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「青春離婚」のレビュー

銀

『青春離婚』HERO

上手な息の吸い方。

レビュアー:オペラに吠えろ。 LordLord

僕はこの物語が好きだ。何度も読み返している。けれど、読み始めはいつもそっと本を閉じたくなる。実は、初読のときもそうだった。でも、物語のある時点で、ふっと救われた気がして、それからは物語に夢中になった。

今回は、その瞬間について、語りたいと思う。

佐古野郁美と佐古野灯馬。二人は、親戚関係でもなんでもないけれど、同じ名字だからという理由だけで学校で「夫婦」として扱われている。こういうのは、僕が通っていた学校でもあった。幸いなことに僕はその対象にならなかったけれど、なんて理不尽なんだ、と思っていたのを覚えている。でも、学生生活を卒業した今ならばよくわかるのだけれど、世の中には理不尽なことなんてたくさんあって、特に学校なんて理不尽なことばかりで、だから、子どもたちはそれとなんとか折り合いをつけていく。その手段は人によって違う。馴染んだり、耐えたり、うまくかわしたり。

この作品に登場する「夫婦」は、僕らが普段から経験する「理不尽なもの」の象徴として描かれる。そして、この作品に出てくる「妻」の郁美さんは、それに耐えることしかできない。いや正確には、耐えることすらできていない。「夫婦」と呼ばれるたびに左頬がつりあがってしまう彼女の拒否反応は、その現れだ。彼女はきっと、そういう理不尽なものをどう受け入れたらいいのか、よくわかっていない。まだ、世の中とうまくやっていく術を知らないのだ。だから彼女はもろく、あまりに痛々しく、まるで張り詰めた糸のように耐えて耐えて耐えて、あるとき、あっけなく切れてしまうのではないかと危惧してしまう。彼女が知るべきなのは、限界が来る前に力を緩める、そのやり方。けれども彼女は、そうした手抜きを当たり前のものだと思うには、あまりに不器用だった。

だから、「夫」になった灯馬さんが、そういうことに長けていたのは、郁美さんにとって、本当に幸運だった。灯馬さんは、理不尽なものをうまくかわす術に長けている。僕が本当にこの作品を好きだと確信したのは、第1回のラストだった。そのきっかけとなるのは、「夫婦」と呼ばれることに対しての「下手に抵抗すると逆効果だと思うので」という灯馬さんの言葉で、それに対して、郁美さんはこう思う。

「灯馬さんが 一番はじめにわたしに教えてくれたのは そういう上手い逃げ方であり 教室という狭い水槽の中での 上手な息の仕方だった」

……この上手な息の仕方を、まだ知っていない人は、どこにでもいるだろう。たとえば、僕がそうだった。学校時代の僕は人の顔色をうかがうばかりで疲れ果て、人の反応に一喜一憂し、それなのに、クラスからはホコリのように浮いていた。ひょっとすると、呼吸を楽にすることができる、ということすら知らない人もいるかもしれない。物語のはじめ、郁美さんがそうだったように。

だから僕は、この本が、僕が学生のころにあったらよかったのにな、と思う。「よい物語は人生のどの時期に読んでも面白い」とはいうけれど、きっと、人生の特定の時期に読むことが望ましい物語もあると思うのだ。僕は残念ながら、遅れてやって来てしまったけれど、今、まさに今、学校を息苦しいと思っている人は、ぜひこれを読んでほしい。今ならまだ間に合うはずだ。

上で、僕はこの物語に出てくる「夫婦」は、世の中にあふれる「理不尽なもの」の象徴だと書いた。それに対する郁美さんの答えは、タイトルにもあるとおりの「離婚」。僕は、その決断に至ることができた郁美さんを抱きしめてあげたい。彼女はきっと、もう、耐えることだけが自分の生きる道ではないとわかっただろうから。

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2013.07.08

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

離婚から始まる恋物語

レビュアー:坂戸美里 NoviceNovice

青春離婚は、同姓の男女2人が高校のクラスで付き合ってもいないのに夫婦扱いされることから始まる物語であり、郁美が灯馬に離婚を切り出すシーンから話がスタートする。同姓の男女が夫婦やカップル扱いされるのは教育の場でよくあり、その男女はよそよそしくなるものだが、この物語の二人は、それを逆手に取り本当の夫婦のようになっていく。

