ここから本文です。

「竹画廊画集 2010-2011」のレビュー

銅

『竹画廊画集 2010-2011』

少し変な形の本の話。

レビュアー:yagi_pon NoviceNovice

騎士団の褒賞で、『竹画廊画集 2010-2011』を頂いた。
灰色の封筒をあけると、変な形の本が入っていた。
数年前に出された、横幅が狭いキャンパスノートみたいだ。
シュリンクをとって、ぱらぱらとめくっていく。
かわいいキャラクターに見惚れ、色使いに圧倒され、
足や腰のラインに魅了され、眼に引き込まれる。
一通り見終わって、本棚にしまおうとして気がつく。
さて、この本をどこにしまおうか。
明らかに他の本とは形が違う。
無駄に几帳面な私の本棚は、
サイズごとにしまう場所が違うため、困ってしまう。
とりあえず、と唯一サイズ分けされていない、
積読本たちが並ぶ場所へと入れておくことにする。

それから一ヶ月以上たった。
いまだに『竹画廊画集』は積読ゾーンに居座り続けている。
それは、本棚には入れられないからだ。
困るなー、なんて思いつつもちょくちょく手に取り、眺める。
変な形のせいで本棚にはしまえないけれど、
変な形のおかげでずっと手元においている。
最近はよく、お気に入りの桜前線のイラストを見ている。
とくに何か目的があるわけでもなく、なんとなく眺めたあと、
『竹画廊画集』は、積読ゾーン改めよく手に取るゾーンへと帰っていく。

おわり

最前線で『星海社竹画廊』を見る

「少し変な形の本の話。」の続きを読む

2012.04.23

「竹画廊画集 2010-2011」のレビュー

銅

竹画廊

竹というよりむしろ松

レビュアー:よ・よ・よ InitiateInitiate

ガキの頃、お絵かきチャットが流行ってた。
俺は絵が上手くないから邪魔してばっかだった。人が描いたものを消して、消して、消して。

就活に嫌気がさして、星海社のHPを眺めていると、竹画廊のページを見つける。
戯言シリーズで出会って以来、竹氏の絵は何度も見てきたつもりだった。
ここで世界で一番クールな探偵、シャーロックホームズの言葉を引用したい。助手であるワトソンに向かって一言、「きみは見ているだけで、観察していないんだ」。その通りだよ、ホームズ。俺は竹氏の絵を見ているだけで、全然観察していなかったようだ。
竹氏の絵を改めて観察すると、その絵の水々しさに驚いた。平面から水が滴り落ちてくるんじゃないかと思うぐらい潤っている。
AIの技術がいくら進んでも、AIには書くことの出来ないであろう絶妙な曲線が独特の色で塗られている。少なくとも俺には世界はこんな風に見えないし、おそらく誰にも見えないだろう。これが竹氏の世界なのだ。

その後、興味を持って竹氏について調べてみると、かつてお絵かきチャットで遊んでいたという。もしかしたら俺ともインターネットを介して同じ場所にいたのかもしれない、そう思うと少しだけ顔がほころんだ。

最前線で『星海社竹画廊』を見る

「竹というよりむしろ松」の続きを読む

2012.04.23

「竹画廊画集 2010-2011」のレビュー

銀

竹画廊画集 2010-2011

画集版竹画廊探訪

レビュアー:またれよ NoviceNovice

星海社という出版社の、「最前線」というwebサイトに「竹画廊」なるデジタル画廊がある。名前の通り竹が筆を執り、その絵がサイトに投稿される。ときにUstreamでお絵描き配信などもあり、訪れる人々とともに作品が創られていく。この度その作品たちが集められ、画集となったとのこと。どのようなものかしらん。

さて件の画集。店頭をうろつき探し見つけ出したところなにやら長い。縦に細長い。表紙を見るところ、竹の描く人物その他が所狭しと描かれているようだ。シュリンクに入っているので中を見ることはかなわない。ふむ。ひとまず購入する。
家に帰る。
おもむろにシュリンクをやぶき始める。シュリンクなどと格好をつけても所詮はビニールの袋である。なにするものぞ。

