ひぐらしのなく頃に KEIYAスペシャルコラム
至高たるサブコンテンツ
レビュアー:横浜県
スペシャルコラムの面白さって、どこにあるんだろう。ぶっちゃけ言うと疑問だった。「ひぐらし」の世界観や時代背景を、僕は確かに知りえたよ? でもさ、だから何なのかなぁ、と嘆息してしまったんだ。かなり見聞は広まるけれど、わざわざ公式サイトに掲載されるようなものなのかなって。
結論を先に言うと、僕の考えは間違っていた。それに気がついたのは、レビューを書くために、「ひぐらし」の本編を読み直したときだ。最初は変わらずページを捲っていたんだけれど、これはどうやらおかしいなと、僕は次第に思い始めた。
今までは気にもかけなかったセリフ・文章に注意をひかれたんだ。
例えば「なるほど、この記述は昭和58年が舞台だからこそなのか」とかね。昭和を知らない僕のことだから、スペシャルコラムを読んでさえいなければ、きっとこんな感慨を抱くことはなかったろう。他にも、事件における矛盾した情報・怪しむべき概要など、初めて目を通したときには、なんとも思わなかったような箇所が、ことごとく網にかかっていくんだ。
2度目の読了を終えた僕の頭には、初回とは比することもできない情報量、そしていっそう深く読み込んだが故に増幅された、物語への熱量が渦巻いていた。
このコラムは、「ひぐらし」をもっと楽しむためのもの。だから、コラムの文章と睨めっこをしているだけでは、その秀逸さに気づけなかったんだ。新たにえた知識や視座を、「ひぐらし」本編の文章とリンクさせて初めて、僕らはコラムの意味を、役割を、そのサブコンテンツとしての本領を、まざまざと見せつけられるんだ。
確かにこのスペシャルコラムは、公式サイトにないともったいないね。こんなにも作品の奥深さを増してくれるんだから。その価値を理解すらせずに、「いらないんじゃない?」とか思ってすみませんでした。
「スペシャルコラムは読んでないや」とか、あるいは「読んでみたけどいまいち分かんないや」と嘆いているそこのあなた、今すぐ本棚から「ひぐらし」を引っ張り出して、コラムと一緒に読み直してくるといいよ。きっとそこには、以前よりもずっと鮮明に、「ひぐらし」の世界が拡がっているはずだから。
結論を先に言うと、僕の考えは間違っていた。それに気がついたのは、レビューを書くために、「ひぐらし」の本編を読み直したときだ。最初は変わらずページを捲っていたんだけれど、これはどうやらおかしいなと、僕は次第に思い始めた。
今までは気にもかけなかったセリフ・文章に注意をひかれたんだ。
例えば「なるほど、この記述は昭和58年が舞台だからこそなのか」とかね。昭和を知らない僕のことだから、スペシャルコラムを読んでさえいなければ、きっとこんな感慨を抱くことはなかったろう。他にも、事件における矛盾した情報・怪しむべき概要など、初めて目を通したときには、なんとも思わなかったような箇所が、ことごとく網にかかっていくんだ。
2度目の読了を終えた僕の頭には、初回とは比することもできない情報量、そしていっそう深く読み込んだが故に増幅された、物語への熱量が渦巻いていた。
このコラムは、「ひぐらし」をもっと楽しむためのもの。だから、コラムの文章と睨めっこをしているだけでは、その秀逸さに気づけなかったんだ。新たにえた知識や視座を、「ひぐらし」本編の文章とリンクさせて初めて、僕らはコラムの意味を、役割を、そのサブコンテンツとしての本領を、まざまざと見せつけられるんだ。
確かにこのスペシャルコラムは、公式サイトにないともったいないね。こんなにも作品の奥深さを増してくれるんだから。その価値を理解すらせずに、「いらないんじゃない?」とか思ってすみませんでした。
「スペシャルコラムは読んでないや」とか、あるいは「読んでみたけどいまいち分かんないや」と嘆いているそこのあなた、今すぐ本棚から「ひぐらし」を引っ張り出して、コラムと一緒に読み直してくるといいよ。きっとそこには、以前よりもずっと鮮明に、「ひぐらし」の世界が拡がっているはずだから。