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「星海大戦」のレビュー

銀

星海大戦

SFを語る者達へ

レビュアー:AZ AdeptAdept

 SFはこうでなくっちゃと、そう思える物語だ。舞台は、広大かつ精緻に設計された宇宙。登場人物は、宇宙に似つかわしい大きな器をもつ者達。読者は、星の海に思いを馳せて、ただただ夢中に楽しむこよができる。
 私も、時間を忘れ、没頭して楽しむことができた。SFって、やっぱり面白いなあと思えた。だからこそ、あとがきには驚かされた。「かつてSFという物語ジャンルがありました」そんな文言から始まるあとがきには、著者のSFへの強い思いが込められていた。
 SFを過去形にしてしまったのは、SFを語る者だと著者は言う。「これはSFではない」「あなたは本当のSFファンではない」などと語る者が、SFから人を遠ざけた。それは、本当に存在した歴史なのだろう。私も、本当の作品、本当のファンといった言葉に踊らされてきた記憶が多くある。
 しかし、本来ならそんな言葉を気にする必要はないのだ。あとがきにもあるように、周りが何を言おうが気にせず、物語を楽しめばそれでいい。本当の、なんてわけの分からない定義なんて無視しよう。SFは、楽しむためにあるのだ。
 だから、この物語をレビューで語ることには、若干の躊躇があった。私のレビューを読むことで、誰かの楽しみを阻害することにならないだろうかと。星海大戦には、人類の宇宙進出、謎の地球外生命体、強い意志をもつ登場人物、超科学技術、宇宙戦争、陣営ごとの体制… といった想像を巡らせて楽しむ要素がたくさんある。どうか、SFの未来みたいな難しいことを考えながらこの作品を読まないでほしい。読んでいる間は、星の海につかって楽しんでほしい。そして、読み終わった後には、自分の感じた楽しさを伝えるために、存分に語ってほしいと思う。

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2014.01.29

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

読み終わって

レビュアー:keypad NoviceNovice

『星海大戦』は出版時にはすでに最前線を訪れていたため知っている作品ではあった。が、自分が読了したのは八月の終盤である。恥ずかしながらサイトにアップされていたのを途中で投げ出してしまったためである。そのため妹が学校から借りてこなければこのさき一生を縁なく終わってしまう作品になってしまっただろう。

言い訳がましくなるが投げ出した理由に、拙い頭のため一度の説明では覚えきれず、次に同じワードが登場してもその言葉を探さなければならないからであった。自分にとってパソコン上だとどの辺にあったか見当をつけて探すのが難しく、また第二回目にはパソコン上に第一回目も同時に開かなければならなくなってしまった。人の名前などは最たるものであった。
しかし製本版では長年の経験と勘(?)で言葉の検索もスムーズに行われ、どんどん宇宙の漢たちの熱い戦いにのめりこみ一気に読破してしまった。結果、途中放棄した昔の自分を怒鳴りつけたいほどにはまってしまった。

本には本よさがある、とよくいわれるがその通りだと思う。「面白いから」と勧められてもサイトにアップされたものを読むと自分の場合、往々にして投げ出すだろうと思う。本を渡されて勧められたからこそ作品の面白さがより伝わるのではないかと思う。

そんなわけで最新作公開を待ち遠しく思いつつ、最新刊刊行を焦がれて、あちこち行ったり来たりしながら読み進めている日々である。
ちなみに自分は木星派だ。

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2011.09.30

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

持つ者、持たざる者

レビュアー:くまくま

 もしぼくがこの作品世界にいたら、きっとグリーンホーンに対して嫉妬することだろう。グリーンホーンだけが早く宇宙を駆け抜けることが出来る。ゆえに彼らだけが世界を変革する資格を持つのだから。

 この世界において木星圏と土星圏に分かれて住む人類は、互いの政治体制などの違いで対立し、戦争状態に陥っている。この戦争の主役となるのが航宙艦だ。

 航宙艦は光速の数パーセントで航行することが出来る宇宙船だ。このくらいの速度がなければ、自由に太陽系を飛び回ることができない。しかし、普通はこんな速度で飛び回れば、慣性力で中の人間はぺしゃんこになってしまう。
 それを防ぐのがノウアスフィア機関であり、それに対する耐性を持つ人々の総称がグリーンホーンだ。つまり、グリーンホーンでなければ、この世界では戦争に参加することもできない。

