ここから本文です。

レビュアー「ヴィリジアン・ヴィガン」のレビュー

銀

「選挙フェス」17万人を動かした新しい選挙のかたち

週末、会いに行きます

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 この本を手にした理由は、著者である三宅洋平が私の住む田舎から車で一時間ほどの街のライブハウスに来ると知ったからだ。
 名前は見たことあるなぁと思ったら、この前の選挙に出馬したミュージシャンだった。私は何故か、彼に良いイメージを持ってなかったので、とりあえずこの本を読んでみることにした。

 三宅洋平のインタビューとライター岡本俊浩の文章が交互に読める作りになっている。フォントの大きさや、紙の色まで変えてある。
 面白く感じたのは成功物語ではないということ。
 17日間の選挙活動に挑み、各地で「フェス」をやり17万人を超えるけして少なくない票を集めながら、負けてしまった三宅や彼をサポートした人々の姿が、生き生きと描かれる。
 17万の票を集めながらも当選できないという結果も、多くの人がいかに選挙のシステムを知らないかという事実を浮き彫りにしているようにも思う。
 私がいいイメージを持っていなかった理由も書かれていた。「メールメール大作戦事件」である。スタッフのミスで投票を依頼するメールを一斉送信してしまったのだ。
 当時、ツイッターで、私はこの件に関する多くの批判を目にしたことを思い出した。しかし、それだけの理由で彼の存在を全否定することもないように感じた。誰にだってミスはある。私だってある。

 この本を読むと、私とは住む世界が違い過ぎる人だという印象を強く受けた。
 ベルギー生まれ、早稲田大学卒業、リクルートに就職するも9ヶ月で辞めてバンド活動。
 「ヤーマン」という挨拶を使う。何それ? ヤーマンというのはレゲエ文化の挨拶なんだとか。知らんかった(笑)
 でもまあ、おおまかにではあるけれど、どんな人物なのかは分かった。理解しにくい人ではあるが、悪い人ではなさそうだ。とりあえずライブを観に行ってもいいかなと思い前売り券を購入した。
 つまり、この本には、私があんまり良いイメージを持ってなかった人がやるライブを「とりあえず行ってみようか」という気持ちにさせるだけの力はあるという事だ。
 もし話す機会があれば「ヤーマン」って言ってみようと思う。

「 週末、会いに行きます」の続きを読む

2014.06.18

銅

大坂将星伝 <下>

知ることができて

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 下巻では、関ヶ原の戦いに敗れ、家来や小倉10万石を失ってしまった毛利勝永が、再び歴史の表舞台に躍り出る過程が描かれる。
 土佐に捕えられ、隠居生活を送る中、勝永の武将としての感性は次第に衰えてゆく。次男が生まれたものの、妻のおあんは体調を崩して亡くなってしまい、父・吉成も痴呆の末亡くなる。
 囲碁や、将棋、釣りや、茶道に明け暮れる姿は、ほとんど民と変わらない。しかし、15年の時を経て、大坂夏の陣に参戦する段になると、示し合わせたかのように信頼のおける家来や、武将たちが集まっていく様子を見ると、懐かしさと心強さが込み上げてくる。

 豊臣秀吉の子である秀頼に、もしもの時は毛利豊前を頼るよう石田三成に言われていた、と告げられる場面は勝永がこれまで培ってきた力を存分に発揮するスイッチのようで心地よい。
 秀吉、三成、秀頼、時代が流れても、主に頼られることは何物にも代えがたい嬉しさだったろう。

 最後まで読み終わってから、上巻の冒頭を読み返した。
 そこには、下巻のクライマックスにあたる場面が描かれている。下巻でも文章を変えて出てくるかと思っていたが、上巻でしか描かれない。
 著者が最も描きたかったのはこの序章ではないだろうか?
 そこには、大坂夏の陣が何のための戦であるのかを悟り、落ち着いた勝永と緊張を隠せない息子・勝家の姿がある。
 息子の緊張を解きほぐそうと勝永は「我が軍は実に大きい」や「戦では強いだけではいかん、柔らかくないと」と自信を持たせるような言葉を投げかけるが、息子はその全てを理解できない。
 彼が父の言葉を理解するには、上・中・下巻と私が読み、勝永が得てきた経験が必要なのだ。
 戦場を美しい地獄で、「新しい国生みの舞い」だとさえ感じてしまう彼の息子への言葉は、現代に生きる我々に向けたエールのようにも感じる。

 勝永の夏の陣における選択には賛否が分かれることだろう。彼は、徳川家康を追い詰めながら「生かす」決断をする。
 「小にして厚き国を造ってみせるがいい。しかし、それがこの天下にふさわしくないと我が志が断ずれば、その時はあなたかその子孫の首を頂戴に参ります」
 戦の勝敗が決まった後で、家康は
「小なるところに厚きものは生まれぬよ」
 とつぶやく。
 江戸時代が300年続いたことを考えると「小にして厚き国」という彼等の選択はこの地点においては正しかったと言えるのではないだろうか。
 
 死んでから400年後も、本意を貫く強い心と優しさを兼ね備えた人物であった、と語り継がれる武将を知ることができてとても嬉しく思う。

「 知ることができて」の続きを読む

2014.06.18

銅

世界征服II 03―08

陰謀なんじゃないの?

