸命に生きているところを読むだけで胸が苦しくなる。雁夜が助け出そうとしているが。


こうして見ると、女性は強い存在だと思う。肉体ではなく精神的な意味で。女性に焦点を当てるだけでどれだけ強いのか、そしてどれだけ大きな存在であるかがわかる。
しかし同時に見える弱さ、心情にも注視する必要があるだろう。そして、その強い女性達を基点に様々な思いが錯綜し絡み合うこのFate/Zero

今回、私は新たな観点として「女性」というものを提起し、この作品をより楽しく読み進められるようになれたらと願うばかりである。

2011.06.17

のぞみ
確かに、Fateを好きな方は男性が多いかもしれないですわね! でも、きっと素敵男子の戦う姿にやられる女子や、母性をくすぐられる女子もいるかもしれませんわ! 統計をとったわけではありませんのでわかりませんが。
さやわか
ひかけさんの書いていることにも統計はないのですが、しかしこのレビューは何かそのあたりがすごく面白いですな。文章は決してうまくはないのですが、論理性を組み立てるための手続きを可能な限り欠かさないようにしようとしている。例えばですね、「女子全員が胸が高まらないと言っているわけではない」とか、こういったことは書かない人が多いのです。普通は「『Fate』は男の子が胸を高まらせる物語だ」と断言してしまう人の方が多い。レビュアー騎士団においてはかなり多いです。しかし、ひかけさんのように、Fateを読んで胸を高まらせる女子の存在もちゃんと考慮にいれています、という書き方をすることで、論理的な隙がなくなっていくのです。いや、断言してしまっている部分もあるのですが、なるべくそうでなくしようという誠実さがあります。そして、「女性について書く」と最初にテーマ設定したところからこの文章はズレていかない。
のぞみ
女性に視点をおき、最初から最後まで、わき道にそれず、「女性ネタ」を一貫しているところが、すごいな~って思いました。
さやわか
そうですなー。それもまた、文章を書くことへの誠実さが出ているのだと思うのですよ。乱暴に論をブレさせたりはしない。たぶん、ひかけさんはそこまで書き慣れているタイプではないのかもしれない。ところどころ文章や論旨もおかしくなってしまってはいる。しかし、だからこそかもしれませんが、文章というものを敬して、書くにあたって考慮しなければいけないことを生真面目に積み上げているように思います。レビューとか批評とかを書く性格的な素養があるように思います。「銅」といたしましょう! 余談ですが、もう一通いただいた『空の境界』についてのレビューもよかったのですが、コミック版についての内容ではなかったのですね。最近、『空の境界』『ひぐらし』『Fate』などについて、星海社で扱っているものではない、原作とか作品全体について「のみ」語っているレビューが散見されるようになっているので、あえて掲載しませんでした。ひかけさん以外の方もぜひお気を付けください。

本文はここまでです。