 別に戦争に参加できなくても、危ない目に会わなくて済むのだから良いじゃないか。確かにそれも一理ある。しかし、航宙艦は兵器というだけでなく移動手段でもあり、戦争が膠着状態にあることが移動の自由を妨げている。つまり、グリーンホーンでなければ膠着状態を打破することもできないし、打破した後も自由に羽ばたくことができないわけだ。

 だが、羽ばたく鳥にも宿り木は必要だ。休む場所も食べるものも、誰かが作ってくれるから利用できる。そしてそれは、グリーンホーンの仕事ではないだろう。
 彼らも地上に降り立てば、普通の人と同じ様に、そんな諸々に束縛される。そして、ぼくの様に嫉妬にかられた人々は、そのチャンスを逃すことはないだろう。いかにしてグリーンホーンを利用しつつ、しかし足を引っ張るか。そんなことを考えてしまうに違いない。

 というわけで、次巻以降は、グリーンホーンとそれ以外の人々の、泥仕合展開を希望します。って、もうそれはスペースオペラとは呼べないかな?

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2011.08.17

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

若き才能が時代を動かす

レビュアー:くまくま

「私のために争わないでください」
 おそらく歴史上、最も軽いノリの宣戦布告だろう。しかもこれを出したのは、初めて人類が接触した地球外生命体(少女タイプ)だというのだから、どれだけ地球文化に馴染んだというのだろう?
 しかしこのノリからどんな笑える物語が繰り広げられるのかと思えば、これはあくまで前史のエピソードであって、本編で描かれるのは、重厚な人間ドラマを備えたスペースオペラというから面白い。

 スペースオペラと聞いて思い出すのは、銀河英雄伝説だ。もちろんこれは、専制政治の銀河帝国と、民主制の自由惑星同盟が対立する宇宙で、それぞれの政体に生まれた軍人たちの戦いと交流を描いた物語だ。
 翻って見ると、この作品世界にも政治対立はあるし、主人公は軍人という共通点もある。では同じような物語かというと、そういうわけでもない。この作品には、銀河英雄伝説とは異なる前提がある。

 例えば、戦争の捉え方だ。銀河英雄伝説は、クラウゼヴィッツ的に、戦争を外交の延長と見なしていた。究極的に言えば、奇妙な話ではあるのだが、彼らは現在の状況を維持するためにこそ戦争をしていた。
 しかしこの作品では、不満な現在を変えるための行動を何よりも求めている。そのために、現在の停滞を打破するひとつの手段として戦争を利用している。そしてその変革を成し遂げられるのは、才能を持った若者たちだけだと考えている。
 だからこそ、グリーンホーンという、宇宙時代に適応した才能が存在し、才能さえあれば若くして栄達も可能であり、そんな彼らが主役となる世界が描かれているのだろう。そしておそらくこれは、作者が現在の世界に感じていることなのだと思う。

 この見方が正しいか否かは、物語が進むに従って明らかになるはずだ。そしてその結果、完成した物語は銀河英雄伝説に比肩するのか。
 そんな、ちょっと斜に構えた楽しみ方をする人間が一人くらいいても良いですよね?

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2011.07.14

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

サーガの始まり

レビュアー:カンパンマン

『星海大戦』。この直球ど真ん中のタイトルのSF小説を星海社から出版する。それだけで著者の覚悟が伝わって来るというものです。そして読んでみれば、この1冊は長い物語(サーガ)の始まりでしかないことが分かります。
時は未来、所は太陽系。二派に分かれて宇宙で争い続ける人類の物語。異なる出自と才能と戦う理由を持った3人の男たちが初めて砲火を交えます。
しかし、作者・元長柾木が描く「宇宙での砲火の交え方」は非常に特殊でした。と言うのも、実際に宇宙戦艦が宇宙空間で戦ったら、その戦闘シーンは味気ないものにならざるを得ません。強力なレーザーのような光学兵器なら、発射されたと同時に命中して戦闘は終了。ミサイル兵器なら超遠距離から放出して、着弾するのは何時間、下手をすると何十時間後。そして全ては暗黒と無音の中、これでは甚だ盛り上がりに欠けます。
作劇上の嘘と割り切って、上下左右のある宇宙で、互いに目視確認しながら、輝くレーザー光線の発射音や爆発音を轟かせて戦うシーンを描くのも一案ですが、作者はノウアスフィア機関を「発明」し、精緻に設定を積み上げることで、読者に説得力のある宇宙艦隊の戦闘や戦術を描き出すことに成功します。
ところが、ところがですよ。せっかく積み上げたその前提を、作者はいきなり登場人物にひっくり返させるのです。その結果、再び読者の前に提示されるカオス。なるほど、あとがきで「ここから、SFが、物語がはじまります」とあるように、真の物語は、この先から始まるのですね。
この一冊を手にした人は幸いです。新しいサーガの誕生に立ち会え、ともに歩めるであろうから。

