ここから本文です。

レビュアー「ジョッキ生」のレビュー

銀

レッドドラゴン

ヤラセだとしても

レビュアー:ジョッキ生 Knight

2年以上にわたる更新が、ついに終わってしまった。

レッドドラゴンとは、豪華作家人・イラストレーターが競演したTRPGを連載したものだ。TRPGとは、例えるなら、ドラクエみたいなRPGを即興劇で演じたようなもの。ただし、途中の行動、選択肢はサイコロの目によって決定されるという、多分に偶然性を含んだアナログなゲームになっている。それゆえに、思いもしない方向に話が転がったりして面白く、先の見えない展開が光るゲームだ。

この偶然性の積み重ねが奇跡を起こし、無事結末へと至ったわけだが。終わってみて思うのは、ちょっと出来すぎじゃね?ってことだ。つまり、ヤラセの可能性を疑う自分がいる。すべては台本通り、打ち合わせに則って行われ、失敗してしまった所はカットされて、再プレイされていたなんてことがあってもおかしくはない。なぜなら、読んでいる僕らには結果だけが知らされるし、オープンな場でこれらが行われたことはないからだ。だから、ケチを付けようと思えばいくらでもできる。

でも、僕はあえてしない。なぜなら、この物語は面白かったからだ。ヤラセかどうかなんて気にしなくなるほどに面白かった。ただそれに尽きる。

ヤラセに憤慨する人の気持ちを考えた時、信じていたのに騙された的な、リアリティを追求した結果起こる齟齬が原因な気がする。そりゃあメディアに属するものは基本娯楽だし、特にバラエティとして放送してるものに真実もへったくれもねえだろとは思うんだけど、そう思わない人もいるんだろう。だから、このレッドドラゴンもきっとヤラセじゃねーのと追及し、実際にヤラセだった場合、憤慨する人も出てくるのかな?とは思う。

でもね、個人的にはどっちでもいいと思ってる。前にも言ったが面白かったからそれでいいやって思ってる。それは僕の中の大きく占める概念として面白ければ許すというものがあるからだ。それは人生を楽しく生きるためのルールにしているんだが、笑わせたもの勝ちだなって思ってる。人を笑わせるって結構難しい。だから、僕はそれが出来る人に最大級の賛辞を送りたい。それゆえに辿り着いたのが面白ければ許す、この概念だ。

創作物なんて大抵フィクションだよ。楽しめればいいんです。特にそれ以上のことを求めるのはちょっと酷ではないかい?だからそこは童心に戻った気持ちで楽しもうじゃないか。不毛な探りあいなんてやめて、ただ楽しもうよ。このレッドドラゴンというコンテンツは、それに足る娯楽であると僕は思っている。

レッドドラゴンで紡がれた物語。それは最初から最後まで出来すぎた物語だった。対立関係にあったローとスアローの結末や、忌ブキが王になったこと等、偶然を重ね合わせたら必然に落ち着いたという、なんとも現実的なお話だった。そこに僕はなるようにしかならないという人生訓みたいなものを見いだしたが、どうだろうか。この物語を偶然が生んだのなら奇跡を、必然が生んだのなら喝采を。どちらにせよ、僕はこの物語に最大級の賛辞を送りたい。

「 ヤラセだとしても」の続きを読む

2014.06.18

銀

企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ

未来の創作

レビュアー:ジョッキ生 Knight

開始一行目で笑ってしまった。著者の感情丸出しじゃねーか。でもこれのおかげで、難しそうだけど読んでみようかなって気持ちになれた。ありがとう。

『KADOKAWAとドワンゴの合併のニュースを聞いて軽い吐き気がした。』から始まるこのエッセイは、まとめればオタクコンテンツ(アニメ、まんが、ラノベ等)の未来の話をしている。この合併によって今後この業界に何が起こっていくのか。それを著者自身が予測している。

それは角川春樹、角川歴彦と行ってきたメディアミックス戦略の歴史から始まり、2人の方向性の違い、そして今まさに角川歴彦が目指しているシステムの話と、全く無知でも分かりやすい説明がされており、読んでて為になった。図解まであって緊急寄稿ってレベルじゃねーなと思うほどだ。

ざっくり言うと、これまでのメディアミックスって言うのは、原作があってそれを多方面に展開していくやり方のことを言っていた。小説が原作ならそれをアニメ化したり、まんが化したりって感じで、一個のものからたくさん作って儲けましょうみたいな。もったない精神の具現化した感じだった。でもこれからのメディアミックスの違うところは、原作という根幹を変えてしまうことにある。原作に変わるのは世界観という、原作の基みたいなやつ。プロットに近いのかな。それをみんなが共有することで生まれるたくさんの物語が商品になっていくというスタイルだ。

