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「ストーリーメーカー」のレビュー

銅

大塚英志『ストーリーメーカー』

文芸批評として読む

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 本書は、創作技術について実用書的な解説を行った実践の書と言えます。けれど、それだけでなく本書は文芸批評としての一面も備えています。
 それは、この国が近代以降、抱え続けている問題についての批評です。

 大塚は柳田国男の文献を参照しつつ、近代以降の公共性の構築に必要な技術を「ハナシ」と呼び、「ハナシ」が「物語の作法」によって語られてしまったことが、近代以降の日本の失敗と指摘しています。
 本来であれば、「ハナシ」は、人々が自身の経験や知識を基に語り合うべきであったと大塚(柳田)は主張します。けれど、たとえば十五年戦争時、情報統制下の日本では国家に都合の良い「空気」が「物語の作法」で語られました。戦時下における公共性は、「物語」によって構築されたと言っても過言ではないのです。
 本書では、同様の指摘を、9・11やオウム事件に対しても行っています。(これは私個人の意見ですが、3・11以降に起きている諸々の問題も、この問題の延長上にあるはずです)

 繰り返しますが、社会の公共性は、人々が自身の経験や知識を基に語り合うべきだと本書は指摘していて、それこそが柳田が「ハナシ」と呼んだ技術でもあります。「ハナシ」と「物語」は区別されるべきでもあります。
 そして、ここに「創作技術書」である本書が、文芸批評としても書かれていることの意味があります。(というより、大塚の仕事の流れとしては、文芸批評の延長上として、創作技術について語る本書があるのですが)
 つまり、人々が安易に「物語の作法」によって、戦時下の「空気」のような公共性を作らないための予防として、「物語」の扱い方を教える本書があるのです。
 本書の文芸批評としての役割はそこにあります。

 本書は「物語」の技術について語るとともに、「物語」への批判としても機能しています。
「虚」である「物語」が、私たちの現実と如何につながっているのか知ることは、社会で生きる上で無駄にはなりません。

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2014.01.29


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