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2011.06.17

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦(第一巻)

3

レビュアー:azumaakira

本を買えば、まぁ兎にも角にもページを開き、本文を読もうとするのが定石ではあろう。がしかし、本文よりも先に目にする文章が無いわけではない。

その文章とは要するに推薦文、あらすじ、キャッチコピーといったものだが、この星海大戦の第一巻のキャッチコピーはこのようになっている。
「男と男と男の誇りと天才が、星の海を舞台にぶつかり合う!!」
それを見ればこのように思うであろう。
つまりは3人の天才が出てくるのだな。主人公はその中の一人か、はたまた全員か。まぁその辺りは読めばわかるさ。

そしてページを開く。すると序章ではキャラクターの説明ではなく世界設定が語られる。暦が統一された世界……なるほどなるほど。契機となった事件があるのか。

当時の常識を破り、火星のテラフォーミングを行った組織
発達した医療技術を使用して「遠くへ」行ってしまった探検家
ニュートンの三法則を無視した力場の発見

で、その後、戦争になって暦が統一された時代は終わると。

そして、一章に入るとまず一人目の天才、九重が出てくる。最後には残りの二人、クラウディオとマクシミリアンが出てくる。3人の天才だから、それぞれ独立している勢力なのかと思ったら、一対二なのか、どうなるやら。
そして中盤の主人公の説明を越え、一巻のクライマックスである戦闘へと場面が移る。
ここに至って、それぞれの天才の性質が掴めてくる。

九重は、既存のルールを壊そうとするもの
マクシミリアンは、ルールの中で、自分の限界を探すもの
クラウディオは、ルールを認めながら、それから自由であろうとするもの

そして、この戦闘の結末は、それぞれの現状を示す形で閉じられる。九重はある程度までルールを壊してみせ、マクシミリアンはその場の状況の中で最善の働きをし、クラウディオは自由に振舞うために奔走する。
おそらく、まだ完成されていない天才なのであろうし、クラウディオとマクシミリアンは《連星》と呼ばれることが既に提示してある。長いかもしれないけど先が楽しみだな。
と、そんなことを思い、転章の新キャラにワクワクしながら本を閉じる。
と、そこで思う。何かがひっかかる。何かがわからないので、とりあえず最初の方のページをペラペラめくる。そして気付く。
「あれ、暦が統一された契機になった事件って3つなのか」
そしてよくよく考えてみる。すると、この3つと、3人の天才が、重なって見えてくる。

九重は火星のテラフォーミングを行った組織に
マクシミリアンは「遠くへ」行ってしまった探検家に
クラウディオはニュートンの三法則を無視した力場に

ここまできて、やっとわかる。3人の天才は、暦が統一される契機となった出来事と重ねられている、と。
気付いた瞬間、重要に思われる部分を探し出して、もう一度読み直してみる。序章のラスト二行が意味深なものに見える、マクシミリアンが繰り返す「どこまでいける?」が存在感を増している、クラウディオが緩衝体と仲が良いような描写が急に重要なものに見えてくる……

読み直しが終わってみると、さっきよりもずっと、次を楽しみにしている自分がいた。
もしかしたら、これは歴史を繰り返すだけの話なのかもしれない。暦が再び統一されるまでの歴史を綴るだけの話なのかもしれない。が、仮にそうだったとしても、3人の天才が進む過程を見られるだけで面白いと思えるだろうし、そもそも、そんなことにはならないであろうと信じてさえいる。その確信は、あとがきで作者が語る、「新しい歴史を始めます」という言葉にあるのかもしれない。