2人は夫婦となるが恋人でも恋仲でもない。しかし、郁美はいつしか灯馬のことを意識しはじめる。

コミックス版をまだ読めていないため、ラストがどうなるかわからないが、郁美のかわいさに惹かれる物語であった。

私もよくある姓であるが、今までに同姓の異性に出会ったことがないため、この物語のような恋をすることがなかったのでこの2人が羨ましいことこの上ない。

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2013.07.08

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

終わりと始まりを告げる涙

レビュアー:飛龍とまと AdeptAdept

 偶然にも私は良い夫婦の日・11月22日に『青春離婚』小説版本文を読むことが出来た。名字が同じ二人が夫婦としてからかいを受けつつ、それがきっかけになり生まれた「山羊の時間割アプリ」と淡い恋心。ただ「奥さん」の視点で書かれた物語であったためかこれが片思いか両思いかは分からない。二人を繋いでいたはずのアプリにも不穏な影が立ちこめて――しかし物語の終盤、二人の「離婚」をきっかけに明かされた不器用な「旦那さん」の想いは、

 あまりに切なく、それでいて甘酸っぱくて、微笑ましくて、そして過ぎ去っていく青春の風景。良作として、私の記憶にしっかりと痕を残していた。よって、後に発売されたコミック版を購入するのに時間は掛からなかった。
 コミカライズを担当したのは、縦長のコマ割り漫画を描くことで有名なHERO氏。この特徴的なコマ割りが、二人の青春の一頁を印象的に彩っている。そしてコミック版に追加された後日談がまた素晴らしいのだ。是非手に取って、二人の行く末を見守って欲しい。


 スマートフォンの液晶画面。表示された山羊のアプリ。その上に落ちた彼女の涙は、一つの終わりと、大切な始まりを静かに知らせていた。

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2013.06.11

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

付かず、離れず。

レビュアー:ぴょ

先日最終回を迎えた紅玉いづき先生による『青春離婚』
HERO先生のコミカライズが9月に単行本として発売ですね。

私の感じた『青春離婚』の魅力は2つ!!
・HERO先生の可愛いキャラクターと読みやすいレイアウト
これは一般の漫画と違い、HERO先生特有の大きな一コマずつ描かれたWEB漫画だからこその読みやすさだと思います。

・二つ目は何といっても、佐古野夫婦の距離感!!
クラスでからかわれたり、一緒にアプリを作ったり…
ドキドキしながらお互いを意識し合いつつも口に出せないもどかしさ。


そんな『青春離婚』を私はもっともっとたくさんの方々に知ってもらいたいです。
このレビューを読んで、少しでも興味を持っていただけることを願います。

ありがとうございました。

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2013.04.16

「青春離婚」のレビュー

銅

『青春離婚』

×5の趣

レビュアー:牛島 AdeptAdept

 物語もいよいよ佳境になりつつあるコミカライズ版『青春離婚』ですが、さてみなさん。みなさんはこの作品を読むとき、いったいどのようにして読んでいるでしょうか?
 とりあえずスマートフォンを持っているのにパソコンで読んでいるそこのあなた。悪いことは言いません、今すぐスマフォで最前線につないでみてください。

 この『青春離婚』にはいくつか、読者が読みやすいように工夫がなされています。
 たとえば各コマをクリック(ないしはタップ)するだけで一コマずつ進む機能。
 たとえば郁美さんの心中の雲フキダシなど、複数のフォントを使い分ける職人芸。
 このほかにも大小さまざまな心配りが施されており、実際読むときにも非常に快適です。

 ではなぜスマートフォンで読むべきなのかですが、この作品は最初からスマートフォンで読まれることを前提にしてつくられているからです。これは『青春離婚』が描かれたスタイルと関係しています。

 HERO氏のサイトである読解アヘンなど、縦書きWEB漫画を読む人にはいまさらかもしれませんが、こうした描き方をされた漫画は、コマ単位で読まれることが多いのではないでしょうか。
 具体的な話をしましょう。
 一般的な画面サイズのデスクトップやノートパソコンで『青春離婚』を開くと、基本的に2コマないしは3コマずつの表示となります。縦に続いていく物語と横に長い画面では当然かもしれません。これも紙とWEBの違いの一つでしょうが、コマ(場面)の連続を区切ってくれていたページ(画面)という概念は、それを適切に表示する画面がないため、若干WEB漫画とは相性が悪いようです。
 必然物語はコマの連続という形になり、ページのような区切りは存在感を薄くします。
 こうした話は紙とWEBの表現の違いでは割と既出なもので、あるいはWEB漫画の表現の可能性として、あるいは漫画文化とWEBの祖語の一つとして語られることが多いようです。