これはたぶんニコニコ動画で説明すると分かりやすいかな。ニコニコにあるカテゴリがそう。ゲームカテゴリで言えば、実況動画であったり、TAS動画であったり、解説動画であったり。ゲームというカテゴリの中で、投稿者が好きに作ったものをアップしている。このゲームカテゴリを世界観に置き換えれば、その下に出来た動画達が商品となる。つまり、これからのメディアミックスの目指す所は、一般の人が気軽に創作できる環境から生まれたものを、商品として売っていくシステムになるだろうと著者は言っている。

これを著者は吐き気がするというわけだが、同意するのはなかなか難しい。なぜなら、これから創作者になるであろう一般の人にはデメリットがないからだ。だって、たとえば趣味でやっていたものを、企業からぜひお願いしますみたいな感じでオファーされて、嫌な気がする人は少ないんじゃないだろうか。タダでもいいですよなんていって、仕事を請けてくれる人までいるかも知れない。それはやっぱり、創作に対する立ち位置の問題なのかな。あくまで趣味である人にとって、その作品がお金になるかどうかはあんまり問題じゃないと思う。まあ多少はお金になればとは思っているかもしれないけど。大事なのは評価であったり、そこで生まれるコミュニケーションであったり、精神的な満足感がでかいと思う。だから著者が感じるこのシステムへの嫌悪感は、はっきり言って感じ難いんじゃないだろうか。

だから、これに嫌悪感を感じる人っていうのは、結構限られると思う。それは今まで原作者という立場にあった人や、創作というものを専業でやってきた人が、自分たちの領分を侵されることに対して感じてる危機感のようなものだと思うから。自分達の価値が下がる。それは一般の人も含めた総クリエーター化によって、いくらでも代わりがきくようになっていまうから。さらには、貰っていた報酬も下がる。これはタダでもいいと言うような人が出てきた場合、必然的に価格の見直しが行われるだろうからだ。このような事態を想定した場合、ヤバイと感じるのは至極当然のことだと思える。

だから両者の間には溝が出来てくる。このシステムに賛同するものと、しないもの。どちらも創作するという意味においては対等であるが、同時に共存するのは難しい。時代の流れがどっちに味方するのか、正直分からない。でも怖いのは、今まで好きだった作家さんや絵描きさんが、この流れでいなくなってしまうことだ。市場が広がれば自然に淘汰がなされるんだろうが、その中でいなくなってしまうものの中に、自分の好きなものが含まれるのはなんか嫌だな。しかもそれが直接ではないにしろ、そのシステムに賛同したことで起きることとなればちょっとね。だから考えなくちゃいけないのは、自由を得た対価として何が失われるのか。その実態だ。一般の人が好きに作品を作って販売されていく時代の先に、今まで創作によって自分達を楽しませてくれた人たちの排除が行われていくんだとしたら、それは悲しいことだ。どうすれば彼らを守れるのか、そんなことも考えていかなければいけないかも知れない。

なんてことを、深夜に公開されたこの文章を読んで考えてたら、朝日が眩しかった……。知恵熱でたから寝よう、そうしよう。

「 未来の創作」の続きを読む

2014.06.18

銅

NOeSIS 嘘を吐いた記憶の物語(3)

いつからか芽生えた気持ち

レビュアー:ジョッキ生 Knight

こと恋愛が絡んだ物語での幼馴染キャラの待遇の悪さには常々不満があった。甲斐甲斐しく主人公に尽くしてきたその時間を嘲笑うかのように、ぽっとでの転校生やら先輩やら下級生やらにあっさり掠め取られるあの感じ。ないわー。そんなシナリオ書くやつ人の皮を被った鬼だわー。と、いつも心の中で毒づいていた。

本書のこよみちゃんもそうだ。1,2巻の千夜先輩ルートでのあのかませ感。露骨な主人公好きですよオーラも全く届かず、主人公はホイホイと千夜先輩になびいて、残ったのは呪いに囚われて狂って壊れてしまったこよみちゃんだけですよ。はー、やるせない。もういやだ。いっそハーレムエンドにでもなってくれた方がまだ救いはあるのに。なんて落ち込んでいた所に待望のこよみちゃんルートが。やった、これで勝つる。

この物語は古い因習であったり、呪いがまことしやかに語られる、そんな田舎社会がまだ息づく町を舞台にしている。前回までは怪談めいたものを中心に話が展開していったが、今回は冥婚と呼ばれる儀式が中心になっている。

冥婚とは死者の魂を鎮めるために行われるものとあり、聞いた瞬間即効で祟りという単語が思いつくくらい禍々しい匂いがした。実際その目的はかつて呪い殺した者達が自分たちを呪い返さないようにと始まったものとあって、あっやっぱりなと一人納得してしまった。