が、多分それだけではないのだろう。私は、九重が歴史というルールすら破ってくれることを、マクシミリアンがどこまでも行ってくれることを、クラウディオが何からも自由に振舞ってくれることを期待しているのだ。

とりあえず、始まった物語の主役たちに、期待を込めた最大の拍手を。

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2011.06.01

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦あとがき

未踏の地を照らす一等星

レビュアー:ticheese WarriorWarrior

世の中には「あとがき」をまず初めに読む人がいるらしい。または、「あとがき」で本を買うかどうか決める人もいるそうです。『星海大戦』においては、そんな読者は得をしているかもしれません。
なぜなら「あとがき」を読んだ前と後では、『星海大戦』の印象ががらりと変わるはずだから。少なくとも私にはこの「あとがき」が、SFという難解なジャンルを照らす一等星に感じられました。
一等星とまで表現したのは、私の個人的体験が遠因となっています。しかし、そのような体験をした人はそれなりにいるはずで、体験した人はこの星の輝きを感じられるはずなのです。

回想
私には学生時代に音楽が趣味の友人がいました。バンドを組んでいて、洋楽やコアなインディーズのCDを持っているような友人です。
ある時友人は音楽に全く興味のない私に、もっと音楽を聴くよう薦めてきました。彼いわく音楽は人生を豊かにするとか。なら聴いてみるのも、やぶさかではないと思いレンタルCDを求めてTSUTAYAに行きました。そこで私は何となく借りたCDを甚く気に入り、友人にその話をしました。
「この○○ってバンドはめっちゃかっこいいね!」
ろくに音楽の番組も雑誌も見ない私にとって、そのメジャーバンドはとてもかっこよく聴こえたのでした。
そんな私に友人は
「俺そういうの聴かないんだよね(笑)」と一蹴。
冷や水を浴びせかけられた気分になりました。友人にとってその「メジャーバンド」に価値はなく、それを褒めた私も嘲りの対象にしかならないのでした。音楽が人生を豊かにするという言葉には「自分の好きな」という修飾語がついていたのだと、その時気がつきました。

これは音楽の話ですが、初心者を勧誘しておきながら、後に手のひらを返してその無知をあざ笑う者が、サブカルチャーの世界にはどうしようもなく蔓延っていて、その最たるジャンルが音楽とSFだと私は思っています。
音楽は価値観で、SFは知識によって新参者を排除しにかかるのです。
しかし、無知の前で立ち止まる私の前から、『星海大戦あとがき』は玄人ぶった知ったか達を追い払ってくれました。知識なんてなくてもいい。ただ楽しめばいい。そんな声をかけてくれたのです。

これを読んでからなら、あれほど難解な『星海大戦序章』にさほど悩まなくてもいいはずです(私は初めて読んだ際に、理解がついていかず3度も読み返してしまいました)。SFが未知の領域な人に読んでもらいたい、SFを語る人にはもっと読んでもらいたい「あとがき」です。

SFの最前線への道は遠いけれど、『星海大戦』からこの未踏の世界を開拓してみます。

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2011.06.01

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

青二才上等!

レビュアー:大和 NoviceNovice

 星海大戦の主人公たちは、シンプルな行動原理で動いている。

 九重有嗣はただ自分が自分であり続けるため、武人として武威を轟かせようとする。
 クラウディオはルメルシェに対する過剰な対抗心をひたすら燃やし続ける。
 ルメルシェは自身の限界を追い求め、戦場に身を置かんとする。

 彼らの行動原理はシンプルで純粋で、見ようによっては青臭くて、どこか幼い。
 だからこそ、真っすぐで力強い。

 彼らの生き方はあまりにも無鉄砲で、とても真似できるものではない。きっとそれは、時代の中でも圧倒的に突出した才能を持っているからこそ貫き通せる生き方なのだ。

 それでいて、彼らは人間らしい弱さも持っている。それは彼らが天才という、僕らとはまるで別の生き物みたいでありながら、しかし確かに僕らと同じ人間であるという証だ。彼らは当たり前のように天才でありながら、当たり前のように人間なのだ。