 話を『青春離婚』とスマートフォンにもどしましょう。
 ここまで言えばもうお気づきかもしれませんが、そうです。縦長の画面で見た場合、これらのコマは一連のページとなって表現されます。
 実際、スマートフォンの縦長の画面で開いた場合『青春離婚』は5コマずつの表示となります。ブラウザ等の違いはありますが、画面をフルで使えばたいていの機種でこうした表示になるのではないでしょうか。おそらく横長のコマ割りも、5コマで表示した際に映える画面を計算されてのことでしょう。
 そしてこれはただ「縦方向に広い」「コマを連続して見ることができる」という単純な話ではありません。
 たとえば公開中の第五話、22コマ目から26コマ目を開いてみてください。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「わ、わたしは……いいよっ。内緒で……」

『内緒』

「じゃあ、秘密ということで」

『秘密』

「……うん」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 灯馬さんの言葉に郁美さんがドキッとするシーンなのですが、これ、スマートフォンで開くと見事に画面の中に収まります。郁美さんがかわいすぎて、スクリーンショットで保存しました。
 この場面に限った話ではないのですが、作者であるHERO氏はこうした5コマで区切られた「ページ」という枠組みを意識的かつ効果的に使っています。
 この見えない枠組みは、スマートフォンで読んだときにしか活きません。だから『青春離婚』はスマートフォンで読むための物語と言えるでしょう。

 見せ場となるシーンを、読み手の環境も計算にいれて執筆する。そうしたものもWEB漫画の要素の一つになるのかもしれません。

 ……さて。
 長々と書いてきましたが、私がこの計算された表現に惚れ込んだのは『青春離婚』がほかならぬスマートフォンが重要なキーになっている物語だからです。
 表現の発展だとか、この先のWEB漫画の形だとかは、正直どうでもいいのです。

 原作の紅玉いづき氏もHERO氏も「スマートフォンで読んでほしい」としきりにおっしゃってられました。おそらくそうした出発点から始まった「スマートフォンで見せる工夫」というものに、この作品への愛を感じずにはいられません。

 みなさんも是非、スマートフォンで読んでみてください。きっとパソコンで読むのとは一種違った趣があるはずです。

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2012.05.18

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

恋をした

レビュアー:ジョッキ生 KnightKnight

できるなら誰にも読んでほしくない。そっとしておいてほしいんだ。

僕と郁美のことは!

あー可愛いなー、郁美さん。
無愛想な顔も、驚いた表情も、からかうような笑顔もそのすべてが愛おしい。

なぜ君は二次元に存在し、僕は三次元に生きているのか?というかなぜ二次元にいけないんだろう。うぅ、悲しい現実・・・。

こういう少女目線の話が大好きだ。彼女の心の移り変わり。何気ない一言に一喜一憂して、ころころと表情を変える。恋に落ちていく情景にまた見ているこちらも恋に落ちていく。

そうして僕は彼女に恋をした。

本当に読めば読むほど好きになっていく。でも手の届かないこの想いは代わりに灯馬くん、君に預けよう。頼むから郁美さんを幸せにしてあげてくれ。一話目冒頭の暗い表情が笑顔に変わると信じている。

