Fate/Zero
七倍の楽しみ
レビュアー:ticheese
『Fate/Zero』は6巻構成と中々に長い。私はこのレビュー投稿時3巻まで読み進めていますが、未だに続きが気になってしょうがない心持ちです。そんな『Fete/Zero』の魅力を紹介します。
『Fate/Zero』(以下Zero)は七人の魔術師とそのパートナー達がそれぞれの物語を紡ぐ群像劇。
物語に通った軸はみな同じで、七人の魔術師たちがお互いに技と知恵を振り絞って戦いを繰り広げるというものです。戦いが進む内に、お互いをライバル視したり一方的に思いを寄せたりする関係性ができあがる――これにより魔術師達は『Zero』の世界の中でヒーローやヒールといった役割が振り分けられる訳です。
役割が明快になると読者が希望するのはヒーローの勝利。『Fate/Zero』のヒーローは間違いなく「衛宮切嗣」率いるセイバー陣営です。しかし読者がセイバー陣営の勝利だけを望むことになるかと言えばそうはなりません。この確信は、七人の魔術師達は彼らの陣営の中でもそれぞれの物語に合わせた配役がなされていることから来ています。
例を挙げるとバーサーカー陣営が分かりやすい。
「バーサーカー」のマスターである魔術師「間桐雁夜」の目的は間桐家にとらわれた少女「間桐桜」の救出。彼はあまりヒーロー然とした人物ではありませんが、ここでは「間桐雁夜」がヒーローであり「間桐桜」(またはその幸せを願う桜の母「遠坂葵」)がヒロインです。ヒールは桜を苦しめる「間桐臓硯」、ライバルは雁夜の私怨から「遠坂時臣」が務める――と、この陣営だけでもすでに一本の物語が出来上がります。
こういった具合に読めば、どの陣営にもヒロインやヒールが存在しています。
それが『Zero』が群像劇である所以で、『Zero』最大の魅力です。『Zero』で戦う魔術師達はヒールやライバルの役割を振られようと読者の中ではヒーローの立ち位置に座れます。読み手の主観で自在に姿を変えられる配役は物語を読み切る原動力になります。単純に結末を待つ楽しみが七倍になるんですから。
『Fate/Zero』(以下Zero)は七人の魔術師とそのパートナー達がそれぞれの物語を紡ぐ群像劇。
物語に通った軸はみな同じで、七人の魔術師たちがお互いに技と知恵を振り絞って戦いを繰り広げるというものです。戦いが進む内に、お互いをライバル視したり一方的に思いを寄せたりする関係性ができあがる――これにより魔術師達は『Zero』の世界の中でヒーローやヒールといった役割が振り分けられる訳です。
役割が明快になると読者が希望するのはヒーローの勝利。『Fate/Zero』のヒーローは間違いなく「衛宮切嗣」率いるセイバー陣営です。しかし読者がセイバー陣営の勝利だけを望むことになるかと言えばそうはなりません。この確信は、七人の魔術師達は彼らの陣営の中でもそれぞれの物語に合わせた配役がなされていることから来ています。
例を挙げるとバーサーカー陣営が分かりやすい。
「バーサーカー」のマスターである魔術師「間桐雁夜」の目的は間桐家にとらわれた少女「間桐桜」の救出。彼はあまりヒーロー然とした人物ではありませんが、ここでは「間桐雁夜」がヒーローであり「間桐桜」(またはその幸せを願う桜の母「遠坂葵」)がヒロインです。ヒールは桜を苦しめる「間桐臓硯」、ライバルは雁夜の私怨から「遠坂時臣」が務める――と、この陣営だけでもすでに一本の物語が出来上がります。
こういった具合に読めば、どの陣営にもヒロインやヒールが存在しています。
それが『Zero』が群像劇である所以で、『Zero』最大の魅力です。『Zero』で戦う魔術師達はヒールやライバルの役割を振られようと読者の中ではヒーローの立ち位置に座れます。読み手の主観で自在に姿を変えられる配役は物語を読み切る原動力になります。単純に結末を待つ楽しみが七倍になるんですから。