 僕はそんな彼らに憧れずにはいられない。僕は傷つくのが怖い人間だ。彼らほど無鉄砲に生きることはできない。でも彼らの生き様は勇気をくれる。飛びぬけた天才として遥か遠くを突き進むようでありながら、ふとした瞬間に見せる人間らしい弱さが、僕と彼らを繋ぎとめてくれる。その繋がりによって、僕は彼らに引っ張られ、僕だけではとても辿りつけないような遠い遠いところに連れていかれてしまうのだ。

 作中では「青二才」という言葉が頻出する。それは主人公達のような超能力者――グリーンホーンと呼ばれる人々がしばしば持ち合わせる、未熟な心性を揶揄しての言葉だ。だがかつて、グリーンホーンたちはその侮蔑が込められた言葉を称賛に読み替え、「青二才上等」というスローガンを掲げてみせた。そして今、主人公たちは、誰よりも青二才たらんとするようなシンプルで青臭い生き方でもって、その名を時代に刻み込もうとしている。そんな彼らを僕は心から応援する。そして活躍を期待する。だから僕も、声高々に叫びたい。青二才上等!

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2011.06.01

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

SFの読者に「なりうる」ということ

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

元長柾木は語る。
僕たち読者は、「SFって難しそう」と思っていたのでは決してないと。
真にSFを恐れていたのだと。
でも偽造された権威はもういらない、読者が気兼ねなく物語を、SFを楽しむ時代がやって来たと。

重ねて「これはSFではない」だとか、「あなたは本当のSFファンではない」といった言葉を引用して、批難している。
これらの言説には、確かに気後れしてしまう。

何を隠そう、僕もその一人だった。
SFに興味はあるし、何冊か手に取ったこともある。
だけれども、その程度で「SFファン」を名乗るだなんて、ぶっちゃけ憚られる。
その遠慮は、僕にとって当たり前のことだった。

だから元長柾木の後書きを読んだ時、率直に浮かんだのは「権威だけが悪かったのか」という疑問。
僕にはどうも、読者の消極的な態度にすら、SFが衰退した責任の一端があるように思えた。

僕たちはSFを恐れていた。言葉通りに恐れていた。それは確かだ。
でもその一方で、ただ単に「SFって難しそう」とも思っていた。
読者がSFの難さを感じているとの考えを、元長柾木は見当違いと評したけれど、実際のところ、強ちズレてもいないってこと。
僕たちがSFを恐れ、権威の言葉に怖じ気づき、反論もせずに退去したのは、その根底にSFへの苦手意識があったから。

読者の怠慢だ、そんなの、怠慢だ。

SFは読みたいけど、小難しいのは嫌だ、そこまで詳しくなりたい訳じゃない。
それでも別にいいじゃん、構わないじゃん。
自由に読めば済む話だったのに、僕たちは結局、SFというジャンルそのものから逃げてしまったんだ。

例えば「星海対戦」の序章。
申し上げにくいんだけれど、SFに造詣の深くない人間にとって、このパートはお邪魔さん。
「26ページにも渡って世界観を説明されても」
ついつい、そう思ってしまう。
これがほら、もし新人賞に送られて来た若造の原稿なら、「面白いけど、流石に長すぎないか」ってならないかな?
……ならないのかな。
正直に告白すると、僕は序章を飛ばして読んだよ。
第1章から読み始めた。それでも特に支障はなかったし、設定の不理解で困ることだってなかった。
物語そのものを楽しむ上で、この序章はそれほど大きなウェイトを占めてはいない訳だ。

とにかく、SFに対してある程度の親近感を抱こうとしていて、かつ何処か苦手意識を持っている人間っていうのは、この序章を数ページ眺めただけで、もう嫌になっちゃう訳です。

これなんか将に、読者のせいだよね。
この先にどれだけ面白い展開が待っていようと、僕たちはこの長い長い序章、世界観の説明に我慢できないんだ。

でもね、やはり読者に伴う責任は、その一端に過ぎないんだ。

例えば今、
「何て馬鹿なことを。設定があってこその『星海大戦』だろ」
「序章を、あの設定を飛ばして読むなんて、ありえない」
みたいなことを、少しでも考えちゃったソコのあなた。