頼むよ、頼むよぅ。

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2012.04.02

「青春離婚」のレビュー

金

青春離婚

夫婦漫才

レビュアー:ヨシマル NoviceNovice

栄子:どうも~栄子で~す。
ヨシマル:ヨシマルです。今日もよろしくおねがいします。
栄子:ほんま今回も漫才頑張っていこかな思うてます。
ヨシマル:とうとう漫才言ってしまったよ!
栄子:いや、最近花粉症とか流行ってるやん。あたしはまだ大丈夫やねんけど、今年こそなってしまうんやないかって心配で心配で夜も寝れへんから、目は充血してるし。どうしたら防げるやろかっていろんな人に聞いて回ってるからかしらへんけど、噂になってしもうてるみたいで、くしゃみが止まらんねん。
ヨシマル:それもう花粉症かかってるから! ていうか漫才続けるの!? そろそろこのパターンも飽きてきたよ!
栄子:日本が誇る定形の美しさ。
ヨシマル:いいように解釈するな! まったく、そろそろ本題入ろうか?
栄子:はいはい。ということで今回は漫才漫画『青春離婚』でお送りします。
ヨシマル:漫才漫画?
栄子:ゴロだけで考えてみた。
ヨシマル:…………。
栄子:あらすじは内気な女子高生の郁美は同じクラスで同じ苗字の灯馬と出会う。二人は周りから「夫婦」と呼ばれるようになって――恋人未満の佐古野「夫婦」の青春物語。って感じやな。
ヨシマル:そうだね。登場人物は主に佐古野郁美と佐古野灯馬の二人。二人の会話を中心に進んでいくから漫才っていう例えもあながち見当はずれでもないのかな。
栄子:灯馬がボケでいくみんがツッコミやな。
ヨシマル:いくみんて……。
栄子:いくみんはいくみんやん。かわいいよいくみん。や、灯馬も捨てがたいんやけど。
ヨシマル:……もういくみんでいいや。まあ、でも漫才に例える理由として、形が決まってるっていうのはあるかもね。
栄子:形?
ヨシマル:うん。本作中で描かれている人物はいくみんと灯馬の二人の場合がほとんどなんだけど、二人が同時に描かれているコマでは必ずと言っていいほどいくみんが右側で灯馬が左側に描かれているんだ。
栄子:ほんまに?
ヨシマル:今のところはね。
栄子:…………。本当だ。
ヨシマル:立ち位置と言ってもいいかな。実際は座ってるときが多いけど。漫才でもボケとツッコミの位置は固定されていることが多いからね。
栄子:基本はボケが左で、ツッコミが右ってのが多いやんな。
ヨシマル:漫才でははツッコミの利き手の問題とかあるからなんだけど、本作でもいくみんが右側になっているのには理由があると思うんだ。
栄子:いくみんは根っからのツッコミやったんや!
ヨシマル:違っ――くもないんだよな。
栄子:え!?
ヨシマル:うーん、まあ、縦書きって右から読むよね。だから、一コマ中でも目線は自然と右から見ていくことになる。んで、やっぱり注目させたい人や喋ってる人を目につきやすい右側に描くことが多くなるんだ。
栄子:だから右側なんや。
ヨシマル:二人が主人公とは言っても語り部はいくみんの方だからね。二人が同時に登場してるときはいくみんのセリフが多くなるから自然と右側が定位置になる。
栄子:なるほどやなあ。…………あ、でもたまに灯馬の方が右側になってるとこもあるやん。
ヨシマル:そうなんだ。そのコマを見て何か気付くことはない?
栄子:んー。…………。あ!
ヨシマル:おっ。
栄子:いくみんがかわいい!
ヨシマル:おい! や、だから否定できないけど、そうじゃなくて。さっきも言ったけど――
栄子:あ! 灯馬が喋ってる!
ヨシマル:そ、そうなんだよ。もちろん灯馬が左側にいても喋ってることはあるんだけど。さっきも言ったけど右側って注目される位置なんだよね。だからいくみんが右側っていう定位置をあえて崩してまで灯馬を右にするってことは、それだけ灯馬に注目して欲しい、灯馬のセリフに注目して欲しいっていう現れなんだ。
栄子:確かに灯馬が右側にきてるときには「夫婦はデートしません」とか決めゼリフ多めやんな。
ヨシマル:うん。実はその後繰り返し使われる印象的なセリフも右側の人物が喋ってるんだよね。
栄子:天丼の場面ってことやな。確かにボケの被せは重要やし。
ヨシマル:天丼言うな! まあ、あとは冒頭の離婚シーンも灯馬が右なんだよね。これにはどんな意味があるのか、これから描かれるだろう灯馬の右側シーンと合わせて注目していきたいと思ったよ。
栄子:立ち位置も意味があるんやなあ。あ、気付いたんやけどそれって、一コマが横長で固定されてるからっていうのがあるんやない?
ヨシマル:確かに横長だと二人を並べて描くときに横並びになりやすいね。だから位置によって注目する人が分かりやすくなってるところはあるのかもね。小さいコマだったら、一コマに一人っていうのが多くなりそうだし。コマの大きさが変わらないっていうのも本作の大きな特徴の一つだしね。
栄子:Webページで読むことを考えてのことやろけど、新鮮な感じやな。
ヨシマル:実はヨシマルは新鮮というよりも、昔のマンガを思い出したよ。
栄子:昔のマンガ?
ヨシマル:例えば現在のマンガの原点の一つでもある手塚治虫の『新宝島』も本作のような横長で固定したコマを縦に並べている構図をとってるんだ。更に古くは、戦前の『のらくろ』なんかも似たようなコマ割りをしてる。ヨシマルも当時生きていた訳じゃないからそれがどの程度主流な表現なのかは分からないけれどね。
栄子:70年くらい前や……。
ヨシマル:もちろん昔と今じゃマンガが掲載される状況も大きく異なるけど、『新宝島』も『のらくろ』も現代に繋がるマンガの創成期に描かれた作品だ。
栄子:今現在もWebマンガという媒体の創成期って言えるんやないかってことやな。
ヨシマル:だね。だからWebマンガっていう新しい媒体のための表現なのに、それが数十年前と似たような表現になるっていうのは感慨深いものがあるよね。
栄子:でも、今のマンガはいろんなコマ割りが使われてるんねやな。
ヨシマル:紙のマンガがそうやって進化して今に至るように、Webマンガもきっとその形にあった進化をしていくんだと思う。これは本作『青春離婚』でということではないけれど、これからのWebマンガの表現がどう変わっていくのか。どう紙のマンガと道を違えていくのかっていうことを見てみたくなったよ。
栄子:新しく見えて実は原点に戻ってたんやなあ。
ヨシマル:そういうことだね。
栄子:しっかし――。
ヨシマル:ん?
栄子:『のらくろ』とか『新宝島』とかヨシマル何歳や!? どんだけじいさんやねん!
ヨシマル:まだ二十代だよ!

