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レビュー講座

第一回非実在推理少女あ~や

選択可能な「真理」

レビュアー:さやわか

ちっす! さやわかです。

まずは「さやわかの星海社レビュアー騎士団」第一回の投稿を締め切りました。本日以降に投稿されたものは、次の更新の掲載に回させてもらいますね。

そして多数の投稿ありがとうございます! こんなに質の高いレビューが始めっからたくさん集まってしまって、なんだか超高度なコーナーになってしまいやしないかと心配になる。いやしかし、今回だけは皆さんガンガン送ってくれたけど、次回から一気に投稿数が減るという事態も考えられるわけですから、油断なりません。ということで今後もどんどん送ってください。どんな投稿でもお待ちするという姿勢は全く変更ありません!

さて、いただいたレビューの投稿について何か書こうと思ったのですが、よく考えたら今それ書いちゃったら2月10日の掲載時に書くことなくなるじゃん、と気づいたので書くのはやめておこう。

代わりに、皆さんに書かせてばっかりじゃなくて、僕もいよいよレビューを書いてみようかな。いやあ、他人のレビューを評価するのと同じ場所に自分もレビューを書くって緊張しますね。僕も大したツラの皮だ。

さて、僕が今のところ「最前線」の中でもすごく更新を楽しみにしているのは『非実在推理少女あ~や』です。豊富なコンテンツの中でこれが気になる理由はいろいろあるけど、特に言えば、この話はパロディ意識と皮肉さと極端さがケレン味たっぷりに盛り込まれていて、そういうのって僕好みなんだよね。

漫画に限らずどんな表現においても、パロディとかギャグ要素というのは批評として機能するところがあって、この漫画もそれがちゃんと活きている。

簡単に言うとミステリというのは現実に事件があって、犯人がそれをトリックによって隠蔽して、探偵役がそれを暴くという形式の物語だけど、まれにトリックという「謎」こそが物語における最大の、つまり犯人以上の敵となり、探偵役がその「謎」に鮮やかな一撃を叩き込んで打倒するという一種のヒーローもののような物語として読むことができてしまう。そのようなことを意識して書かれたミステリというのはたくさんあるけど、たとえば清涼院流水のJDCシリーズなんかはすごくわかりやすい。

さて『非実在推理少女あ~や』は、そういうミステリのあり方をちゃんと踏まえて描かれている。この物語は完全に「謎」こそが敵になっていて、犯人というものの意味づけも変えられている。第一話「コンダラ殺人事件」の第一回にある以下の台詞を見てみよう。

この密室という現象
理論的説明の成立しない混沌
世界の秩序を破壊する犯罪
犯罪的不可能状況を作り上げ物理法則をねじ曲げる
これを放置し続ければやがてはその歪みが世界を飲み込み崩壊へと至る
それを防ぐ為周囲の現象を操作し
不可能状況を可能状況へと書き換えるのが私の役目なのだ

つまり犯人であるはずの「崩壊者」というのは実際に殺人を犯したりそれを隠そうとする者ではなく「謎」すなわち「理論的説明の成立しない混沌」だけを作り出す存在なのだ。一夜でメイド喫茶が消失するとか、校庭に置いてあった重いコンダラがいきなり密室に移動するという不条理な現象は、不条理であることこそが重要で、ぶっちゃけてしまうと不条理であればあるほどよい。条理的な出来事を隠蔽するために不条理な状態が生み出されたのではなく、もはや最初から条理的な「本当に起こったこと」など存在しない。だからこの物語は論理的な整合性がとれる形で「本当に起こったこと」を好き勝手に作り替えることが目的になっているというわけだ。

しかし、実はあらゆるミステリが同じだと言うことができる。つまり結末で犯人が「その通りです、私がやりました」と述べるから何かうまくいっているみたいに見えるけど、探偵役というのは常に好き勝手に事件を解説していて、複雑なトリックを解説すればするほど、なんか嘘っぽくなる。ミステリというのはそのくらい危ういものだ。

そのことを『あ~や』は極端に描いている。そしてこの作品がいいのは、ここまでに述べたようなミステリというジャンルを巡るあれこれを一切気にせずに、むしろそれを知らない読者でも楽しめるように作ってあることだろう。いずれにせよ、探偵役であるあ~やにとっては、「不可能状況を可能状況へと書き換え」られれば、「謎」に対してどんな説明を付けようと構わないと考えている。あめりちゃんがシオミヤイルカのかわいらしい絵の中で何度も何度も何度もひどい目にあうのはそのためで、彼女が救われようが犯人になろうが、あ~やの知ったことではない。

この作品がまだ語っていないポイントが、おそらくここにあるだろう。論理的な説明が付けられればどれを選んでも構わないのならば、では何を基準にして解決は選ばれるのか。その決断とは、実は倫理を問うものだ。つまり今のところ物語は孫和人にとっていいように現実を作り替えるように進んでいるけど、それは正しいのか。「世界の秩序を破壊する犯罪」を解決するミステリなのに、正しくないというのはどういうことなのか。そもそも正しいということなどあるのか。現実を作り替えることによって何かは失われているのではないか。この先でそういうことが描かれたら(描かざるを得ないようにすら思う!)、さらに僕好みの作品だなあと思う。

2011.02.01


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