そんな儀式に首を突っ込み、見事に祟られてしまったこよみちゃんをどうやったら救えるのか。それが主人公に課せられた問題だった。いやー、こよみちゃんが完全にヒロインしててうれしいなー。これで祟りから解放されて結ばれれば言うことなしじゃねーか。と、読んでてテンションが上がる上がる。でも一個だけ不安だったのがバッドエンドね。こんだけ盛り上がって叩き落されたらもう立ち直れる自信はなかった。だから祈るように1ページ1ページ読み進めていったのを覚えている。

自分でも何でこよみちゃんにここまで入れ込んでいるのか分からない。はじめは不幸な幼馴染キャラを贔屓していただけだった。でも読めば読むほどこの子には幸せになってもらいたいと心から思っていた。なんだろーね、この気持ちは。この子の境遇も悲しくて子供のころ両親を目の前で殺されている。それで壊れてしまった彼女の心はいつだって幸せを求めていた。差し出した手は所在なさげに中空を漂ったまま、この子の時間は子供のころのまま止まってしまっていて、常に居場所を探している。そんな印象を受けた。救われてほしい。心から笑っていられる場所に辿り着いてほしい。いつからかそう切実に願っていた。

それが出来るのは主人公しかいない。後半は壮絶なバトルだった。疑念に囚われ、最後には主人公を殺してあの世で結ばれようと口走るこよみちゃんを如何にして信用させ現世に留めさせるか。過去に一度拒絶してしまった気持ちの清算を、ただただ好きという気持ちに乗せて。手を包丁で何度も串刺しされても叫び続ける主人公にはこっちも気持ちが入った。届いてくれ。奇跡よ起きてくれ。と、本を握る手に力も入った。そしてその願いは……。

結末は言わない。言わなくても分かるだろ。最後の訪れるのはこよみちゃんの心からの笑顔と、俺の泣き笑いの気持ち悪い顔だけだよ、こんちくしょう。あー、ほんと……よかった。

「 いつからか芽生えた気持ち」の続きを読む

2014.06.18

銀

大阪将星伝

死に様って

レビュアー:ジョッキ生 Knight

歴史ものが汚いと思うのは、死に様がやたらかっこいいことだ。別にそんな大したことをしてなくても、その死に様で大分印象が変わる。それが何かね、ずるいなーといつも思ってた。

この本の主人公、毛利豊前守勝永もそう。この人の人生を要約すれば、豊臣家に仕えた、ただそれだけだ。父親が豊臣秀吉付きの黄母衣衆という諜報を行うような部署にいたので、自然とそれを手伝う形でその人生を生きていくことになる。すべては豊臣家のため、それが当たり前の人生だ。だから彼が成したことで歴史が変わったことなんて特にない。彼の名を知り合いに聞いた所で返ってくるのは『えっ、誰?』って言葉くらいだろう。

その生涯だけを語ればそんなもんだ。でもね、死に様がかっけーんだよ、この人。マジで知らねーとか答えた知り合いを片っ端から引っ叩いて『はっ?何で知らねーの?』って胸倉を掴みたい衝動に駆られる。そのぐらいかっこいい最後だった。

きっかけは徳川家康の所業。かつて仕えていた豊臣家に対し蛮行を散々働き、それが隠居生活をしていた勝永のおっさんに火を着けた。嫁さんも子供もいて、十分幸せな生活をしていたし、今徳川家に逆らった所でいいことなんて一つもない。しかもたぶん勝てない戦いになると分かっていたはずだ。それでも譲れない一線があって、豊臣家を貶める行為に関してだけは全力で立ち向かう。それがこの男の信念だったに違いない。だから、かつての仲間と共に命尽きるまで、一矢報いるまで戦い続けたその死に様は、もう全身が震えるほどに勇ましかった。

読み終わって、やっぱずるいなーとは思った。死に様がかっこよかっただけで大分印象が変わったことは否めなかったからね。でもちょっと思ったのは、死に様がかっこいいってことは、その人が歩んできた人生にちゃんと信念があったからなんじゃないかってこと。それがなくちゃ何をしたって重みを感じないんじゃないかって。毛利豊前守勝永で言えば、ずっと豊臣家に仕えてきたからこその最後の行動があって、読んだ俺はその人生を知っていたからこそそこに感動したのかもしれない。そう考えると、死に様がかっこよくてずるい。ではなくて、その生き方がかっこよかったと褒めるべきなのかもしれないねー。

毛利豊前守勝永という人は、豊臣家のために生き、豊臣家のために死んだ。その人生はちょっとずるくて、でもかっこよかった。と、俺はそう思う。

「 死に様って」の続きを読む

2014.06.18


本文はここまでです。