星海大戦
SFの読者に「なりうる」ということ
レビュアー:横浜県
元長柾木は語る。
僕たち読者は、「SFって難しそう」と思っていたのでは決してないと。
真にSFを恐れていたのだと。
でも偽造された権威はもういらない、読者が気兼ねなく物語を、SFを楽しむ時代がやって来たと。
重ねて「これはSFではない」だとか、「あなたは本当のSFファンではない」といった言葉を引用して、批難している。
これらの言説には、確かに気後れしてしまう。
何を隠そう、僕もその一人だった。
SFに興味はあるし、何冊か手に取ったこともある。
だけれども、その程度で「SFファン」を名乗るだなんて、ぶっちゃけ憚られる。
その遠慮は、僕にとって当たり前のことだった。
だから元長柾木の後書きを読んだ時、率直に浮かんだのは「権威だけが悪かったのか」という疑問。
僕にはどうも、読者の消極的な態度にすら、SFが衰退した責任の一端があるように思えた。
僕たちはSFを恐れていた。言葉通りに恐れていた。それは確かだ。
でもその一方で、ただ単に「SFって難しそう」とも思っていた。
読者がSFの難さを感じているとの考えを、元長柾木は見当違いと評したけれど、実際のところ、強ちズレてもいないってこと。
僕たちがSFを恐れ、権威の言葉に怖じ気づき、反論もせずに退去したのは、その根底にSFへの苦手意識があったから。
読者の怠慢だ、そんなの、怠慢だ。
SFは読みたいけど、小難しいのは嫌だ、そこまで詳しくなりたい訳じゃない。
それでも別にいいじゃん、構わないじゃん。
自由に読めば済む話だったのに、僕たちは結局、SFというジャンルそのものから逃げてしまったんだ。
例えば「星海対戦」の序章。
申し上げにくいんだけれど、SFに造詣の深くない人間にとって、このパートはお邪魔さん。
「26ページにも渡って世界観を説明されても」
ついつい、そう思ってしまう。
これがほら、もし新人賞に送られて来た若造の原稿なら、「面白いけど、流石に長すぎないか」ってならないかな?
……ならないのかな。
正直に告白すると、僕は序章を飛ばして読んだよ。
第1章から読み始めた。それでも特に支障はなかったし、設定の不理解で困ることだってなかった。
物語そのものを楽しむ上で、この序章はそれほど大きなウェイトを占めてはいない訳だ。
とにかく、SFに対してある程度の親近感を抱こうとしていて、かつ何処か苦手意識を持っている人間っていうのは、この序章を数ページ眺めただけで、もう嫌になっちゃう訳です。
これなんか将に、読者のせいだよね。
この先にどれだけ面白い展開が待っていようと、僕たちはこの長い長い序章、世界観の説明に我慢できないんだ。
でもね、やはり読者に伴う責任は、その一端に過ぎないんだ。
例えば今、
「何て馬鹿なことを。設定があってこその『星海大戦』だろ」
「序章を、あの設定を飛ばして読むなんて、ありえない」
みたいなことを、少しでも考えちゃったソコのあなた。
それこそが、権威づいた「SFファン」的な発言じゃないかなーって思うんだ。
僕たちはSFに苦手意識を持っている。そして作品や物語に難さを見出してしまう。そして「SFファン」がその気後れを糾弾する。
この悪循環に陥った先に行き着いたのが、元長柾木の後書きなんだと思う。
彼は「ここから、SFが、物語が始まります」「読者の時代が始まります」と締め括った。
そう意気込むにしては、僕たちにとって険しすぎな序章であるとは否めないけれど。
それでも、どんな形であれ自由に、そしてただ純粋に、SFを楽しむ道筋が、作者によって示されたことは、とても画期的なことだろう。
序章を飛ばして読み進めたとき、僅かながらに後悔の念を抱いていた。
申し訳ないなと、そしてやっぱり僕にSFは無理だなと。
だが後書きまで辿り着いた時、読み終わった時、僕は救われた心地がした。
僕にもSFが楽しめるのだと。気後れする必要はないのだと。
「星海大戦」、元長柾木、そして何より星海社SFが切り開く新時代。