それこそが、権威づいた「SFファン」的な発言じゃないかなーって思うんだ。

僕たちはSFに苦手意識を持っている。そして作品や物語に難さを見出してしまう。そして「SFファン」がその気後れを糾弾する。

この悪循環に陥った先に行き着いたのが、元長柾木の後書きなんだと思う。

彼は「ここから、SFが、物語が始まります」「読者の時代が始まります」と締め括った。
そう意気込むにしては、僕たちにとって険しすぎな序章であるとは否めないけれど。
それでも、どんな形であれ自由に、そしてただ純粋に、SFを楽しむ道筋が、作者によって示されたことは、とても画期的なことだろう。

序章を飛ばして読み進めたとき、僅かながらに後悔の念を抱いていた。
申し訳ないなと、そしてやっぱり僕にSFは無理だなと。
だが後書きまで辿り着いた時、読み終わった時、僕は救われた心地がした。
僕にもSFが楽しめるのだと。気後れする必要はないのだと。

「星海大戦」、元長柾木、そして何より星海社SFが切り開く新時代。
これなら僕も参加できそうだ。

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2011.05.09

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

問い:星海大戦の登場人物のうち、あなたのお気に入りを以下の選択肢から選べ。

レビュアー:matareyo

(1)漆黒の髪、眉目秀麗。険しいお顔がちょっぴり怖くて素敵な九重有嗣くん
(2)鈍い赤色の髪、勝気でやんちゃで母性くすぐるクラウディオ・チェルヴォくん
(3)褐色の髪、眼鏡の奥に蔑みの色。そして一言「間抜け」。もっと言って! マクシミリアン・ルメルシェくん
(4)その他!

さてさて、あなたは誰を選ぶ!? 
私はですね……えーと。

答え:選べないっ! 

いやさ、みんな愛せばいいさ。宇宙は広いんだもの!
登場人物それぞれの想いが交錯する星海大戦。誰かをひいきにしてみるのも面白いかも。こういうのもスペースオペラの楽しみ方のひとつなのですよ。

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2011.05.09

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

物語の開幕に際して

レビュアー:azumaakira

SFだとかスペースオペラだとか、そんなのは言ってしまえばどうだっていいことで、
ましてやライトノベルだとか大衆小説だとか文学だとかなんてラベリングは、本当にどうだっていいことで、
紙の束を、あるいはデータを開いた瞬間から目の前に提示される物語が、私にとってどういうものであるかの方がよっぽど重要です。

開かれた物語の中の彼らがどこまで行けるかは、まだ誰も知らないでしょうが、少なくともそこまでは必死で着いていこうと、そう思います。

叶うのならば、そのさらに遠くまで。

だから今はただ、その開幕を喜びたい。

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2011.04.28

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

時代を切り開く、熱き魂

レビュアー:大和 NoviceNovice

燃え上がる魂が、ここにある。
星の海を舞台に、天才たちは衝突する。
誇り、信念、覚悟、生命……己が全てを賭けて彼らは戦う。
生じる比類なき熱量は、元長柾木が世界と戦う軌跡だ。
かつて、司馬遼太郎や吉川英治は過去の歴史を描くことで時代を切り開いた。
そして今、元長柾木は未来の歴史を描くことで時代を切り開こうとしている。
「俺はこの物語を描くために生まれてきた」そんな叫びが聞こえてくるかのようだ。
元長柾木の魂は、狂おしいほどに燃えている。
さあ、未来を手に取るがいい。
僕らの歴史は、星海大戦を必要としている。

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2011.04.28

「星海大戦」のレビュー

銀

星海大戦

こういう関係に弱いんです

レビュアー:大和 NoviceNovice

 参ったなぁ。僕はこういう関係に、すっごく弱いのだ。

 星海大戦は宇宙を舞台とした戦記モノである。三人の主人公を中心に物語が進んでいくのだけれど、その中の二人――クラウディオ・チェルヴォとマクシミリアン・ルメルシェは、同じ陣営に属した二人の天才でありながら、互いの実力を素直に認めない関係として描かれている。

 二人のいがみ合いは徹底している。例えばクラウディオは『あいつ、この前食堂で同じメニュー頼みやがったんだ。普通やるか?』という台詞に代表されるように、どんな些細なことでも自分に対するあてつけだと受け取ってしまうし、『一時的に後塵を拝しているが、自分は必ず目の前の男を打倒する。そう自らの魂に誓ったのである――その誓いは、終生彼の行動を律することとなる』なんて描写をされるくらい本気でルメルシェに対抗意識を燃やしている。

