ここから本文です。

「中身化する社会」のレビュー

銀

菅付 雅信『中身化する社会』

現代社会を楽しむ一つの視座

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

 コンフォート。評価経済社会。動物化。分人。可視化。オーバーシェア。ソーシャル・キャピタル。中身化する社会。
 この本では色々な用語が頻出しているが、つまるところは現代社会での「人と人の接し方」について語られている。
 情報技術が格段に進化した二十世紀末から、二十一世紀初頭の今に至るまで、人々は高度情報化社会の恩恵を受け止めきれずにいる。情報の氾濫によって、人は自分にとって本当に意味のある情報を取捨選択することが難しくなっている、という指摘はずっと以前からされていたことだが、この本の問題認識は「人ー情報」の対立だけにとどまらず、より広範な事象について、現在進行形で変化する状況を踏まえながら語っている。
「人ー人」のコミュニケーションは、「外面(ファッション)」から「ソーシャルメディア」へと比重が移り、「消費者ー企業」の関係では、ソーシャルメディアによって人格化されつつある企業を、消費者が好ましいと思うかどうか、という新しいステージが生まれつつある。また、「個人ー不特定多数者」の関係において生じる問題として、オランダの16歳の少女が、フェイスブックの操作を誤って、自分の誕生日パーティーに4000人もの人々を集めてしまい、警官隊が出動する程の事件となったことなどが挙げられている。本の中では触れられていないけれど、例えば日本のネットの炎上にも、「個人ー不特定多数者」とのやりとりから騒動が大きくなっていくパターンは多い。
 
 この本で語られている現代社会とは、20世紀までのものとは全く質の異なるコミュニケーションが色々な形で生まれつつある世界のことだ。
 著者は言う。「人々は、たとえば排気ガスや渋滞の問題に頭を痛めつつも、自動車のない生活に戻れないだろうし、インターネットのさまざまな弊害を意識しても、ネットのない生活に戻れない」と。この社会全体の変化は、不可逆なのだと
語っている。

 この本で一番面白いのは、この部分だ。

 不可逆な変化が社会全体で起こっている。それも急速に。だから現代は、その変化に対応できつつある人々と、それができていない人々と、様々に試行錯誤を重ねて行動し、あるいは提言している人々がいる。

 坂口恭平。岡田斗司夫。津田大介。平野啓一郎アンナ・デロ・ルッソ。アイ・ウェイウェイ。クリス・アンダーソン。アンドリュー・ターロウとケイト・フリング。

 この本には様々な人々が、多様な「現代社会の生き方」を提示している。幾つもの魅力的な価値観があり、なんとも自分にはしっくりこない考え方もある。だからこそ、面白い。自分一人からは決してこれだけ豊かなスタイルは生み出されない。
 この多様性に触れることの楽しさは、きっと、現代社会の急速な変化の、一つの恩恵なのだと私は思う。

「現代社会を楽しむ一つの視座」の続きを読む

2013.06.22


本文はここまでです。