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「一億総ツッコミ時代」のレビュー

銀

一億総ツッコミ時代

もっと面白いレビューを書きたい!

レビュアー:AZ AdeptAdept

 私は、どちらかといえばツッコミ側の人間である。自分から面白いことを言うようなことは少ない。けれど、他人のボケに対してツッコミをいれるのは、手前味噌だが得意だと思っている。高校生の頃に「ツッコミ王子」というあだ名をつけられた程だ。
 しかし、『一億総ツッコミ時代』の著者は、ツッコミからボケへ転換せよという。批評してばかりのツッコミから、自ら面白いことをどんどん発信していくボケへ。確かに、その方が面白い世の中になることだろう。だが、ツッコミにどっぷり使った人間がすぐにボケろといわれても、困って右往左往してしまうだけではないだろうか。
 この、レビューというのも、ボケかツッコミかといわれれば、ツッコミ側のものだろう。何か題材があり、それに対して自分の考えや感想などを述べるというのは、まさにツッコミだ。評価なんかを偉そうに書いてみれば、よりツッコミ感が増すことだろう。そんな性質をもつレビューを、どうしたらボケの側にもっていけるのか。
 本書の中では、ボケに転向する手がかりとして、「良い/悪い」という評価をするのではなく「好き/嫌い」という感情を表現するということが挙げられている。「好き/嫌い」を表明するということは、自分というものを表に晒すということだ。これには、とても勇気がいる。しかし、他人を気にせず、自分の思いを押し出せる人には、強烈な魅力が備わるだろう。
 レビューでも、批評に留まらず、「好き/嫌い」といった自分の思いを述べていくというのはどうだろうか。「自分は、この作品のここが好きだ!」「ここが面白い!ここを読んでほしい!」といった自分だけの思いを叫ぶ。そうすれば、他の誰にも真似できない、独自の魅力が生まれるはずである。
 私は、この『一億総ツッコミ時代』という本を痛く気に入っている。外から供給される面白さだけで満足するなんて、真っ平御免だ。自分から面白いことを打ち出して、世の中の人達を楽しませたい。自分の価値観を、他の人達に広めたい。そのために、私は、もっともっと面白いレビューを書けるようになりたいのだ。

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2014.01.29

「一億総ツッコミ時代」のレビュー

銀

一億総ツッコミ時代 槙田雄司

ツッコミ不可

レビュアー:鳩羽 WarriorWarrior

 恐ろしい本である。
 ツッコミたいところがあっても、ツッコメないという、ある意味レビュアー泣かせの本である。
 「一億総ツッコミ時代」は、タイトル通り、誰もがあらゆる事柄に対してまるで平等であるかのように物申す、つまりツッコミを入れることの息苦しさを指摘する本だ。
 誰でも簡単に情報を集め、取りまとめて、評価することができるようになった。何も知らない素人でも、マスコミのように上から目線で、あらゆる問題に意見を言えるようになった。お笑い芸人でなくても、ツッコミを入れるのが当たり前の人間関係にもなった。ある問題について知識を持っていなくても、簡単にそれは良い/悪いと判断することに抵抗がなくなったと言うこともできる。
 そんなふうにツッコむ側にいるよりも、いつツッコまれるかとびくびくしているよりも、勇気を持ってボケて、ベタベタなことを全力で実行してみる。面白いか面白くないかを判別する側にいるのではなく、面白いことをしてみる。その方が幸せな人生を送れるのでは、という本なのだ。
 恐ろしい本である。
 これがまた、ツッコミたいところが満載の本なのだ。ツッコミを入れている人達と、ボケている人達はそんなにきっぱりと二分されているものなのだろうか、とか。
 もちろん納得できるところもあるのだが、首を傾げるところも結構ある。でもそう言われると、ツッコメないではないか。