 そして一見して優等生的で落ちついたキャラに見えるルメルシェではあるが、彼もまた『売られた喧嘩は徹底して買うタイプの人間』であり、クラウディオのことを気に入らない存在だと強く思っている。例えばクラウディオの低次元な嫌がらせに対して、ルメルシェもまた、相手の食事に大量の香辛料を入れたり、部屋に忍び込んでベッドを水浸しにしたりといった、幼稚な嫌がらせで対抗する。艦の支配権を無理やり奪おうとして失敗したクラウディオに対し、ルメルシェは蔑むように「間抜け」と言い放つ。ルメルシェにとって、クラウディオは愚かで苛立たしい存在なのである。

 しかしこの二人、いがみ合うシーンが何度も描かれているけれど――その実、仲間同士として互いに成長していくことが、本文によって半ば預言されている。

『この2人が連星(バイナリスター)として歴史のなかで演じる情景を、モニカ・スカラブリーニは予見しえてはいなかった。』

『まあ、別に悪くはないんじゃねえの――終生の好敵手にして盟友であったクラウディオ・チェルヴォであったならそのような評価を与えたことであろう木星圏の理念に対して、ルメルシェは積極的な価値を認めていた。』

 連星。終生の好敵手にして盟友。やがて二人は英雄になり、ゆくゆくはそう言われるようになるのだろう。今でこそ互いを認められていないけど、成長し、共に時間を過ごしていくうちに、いつか二人は互いの実力を素直に認め、その上で競い合うような関係に変わるんじゃないかと僕は思っている。

 二人が仲の良い友人同士になることは難しいかもしれないけれど、この物語は、互いの実力を心から認め合うような瞬間は描こうとするんじゃないか。第十回までのストーリーを見てみよう。クラウディオは最後に『……次は勝つ』と呟くけれど、そこにはルメルシェに対する対抗意識と同時に、無意識ながらも、今回生き残れたことが少なからずルメルシェの才によるものだと認めている様子が見える。ルメルシェはルメルシェで、限界ギリギリの操舵が実はクラウディオによって支えられていたことに気付き、それが気に入らず、自分に対して『間抜けが』と言ってみせる。そこにはやはり、クラウディオの実力を認めざるを得ないという部分があるのだろう。二人はまだ互いを直視できてはいないけれど、でも互いを認め合うような兆しは描かれているのだ。

 そう、「いがみ合っていた二人が互いを認め、より高みへと昇って行く」という関係性の変化に、僕は弱いのだ。思わず泣きそうになってしまうのだ。ずっと反目してきた二人。いつも反発し衝突しあう二人の間には膨大な負のエネルギーが溜まってくすぶっている。そして二人が互いを真っすぐに認めた瞬間、二人の間にくすぶっていたエネルギーが一気に推進力へと変わり、二人をより高みへと運ぶ。そういう風に、負のエネルギーが正のエネルギーに反転する瞬間には、すごいカタルシスがあるのだ。そして二人がより高みへ上るのを見ると、僕は「人と人が繋がることには凄い可能性がある」ってことを確信せずにはいられないのだ。僕にとってそれは、とても美しくて尊いことに思えるのだ。だからそういうシーンに遭遇すると、僕の中で快楽と感動がごちゃ混ぜに立ちあがって、どうしようもなく鳥肌が立ってしまうのだ。

 そして、こんなにもいがみ合う二人の天才が、互いをはっきり認め合う瞬間が来たら――そこには比類なき壮大なカタルシスが待っているんじゃないか。二人を果てしない高みへと連れて行ってしまうんじゃないか。なんせ主人公二人なんていう重要な関係だ。そんなシーン、すぐにはお目にかかれないだろう。もしかしたら物語が終わるギリギリまで引っ張るかもしれない。生半可なシーンでは描かれないだろう。もしかしたら、どちらかを失いかけることで初めて気付かされる、なんてシーンになるかもしれない。しかしどこまで追いかけてでも、どんな風に描かれるとしても、僕は元長柾木が二人の関係をどう発展させていくのか、ぜひ読みたいと思う。なんせ僕は、こういう関係に滅法弱いから。