やぶれた。

ハラリと画集の表紙から落ちる紙。はて。
どうやら帯だったらしい。本の帯。表紙のデザインかと思っていたが違った。それが落ちた。帯。果たして帯。本に巻き付けられているというより載せられている。よろしき加減の和菓子などについているのし紙のような。ああ、CDの帯と言えばわかりよいか。至極納得。自力でCDケースにくっついていられない儚げな趣。あの子らも帯であった。なるほど、いつもの本と勝手が違う。
さあ表紙が現れた。描かれているらしかったものは確かに描かれていた。人物動物何者とも知れぬ何かたちが愉快げに戯れている。縦長表紙の下方には「竹画廊画集2010-2011」と小さく。なるほどこれはカンバスであるらしい。一年の凝縮の先にこの表紙がある。生きものたちに埋め尽くされた表紙のその隙間に、最初は真っ白かったろうカンバスの片鱗がわずかに覗く。既にその一年は一年間となってまとめられている。これが画廊の入口か。
中は。さっそく覗こう。めくる。おや。縦にめくれる。横開きではなかった。大福帳が頭に浮かぶ。ぺらぺらぺら。ふむ、日めくりカレンダーと言えばわかりよいか。光陰如矢。めくる。イラストがぽんぽんと置かれている。ぱらぱらぱら。めくるめくる。めくるとすると日も巡る。縦長のカンバス。縦に縦にと伸び続ける。日付とともに上に過ぎ去っていく絵。画集を見開くと上は過去に、下は未来に。縦に流れる時間。webの竹画廊を覗いて真っ先に現れるのは今現在の絵だった。下スクロールは過去に向かっていた。しかしこの画集は逆である。下へ向かえば向かうほど今現在に近づいてくる。
歩みの方向も違えば印象もまた変わる。美術館などで絵などを見る時、近づいてみたり離れてみたり、横からのぞいてみたりなどしてみる、あの感覚。角度。感度。
めくっていると途中で気づく。カンバスの、あるいはページの一番下の絵がなにやら見切れている。はてな。なにかしらの手違いか。さにあらず。さらにめくって次のページ。その絵がしっかりある。見切れていない絵が泰然と構えている。ははあ。見切れていることがすなわち道標なのか。カンバス間に断絶はない。次の日付へ誘われる。未来へとつづき続けているようだ。
流れ、過ぎていく絵。コメント。様々な「その日」があったらしい。ときに見知った絵にも出会う。これはあのとき、あのUstreamで描かれていた絵だ。あんなコメントがあった。あのとき自分はこんなことをしていた。一瞬だけ、その絵に自分が交差する。もしかしたら自分もこの絵を描いたひとりではないだろうか。そんなことも思う。ほんの少し。ささやかに。そしてまた次の絵へ。
そうしていくうちに、いつのまにやら画廊の終点にたどり着いている。はて、いつからこの画廊に迷い込んでいたのか。過去から未来へ歩みを進めていたつもりが、ふと振り返れば、やはりそれは紛れもない過去だった。2010年から2011年へかけての軌跡。最後の絵が「またねー」と手を振る。あんなかわいらしい子に言われてはしようがない。こちらも手を振り返す。

前を向き、画廊を出るとそこは2012年である。ここもまた過去になろう。またね、と言われたのだ。

最前線で『星海社竹画廊』を見る

「画集版竹画廊探訪」の続きを読む

2012.03.09

「竹画廊画集 2010-2011」のレビュー

銅

竹『竹画廊画集2010-2011』

竹画廊の魅力

レビュアー:USB農民 AdeptAdept

『竹画廊画集』の魅力を一言で言い表すのは難しい。
 それでも言葉を探り当てようとすれば、その魅力は「息づかい」だと私は思う。

『竹画廊画集』には、竹さんが日常の中で着想を得て描いたイラストが多数収録されている。
 寒い日や暑い日や、星や月が綺麗だった夜や、歩いていて見かけた女の子が可愛かったことや、セミの抜け殻を見つけたことなど、何気ない日々の情感がイラストからよく伝わってくる。絵の横に添えられた簡単なコメントもまた、日常の出来事の手触りを教えてくれている。

 静かな部屋で一人、暖かいお茶でも飲みながら、縦に長い風変わりなページを一枚一枚ゆっくりとめくっていくと、イラストからの息づかいが聴こえてくるようだ。それは、そこに描かれた人物の落ち着いた呼吸音であるような、あるいは竹さんの毎日の生活の一部を構成する情感でもあるような。
 そんな、息づかいだ。

最前線で『星海社竹画廊』を見る

「竹画廊の魅力」の続きを読む

2012.03.09


本文はここまでです。