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2012.04.02

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

スクロールで消える筆致

レビュアー:6rin NoviceNovice

高校生の郁美と灯馬は苗字が同じという理由で、クラスメイトに冗談で夫婦扱いされる。本作はそこから始まる郁美の灯馬への淡い恋ごころを描く。キャラクターや背景、小物など全てがいかにもフリーハンドというタッチで描かれ、恋ごころの揺れや温かみが、その柔らかにたわんだ描線を通して伝わってくる。
注目すべきは、メールの文字列すらフリーハンドで書かれていることだ。現実に即すなら、メールはコンピュータが画面につくり出す人間臭さのない筆致として再現される。しかし、郁美の携帯に表示される灯馬からのメールは人間臭さのある手書きとして描かれている。郁美がメールを読む際、郁美とメールの間には灯馬への人間臭い想いが介入する。手書きメールのくねくねはその介入を示しているのだ。
メールの筆致という細かいところで心情を表現していて巧いなあと思う。
そしてフリーハンドを活かして描かれた甘酸っぱい高校生の恋ごころは、コマ割りによってさらに魅力を増している。

コマ割りは漫画の印象、面白さに大きく関係する。だからコマ割りには工夫が施されるのが一般的である。しかし本作のコマ割りは、横倒しになった同じ大きさの長方形のコマが縦一列に並んだシンプルなものだ。一見、工夫がないようにも思える。
だが実際にはそうではないことが作品を読めばわかるだろう。本作のコマ割りは、スクロールという電子書籍ならではの要素を上手く活かしているのだ。
読者が続きのコマを読むために画面をスクロールする。すると隙間なく帯状に連なったコマが、平らな画面を上へと滑る。時間を切り取ったコマが、ベルトコンベアに載せられているかのように画面の下から読者の目の前に運ばれてくるのである。どんな瞬間をも粛々と過去へ押しやる時間の流れを、このコンベアのベルトが読者にくっきりと感じさせる。このベルトが、コマが切り取る時間やそこでの出来事がすぐに過去になることを強調し、時間と出来事を儚いものとして演出するのだ。郁美の甘酸っぱい恋ごころも儚いものとして演出される。それによって、その恋ごころがより掛替えのない貴いものに感じられ、読者は郁美と灯馬の関係の展開がもっと気になるようになるのである。

本作はフリーハンドとコマ割りによって恋ごころを魅力的に描く素敵な漫画だ。しかしまだ完結しておらず、嬉しいことに続きが読める。ここから郁美の恋の行方はどう描かれていくのだろうか。楽しみである。これまでの縦一列のコマ割りから突然違うコマ割りに変わる、なんてこともあるかもしれない。極めてシンプルなコマ割りを採用した大胆な作者のことだ。何があってもおかしくない。