これなら僕も参加できそうだ。
僕たち読者は、「SFって難しそう」と思っていたのでは決してないと。
真にSFを恐れていたのだと。
でも偽造された権威はもういらない、読者が気兼ねなく物語を、SFを楽しむ時代がやって来たと。
重ねて「これはSFではない」だとか、「あなたは本当のSFファンではない」といった言葉を引用して、批難している。
これらの言説には、確かに気後れしてしまう。
何を隠そう、僕もその一人だった。
SFに興味はあるし、何冊か手に取ったこともある。
だけれども、その程度で「SFファン」を名乗るだなんて、ぶっちゃけ憚られる。
その遠慮は、僕にとって当たり前のことだった。
だから元長柾木の後書きを読んだ時、率直に浮かんだのは「権威だけが悪かったのか」という疑問。
僕にはどうも、読者の消極的な態度にすら、SFが衰退した責任の一端があるように思えた。
僕たちはSFを恐れていた。言葉通りに恐れていた。それは確かだ。
でもその一方で、ただ単に「SFって難しそう」とも思っていた。
読者がSFの難さを感じているとの考えを、元長柾木は見当違いと評したけれど、実際のところ、強ちズレてもいないってこと。
僕たちがSFを恐れ、権威の言葉に怖じ気づき、反論もせずに退去したのは、その根底にSFへの苦手意識があったから。
読者の怠慢だ、そんなの、怠慢だ。
SFは読みたいけど、小難しいのは嫌だ、そこまで詳しくなりたい訳じゃない。
それでも別にいいじゃん、構わないじゃん。
自由に読めば済む話だったのに、僕たちは結局、SFというジャンルそのものから逃げてしまったんだ。
例えば「星海対戦」の序章。
申し上げにくいんだけれど、SFに造詣の深くない人間にとって、このパートはお邪魔さん。
「26ページにも渡って世界観を説明されても」
ついつい、そう思ってしまう。
これがほら、もし新人賞に送られて来た若造の原稿なら、「面白いけど、流石に長すぎないか」ってならないかな?
……ならないのかな。
正直に告白すると、僕は序章を飛ばして読んだよ。
第1章から読み始めた。それでも特に支障はなかったし、設定の不理解で困ることだってなかった。
物語そのものを楽しむ上で、この序章はそれほど大きなウェイトを占めてはいない訳だ。
とにかく、SFに対してある程度の親近感を抱こうとしていて、かつ何処か苦手意識を持っている人間っていうのは、この序章を数ページ眺めただけで、もう嫌になっちゃう訳です。
これなんか将に、読者のせいだよね。
この先にどれだけ面白い展開が待っていようと、僕たちはこの長い長い序章、世界観の説明に我慢できないんだ。
でもね、やはり読者に伴う責任は、その一端に過ぎないんだ。
例えば今、
「何て馬鹿なことを。設定があってこその『星海大戦』だろ」
「序章を、あの設定を飛ばして読むなんて、ありえない」
みたいなことを、少しでも考えちゃったソコのあなた。
それこそが、権威づいた「SFファン」的な発言じゃないかなーって思うんだ。
僕たちはSFに苦手意識を持っている。そして作品や物語に難さを見出してしまう。そして「SFファン」がその気後れを糾弾する。
この悪循環に陥った先に行き着いたのが、元長柾木の後書きなんだと思う。
彼は「ここから、SFが、物語が始まります」「読者の時代が始まります」と締め括った。
そう意気込むにしては、僕たちにとって険しすぎな序章であるとは否めないけれど。
それでも、どんな形であれ自由に、そしてただ純粋に、SFを楽しむ道筋が、作者によって示されたことは、とても画期的なことだろう。
序章を飛ばして読み進めたとき、僅かながらに後悔の念を抱いていた。
申し訳ないなと、そしてやっぱり僕にSFは無理だなと。
だが後書きまで辿り着いた時、読み終わった時、僕は救われた心地がした。
僕にもSFが楽しめるのだと。気後れする必要はないのだと。
「星海大戦」、元長柾木、そして何より星海社SFが切り開く新時代。
これなら僕も参加できそうだ。