 山藤章二著「ヘタウマ文化論」(岩波新書、2013年)と、切り口は違えどよく似た本のように思える。
 こちらの本は、「ヘタ」から「ウマい」の一直線のルートだけではなく、「面白い」という文化が日本にはあったのではないかという着眼点から思いつくままに書かれた、エッセイである。ヘタウマとは、ウマいひとがわざわざヘタに表現することで、ヘタが一歩一歩芸術の道を歩んでいくのとは異なるルート、正道からちょっと外れた横道を粋であると面白がることである。
 その精神的なゆとり、遊びの例として落語があげられているが、これは演じる側も観客の側も、共通の知識や教養が必要となる。何も知らないお客様が黙って座っているだけで楽しませてもらえるようなものではないし、自分を皮肉ること、毒がはけること、それをからりとした笑いに昇華できること、それが芸としてあるわけだ。

 この二冊は、どちらも立川談誌の言葉を引いてきたり、タモリを登場させたり、瞬間に笑いが起こるような芸ではなくて、ちょっと知的な溜めがいるような笑いを尊重している点が似ている。
 ヘタウマは、素人がただヘタにやってみせることとは違う。同様に、ちょっとアクのある毒舌めいたツッコミは、誰がやっても笑いとなる訳ではないのだ。
 何が主流で、何が亜流なのか、判別しがたい時代なのではないかと思う。一般大衆が楽しんできた娯楽が大衆に共有されなくなり、通好みのような変わった嗜好が逆に一般的に広まったりもしている。
 なればこそ、この著者が言うように、メタから一回り巡って敢えてベタに徹する。
 なるほど、そういう生き方の方が、今度は変わっていて「おもしろい」ことになるのかもしれない。

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2013.06.11

「一億総ツッコミ時代」のレビュー

銅

一億総ツッコミ社会

リア充爆発しないで

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン WarriorWarrior

 ネット社会になって誰もが、何かに意見を表明できる時代になった。
 ブログやツイッターを使えば、政治のニュースだったり、評価の高いアニメだったりに対して、自分がどう思っているのかを世界に向けていとも簡単に発言できる。
 ニコニコ動画などで明らかなように、コメントはツッコミが多い。そのせいか、ツッコミをユーザー側に任せ、無くても成り立つ作品が増えたように思う。
 星海社が絡んでいる「うーさーとその日暮らし」もその一つだ。
 うーさーの声優である宮野守が、他作品で務める役を知っていなければ分からないネタが多く、そのボケに対する他のキャラクターのツッコミもほとんどなかった。

 リア充爆発しないで。

本書を分かりやすく説明するのにうってつけの作家がいる。佐藤友哉である。
 彼は、度々ツイッターのアカウントを消す。アカウントを消す前は、出版する本の宣伝や、その本の感想をRTしたり、執筆中の小説を一部公開したりしていた。
 彼は今回「30代からはじめようバンド」という名前でアカウントを復活させた。プロフィールは「全パート募集」である。
 普通だったら「?」となる所だが、この本を読めば佐藤友哉のよく分からない行動が理解できる。

 リア充爆発しないで。

 彼は「ボケる側」にまわったのだ。そしておそらく鋭いツッコミを待っている。彼のツイッターから引用しよう、こういうツッコミだ。
『妻がツイッターを再開したので、僕の最近のツイートを見せたら、「いったいなにをやってるんだ」と云われた。「なんかね、フォロワーがぼこぼこ減ってくの」と話したら、「あたりまえだ」と云われた。』

「いったいなにをやってるんだ」彼が待っていたのはこの言葉だったのではないだろうか。

 私は別に佐藤友哉がMだとか、リア充め! とか言いたいのではなく、彼が「ボケ側」にまわることを自覚し、選択していると言いたいのだ。
 とはいえ、作家である。彼のファンであるフォロワーに「いったいなにをやってるんだ」とツッコミを入れさせるのはかなりハードルが高い。
 だから、現状さしてうまくいっておらず、わざわざ奥さんを登場させ、正しい対応マニュアルを示さねばならなかったのだと思う。

 リア充爆発しないで。

 今回のツイッターでの佐藤友哉の復活に「?」を浮かべた君に、ぜひこの本を読んでほしい。そして、彼がどのようなツッコミを待っているのか、「ボケる側」にまわったつもりになって考えてみてほしい。そして、願わくば「ボケる側」が「おいしい」と思えるような、あたたかいツッコミを入れてあげて欲しい。

 リア充爆発しないで。

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2013.05.29


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