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2012.04.02

「青春離婚」のレビュー

銅

星海社ウェブサイト「最前線」

スマートフォンで最前線を読む

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 先日、スマートフォンを買った。
 店頭で商品を受け取ると、メールアドレスの取得など、面倒な初期設定はすっとばして、ブラウザを起動。ネットワークの設定などを一切しなくても、購入後すぐgoogleに接続できることに情報社会の恩恵を感じつつ、検索ワードには「最前線」と入力した。
 初めてスマートフォンから読む最前線は、私の想像以上に、読みやすさが追求されたデザインだった。

 ページを縦長に表示したときに、すっきりと全体が見渡せるデザインであることや、縦スクロールを意識された横組みの文章や、マンガの見開き表示などは、わかりやすい工夫ながらとても効果的だと感じた。また、見開きではないが、特にマンガ版『青春離婚』はスマートフォンで読むのとPCで読むのとでは印象が全く違って驚いた。縦に流れていく長方形のコマは、スマートフォンの方が格段に読みやすい。

 そして何より私にとって発見だったことは、最前線の至る所に配置されたリンクボタンの使いやすさだ。
 PCで閲覧していた時は、妙に大きいなあ、と感じていたリンクボタンは 小さな端末の画面上でも、指で押しやすいように配慮されていたことに気づかされる。これはデスクトップからでは見えなかった機能性だ。
 大きいボタンほど押しやすく、押しやすいボタンであるほど強くおすすめされているコンテンツであることが感覚的にわかる仕組みになっている。(トップページの画像の並びがいい例だ。他に、作品ごとのページでは「第一話」よりも「最新話」が大きくて押しやすい)

 最前線のデザインはスマートフォンとの親和性が高い。
 もっと早くスマートフォンを買ってもよかったなと、思うくらいに。

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2012.03.09

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

Webにおいて「読む」ことは「見る」ことだ

レビュアー:横浜県 AdeptAdept

Webにおいて「読む」ことは「見る」ことだ。
厳密に言うと、まだ完全にそうではない。しかしこの先そうなっていくのではないか、そうなるべきではないか、と思わせてくれるような作品に出会った。
『青春離婚』である。

まずそもそも、Webで「読む」ことのデメリットを考えてみる。
簡単に思いつくのは、やはり「紙でないこと」である。
自分でも失笑してしまうほど、当たり前な話をしてしまった気がするけれど。
やはり紙の質感や匂い、そしてページを繰る感覚が失われるというのは、どうも大きな問題だと思う。今まであったはずのものが存在しないという喪失感に苛まれてしまう。
ところがどうだろう、いまWeb上で出版社が掲載するマンガというものは、たいていが本の概念に縛れている。画面上に映る絵や文字はページに区切られ、クリックが紙を捲る行為を代替している。
そこでは本を「読む」ということが、まるで虚構のように存在している。
この「最前線」においても同様であった。紙を捲る行為を模してまではいないが、確かに作品はページという枠組みで分割されている。
それは後の書籍化を考慮すればよいことに思われるし、むしろ妥当ですらある。
けれど、いまそのとき、読者はWebで作品を見ているのである。
彼らにただの紙の本もどきを提供することが、果たしてWebで「読む」ことの価値を上げうるだろうか。いいえ、紙の本ありきという前提が浮き彫りになるだけで、かえって下がるばかりだろう。
現状として、Webにおける「読む」ことは、紙における「読む」ことの劣化版でしかないのだ。

一方で『青春離婚』はどうか。そこにはページの概念がない。
同じ形のコマがいくつも縦に連なっている。読者はページをスクロールすれば、物語を最初から最後まで読み切ることができる。
今まであった紙のマンガにおける概念では捉えられないコマ割(?)だ。
たとえると、長い4コママンガ。もしくは映画のフィルム。
そう、映画のフィルム。
今までのマンガでは、読者が複数ある異なった形のコマを目で追う必要があった。だが『青春離婚』では、視線を動かす必要がない。
求められているのは画面のスクロールのみで、読者はただ眺めてくるコマをじっと見つめればいい。それは映画やテレビを見ているのに近い感覚である。
だから『青春離婚』を「読む」ことは「見る」ことなのだ。
さらにいえば、先に述べた通り、物語を最初から最後まで読み切れるのも大きい。
これが本であれば、読者はページという切れ目で紙を繰らねばならない。だが区切りのない『青春離婚』では、読者は何をすることもなく、垂れ流される物語を受容することができる。
(唯一マウスのスクロールが要求されているが、これを意識的に行いながら読む人は少ないだろう)
この点でもやはり、『青春離婚』が「読む」と同時に「見る」ものであることが分かる。