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

「世界の覇権を巡る戦いの決着は――!?『覇道』の世界征服ここに完結――!」
と書かれた帯にリンとリザの2人が地球を掴むようなイラストの表紙絵。
丸く収まった感が若干ネタバレ気味だけど、可愛いから問題ない!
 とにかく早く続きが知りたくて駆け足で読んだ。
 海斗達の急成長してゆく会社は虚業から実業への転換に成功するが、出資者だった相羽社長からの襲撃にあう。雇ったホームレスを使い、でっち上げのやらせデモ対抗する。
 海斗とリザの命を助け、協力を要請してきたのはロシアの諜報機関で、あれ?
 プーチン出できた(笑)
 風呂敷は広がり、現実とフィクションが絡み合う。
 単行本の時のタイトルは『神と世界と絶望人間』。
 暗いタイトルだが、絶望したくなるほど、陰謀の暴露が描かれる。
 9・11後のアメリカによるイラク戦争、チェチェンに対するロシアの策略、イギリスの地下鉄爆破テロ、「そういや今になって冷静に考えてみるとおかしいよね」のオンパレード。
 この本が、2010年に講談社BOXから出版されてから4年後の今読んでも、フィクションと現実が混ざり合った物語が示唆するものは大きい。
 例えば、現在のウクライナの混乱。
 今20歳になったリザなら、プーチンになんて言うだろうか?
 「あんたホンマやらかしてくれるなぁ、かなわんで」とか?
 リザや、海斗たちがフィクションの存在であろうと、嘘じゃないのは、この世は確かに陰謀にまみれ、間違いなくザ・ズーパークラス(超階級)と呼ばれる人達は居て、そういう奴らに世界はだいたい征服されているということ。
 ただ、ここで、リザが海斗に会う前のような「生きとうないっ!」と喚く「絶望人間」になるのではなく、自分の命より大切な誰かが存在することが、どんなに天才だろうと人間ならば必要だということなのだろう。
 海斗にとって父や、リザを8歳まで育てたメルヴィル博士、そして、互いに想いあう海斗とリザのように。
 最後に、世界中の陰謀を暴露しようとしたために、この本があまり売れていないなら、ブランフォード家の陰謀なんじゃないの? と思ったり。

「 陰謀なんじゃないの?」の続きを読む

2014.06.18

銅

大坂将星伝<中>

事実だと思っている

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 中巻では、森太郎兵衛の11歳から23歳までが描かれる。
 婚儀の最中に国人達の謀反があり、九州での土地をめぐる騒動に巻き込まれる。
 豊臣秀吉から九州を納めるよう申し付けられた武将による「検地」が原因だった。どれだけ米が作れるのかをごまかさないように調べて、必ず既定の年貢を納めさせるわけだから、元々その土地に住んでいた人達からしてみれば、預金通帳や、収入を調べられるようなものである。人によっては先祖から受け継いだ土地を手放さなければならないこともあったため「ふざけんなよ!」という気持ちは実家で米を作っているので共感できた。
 ちなみに現代の日本は検地がされてないので、正確に誰がどのくらい田んぼで米を育てているのかわからず、ぶっちゃけこの時代より適当である。
 太郎兵衛はなるべく血を流さないように、交渉するが上手くいかない。
 九州の出入り口になる小倉を任された森家の親子。太郎兵衛は、元服し毛利勝永と名前をかえ、父の森小三次吉成も毛利吉成と名乗るようになった。
 天下人となった秀吉は武将たちに「唐入り(からいり)」を命じる。
 私は「豊臣秀吉は朝鮮に兵を送ったけれど失敗しました」くらいの知識しかなかったが、ちょっと考えればそれがどれほど大変なことだったかかわかる。
 16万もの兵を船に乗せて向かわせるだけでなく、その後も食料等の物資を送り続けなければならないのだ。
 問題なのは「義」がないこと。
 秀吉には「大にして広き国」にしてゆこうという意志があったが、ちゃんと理解してくれそうな近しい者にしか伝えていなかった。毛利吉成、勝永の親子はもちろん知らされていたが、これといった明確な理由も示されないまま、多くの兵が慣れない異国で戦わなくてはならなかった。
 朝鮮の義軍と、明の軍や、村人達に対し、日本式のやり方が通用しないことに戸惑う勝永達。朝鮮から小倉にやって来た陶工で、双剣の使い手・郭絶義(かくぜつぎ)を勝永は近習に迎える。彼の助言を頼りつつどうにか、切り抜けようと悪戦苦闘する武将たちの様子からは、望郷の念が伝わってくる。
 秀吉が亡くなり、日本に帰ってきた勝永だったが、武将たちの足並みは揃わなくなっていた。七人の武将に囲まれた石田三成を助けるため、勝永は徳川家康に会いに行く。
 勝永の「大にして広き国」という亡き秀吉の言葉に対し、家康の放つ「小といえども厚みのある国」という言葉は、双方の違いがわかり易く表れた台詞だと感じた。
 そして、歴史に疎い私でも知っている「関ヶ原の戦い」に突入してゆく。

 この本を読む前に1つだけルールを決めた。
「書かれていることを本当にあったことだと思い込んでみる」
というルールだ。
 だから、私は何処までが本当にあったと言われている出来事で、何処が著者の想像なのか分からないままだが、この本に描かれる武将達の台詞のやりとりや、行動を本当のことだと信じている。特に勝永の妻・おあんと従者のお玉は、山田章博氏の描いた美麗なイラスト通りの女性がそのまま存在したと信じている。
 400年以上の時を経ても語られる、歴史と想像の狭間に身をゆだねてみてはいかがだろうか?

「 事実だと思っている」の続きを読む

2014.05.20


本文はここまでです。