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2011.04.15

「星海大戦」のレビュー

銅

星海大戦

これまでのあらすじ

レビュアー:matareyo

ツカミが大事!
ってよく言われる。漫才でも合コンでも大統領演説でもなんでも。小説も冒頭のツカミはすっごく大事。例えば、いきなり殺人事件が起きたり、空から美少女が降ってきたり、朝起きたら主人公が虫になっていたりすると、読者としては「ナニゴトか!?」と先が気になる。これで食いついたらこっちのもん。というか作者のもん。

そこで我らが「星海大戦」である。渾身のスペースオペラと銘打たれたこの作品。序章はさぞやド派手な開幕……かと思いきや。

はっきり言って地味です。

この序章は、人類の宇宙への進出、地球外生命体との接触、そしてそれを巡る戦争とその終結の過程を簡潔に描いている。語り口は淡々としていて、まるで歴史書を紐解いているような気分になる。デデーンと冒頭で事件が起きるタイプではない。この物語の舞台はこんな所ですよ、こんな歴史があるんですよ、という世界観を先に提示するタイプの序章だ。けれども、こういう始まり方って結構難しいと思う。読者はまだその物語のことを何も知らない。そんなところへいきなり知らない用語を出されたり設定を長々と語られても読者はついていけない。退屈だよ、パタン、と下手をすれば本を閉じられてしまう可能性だってある。

ところがどっこい。私は「星海大戦」のこの始まり方、正直言って好きです。ワクワクします。
だって「人類社会全体が~」って書き出し始まるんだよ。どんだけ壮大なんだよ、と。全体としても、語り手は未来の時点から過去の事を語る歴史書スタイル、言ってみれば教科書を読んでいるような感じになるんだけど、そこかしこで飽きさせない工夫がある。WBTFという現実の未来にありそうな組織と宇宙進出。蛮勇冒険家、変人研究者などの目を引くキャラクター。地球外生命体との出会いなどなど。教科書っていうつまんないイメージよりも歴史読み物みたいな雰囲気になり、読者の中でこの物語の舞台イメージがだんだんと鮮明になってくる。

そして秀逸なのが《仲間》を巡っての近惑星と遠惑星の戦争だ。これまで沈黙を保っていた《仲間》が旗幟を鮮明にする場面。

「私のために争わないでください」

そして《仲間》は人類に攻撃を仕掛ける。
なんだよそれ!
一人の女を巡って争う二人の男。そこへ「もうやめて!」と割り込んで喧嘩を止める、どころか反撃に出る女。たじたじの男どもは一時休戦、共同戦線で女をなだめる。そんな図が思い浮かぶ。宇宙で戦争してたのに、スケールちっちゃい。なんだかギャグになっちゃった!
このあたり、風刺が利いてるなぁと感じ入るところ。序章最大の見せ場と言っても過言ではない。そんなこんなで戦争は一応は終結する。読者としては長い物語が終わって、ふぅ、と一息。でも物語が始まるのはこれからなんだよ。まだ序章。そう。読者は今まで、これから始まる物語へ至る経緯、すなわち「これまでのあらすじ」を読んでいたに過ぎないんだ。

宇宙という空間、そして歴史という時間。そんな壮大な時空で繰り広げられるスペースオペラ。この時点で読者はこの世界の時空の広がりを十分に理解していることだろう。「これまでのあらすじ」ではその時空で繰り広げられた物語の群れの集積を駆け足で見てきたようなもの。そしてこれから始まる物語は、そんな無数の物語のうちの一つが語られる。今読んでいる物語の他にも動いている物語がある。この物語は確固たる「歴史」の流れの中にある。そんな壮大さを感じることがスペースオペラの醍醐味だと私は思う。この醍醐味のためにはやはり序章でしっかりと世界観を描いたことは効果的だったんだ。これで次の物語への準備もばっちり。
ツカミが大事。少なくとも私はツカまされたよ!
そして序章は次のように締める。

「恩寵暦432年、人類暦2496年。人類社会の紀年法が再び統一されるまで、歴史はまだ時を必要としていた」

否が応にも読者たる私たちは次の物語へとページを繰りたくなる。第一章がすぐそこで待っている。
今までは物語の外側にいた私たち。私たちはここから物語の内側へと、星の海へと飛び込むのだ!

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2011.03.01


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