これは新しいマンガのあり方である。
それも元来ある紙の本ではなく、Webだからこそできることだ。
僕は他のWebコミックも同様たるべきだと考える。
別にこういったコマ割にしろと言っているわけではない。ただ紙の模倣をやめてほしいだけだ。
Webは紙ではないのだから。異なる媒体である以上は、いままで通りの表現をしていては価値がない。
その意味で、『青春離婚』はWebにおけるマンガのあり方の一つを提示してくれている。
マンガを「見る」こと、それはWebだからできること。
いつか、「読む」ことは「見る」ことである、そう断言できる日が来るかも知れない。むしろ来るべきだ。
いや、他に様々な「Webだからこそ」なマンガのあり方が生まれてくれるのなら、それにこしたことはないのだけれど。

最前線で『青春離婚』を読む

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2012.03.09

「青春離婚」のレビュー

銅

「青春離婚」

ヒロインの心と、一文字の雨音

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 漫画「青春離婚」は、不慣れな恋愛に戸惑いや喜びを覚える、ヒロインの心の揺れや機微を上手く映し出すことに成功している。だから面白い。そして、その面白さを作り出すための工夫もまた、一つ一つが面白い。

「青春離婚」はカラー漫画だが、画面の半分ほどはモノクロ調だ。敢えて色を抑制する理由は、読者の関心をヒロインの感情の動きへ導くためだ。
 例えば、主要人物以外のキャラクターには色がない。グレーの影がかかっているのみだ。あるいは傘にも色がない。これらの要素は、ヒロインの感情表現との関わりが薄いからだ。
 逆に画面の背景色の色遣いなどはとても細かい。第一回の後半に、何度か使われている黄色系の背景色は、そのどれも同じ色ではない。(気持ちが大きく、意志が強いほど濃い黄色に変化している)
 色の有無と、その濃淡などを効果的に使うことで、ヒロインの微妙な心の動きが描き出されている。

 もう一つ、音について見ても面白い。
 第二回の雨が降っている場面で、雨音は最初「ザアアア」と表現されているが、ヒロインがスマートフォンの説明についていけず、困惑した表情を浮かべているコマでは「どざーーーー」という重たく間の抜けた感じのする表現に変わっている。そして「お願いします。夫婦のよしみで」と言われたヒロインが言葉に詰まるコマでは、雨音は「ザ」と一文字で描かれている。ヒロインの意識が、投げかられた言葉に集中し、周りの雨音が気にならなくなったことを、たった一文字で説明している。

「青春離婚」はヒロインの多彩な表情の変化を眺めるだけでも楽しい漫画だが、こうした細かい表現に着目してみるのも面白い。

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2012.02.18

「青春離婚」のレビュー

銅

『青春離婚』(コミックス)

まるでそこには二人しかいないみたいに

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

この漫画は背景が書かれていることが少ない。
たまに書かれているか、たまに色がつくか。
周りのものが描かれたときは、
周りのものを意識している場面だったりして、
それもよいアクセントになっているし。
人によっては手抜きと思うかもしれないけれど、
私は結構それが好きで。
まるでそこには二人しかいないみたいな感じがね。

二人の世界に没頭できる、
こういうマンガを読んだことなかったなぁ。

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2012.01.30

「青春離婚」のレビュー

銅

青春離婚

違和感と親和率

レビュアー:ジョッキ生 KnightKnight

僕個人がネット上に掲載されている小説や漫画に対してあまり好きになれないのはきっと紙媒体のページを捲るという感覚が邪魔をしているんだと思う。クリックするとページが変わるあの感じにどうしても違和感を感じてしまう。

その点この漫画は変わっている。ページという概念が無いなんて。

ちょっとした衝撃を感じた。

マウスのホイールをコロコロするだけでコマが進み気づくと読み終わっている。これは非常に気持ちいい。

ページをクリックするのではなく、スクロールするという操作は普段ネットでサイトを閲覧する時と変わらず違和感もない。
なるほどこういう表現もあるんだなと素直に感心してしまった。
きっとこの作品形態だと逆に単行本になった時に違和感を感じてしまうのかな?と思うと本当に不思議な作品だと思う。

一話2分のショートストーリー。
毎月の楽しみになってしまった。

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2012.01.30

「青春離婚」のレビュー

銀

「青春離婚」 紅玉いづき

恥ずかしい話をしよう

レビュアー:ややせ NoviceNovice

デビューの時から、ずっとこの作家のファンである。
悲願のように、あるいは呪いのように、ずっと。
紅玉いづきに、現代を舞台にした、普通の娘が出てくる恋愛ものを書いて欲しいと思っていた。

青春離婚という、意表を突くタイトル。
一体どういう意味なんだろう、どんな話なんだろうと思うのは一瞬で、読み始めるとなるほどアレかとすぐに思い当たる。
同じ苗字の男子と女子が夫婦だと囃し立てられるなんてのことは、虚実共に珍しいことではない。
その後の展開も、王道だ。公認の関係にされてしまって、なんとなく一緒にいるうちに好きになってしまうなんて。まったく、ありふれているにもほどがある。
お約束に心の壁がなくなって、お決まりの胸をざわつかせる出来事があって、予定通りの卒業という別れが目前に迫ってくる。

高校生活の三年間の短さを、卒業してしまった私は既によく知っている。けれど、高校時代の私も、そのことを痛いくらいに知っていた。
時は戻せないし、止められない。後悔は先には訪れないし、機会も無限では無いと分かっていた。
それでも、一体何ができただろう。その日一日をやり過ごすのに精一杯で、自分以外のことを思いやるゆとりもない時代に。
しかし、かつても今も同じだ。成長も進歩もしていないまま、異なる水槽の中で不安げに周りの顔色を窺っている。
一体いつになったら、上手くひとを好きになれるのだろう。
そんな私に、問答無用の容赦ない弱さとまっすぐさを見せたのが「青春離婚」だった。

新しいクラスの冷んやりとした息苦しさやルールに順応していく達成感。分かります。
髪の毛で顔を覆って、ささやかな鎧のように安心するのも、うん、分かる。
細かい言葉尻に意味をいろいろ考えて悩むのも、ちょっとしたイベントに浮かれたり不安になったりするのも、よーく分かる。
触れられてパニックになるのだって、自分の手で終わらせなきゃと思う気持ちだって、ええ、ええ、分かりますとも!と絶叫したいくらいである。
誤解を恐れずに言えば、女子だから分かる、共感できるのかもしれない。図々しく願うなら、男子には分かって欲しい、といったところか。
そこにいるのは、制服を着ていた頃の私だ。警戒心をむき出しにして、目ばかり大きく見開いていた、十代の頃の私。
誰もが持つ特別な日々の中から、もの問いたげに見つめてくる無様だけれどかわいくてかわいくてしょうがない私。

想われていた。やさしくされていた。
そのことに気づいた郁美の気持ちが溢れ出る終盤の、短文と単語の繰り返しが、否応なしに物語を高めていき、加速させる。
頁をめくるのも、この出来事を語るのももどかしいとばかりに、少女が駆け出して飛び出して行こうとする。
やめて、行かないで、いつまでもいじいじと悩む女の子でいて、とも思う。
と同時に、彼女が勇気をもって踏み出してくれたら、私の苦い思い出も未来に向かって開くのではないかという希望で胸がいっぱいになる。
そして、登場人物である郁美に追いつかれたとき、何とも言えない清々しさと共に、私は彼女の背中を見送るのだ。
一体どれくらいの物語の登場人物達が、留まらずに、軽々と羽ばたいていく姿を我々に見せることで我々の救いとなってくれたことか。
変化を恐れないことと、終わりを始まりに変えること。郁美はそれを我々に教えて、文字通り消えてしまった。

HEROの絵は、その一瞬一瞬の大切さをよく捉えていると思う。
スマートフォンがうまく扱えず、それだけでもうこの世の終わりのように思ってしまう気持ち。
あの瞬間の泣きたくなる気持ち。
宝物のように大切な時間を、そっと手のひらにすくうようにして見せてくれるであろうコミカライズの方で、かつての私たちのような郁美がゆっくり羽化していくのを見ることができるだろう。
今はそれが、ただただ楽しみだ。

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2011.12.20


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