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レビュアー「ヴィリジアン・ヴィガン」のレビュー

銀

壜詰病院

原点放流

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 佐藤友哉が小説に触れるきっかけとなったのは、ラジオで聞いた「パラサイトイヴ」のラジオドラマだったそうだ。その後、原作の小説を読み、本屋にあった講談社ノベルスに手を伸ばした青年はそのレーベルでデビューした。出版した本が売れなかったりしつつも三島由紀夫賞作家にまでなった。
 夢が叶ったと言っていいだろう。佐藤友哉は自作を朗読してもらう機会に巡り合えた。彼が自分の原点と向き合って選んだ物語は、明確な生と死だった。
 タイトルは「壜詰病院」。朗読は古木のぞみ。
 佐藤友哉は、彼女に読んでもらうことを前提に、この物語を紡いだ。
 主人公は死が差し迫った15歳の女の子、トオリ。彼女の体は「壊れかけ」で助かる見込みがない。自分に襲い掛かる死をやわらげるかのように彼女は壜を集める。中には、この病院で死んだ人達の体の一部が入っており、そのコレクションを眺めることが、彼女の日課になっていた。
 そんな彼女が「黒ずくめの男」から唐突に赤ん坊を預かることになる。赤ん坊の泣く様子から、かがり火を連想した彼女はその小さな男の子に「カガリ」という名前をつけ、自分の息子として所有し、飼育し始める。
 主治医である「先生」、双子の妹「ユウリ」や助からない患者達と、ピアノのBGM、古木のぞみの声、赤ん坊の泣き声という最低限の構成で、じんわり物語は進行してゆく。
 この作品は朗読のみで、文字媒体での発表はないため主人公の名前も「トオリ」と書いてはいるが、案外「トーリ」とか「とおり」とか「十折」だったりするのかもしれない。おそらくそれすらも聞き手にゆだねているのだと思う。
 
 さて、唐突に赤ん坊を預けられたように、唐突に作家になったつもりで考えてみよう。「朗読CDを作りたいんで脚本書いてもらえませんか? 読むのは古木さんです」と急に仕事が舞い込んできた。いつかやりたいと思っていた夢の企画。でも、さてどうしよう?
 「古木のぞみ」という声優の特性を最大限活かしつつ、持ち前のどす黒さは維持しつつ、そうだ! 難しい言葉をたくさん出そう! 言いにくそうな、とっつきにくいが引っ掛かりのある感じの言葉をたくさん! そんなことを新人脚本家は思いついたに違いない。
 もちろん読み手に嫌がらせで難しい言葉をかき集めたわけではない。佐藤友哉は古木のぞみの特徴を心得ていた。
 それは「たどたどしさ」である。
 この「壜詰病院」において、脚本家としての彼の狙いはほとんど成功していると思う。15歳で死が迫る少女が放つ「赤子解体(懐胎)」「老婆毒殺」「双子分断」「内臓溶解」「手術準備室」等の言葉達は、難解さや禍々しさよりもむしろ、背伸び感や拙さで溢れている。

 ただ、この作品の売り方はもう少し何とかならなかったのだろうか、とは思う。昨年の10月に8話までラジオ騎士団内で公開されていたが、最終話はCDでしか聞けなかった。CDの販売は、昨年10/6~10/8に開催された徳島マチアソビvol.9と、10/20に秋葉原で行われたラジオ騎士団公開収録のときのみで、それを逃した私がCDを手に入れるには、今年5月のマチアソビvol.10まで待たねばならなかった。それ以降はアニメイトにて絶賛発売中(ステマ)だが、いくらなんでも間が空きすぎである。
 まぁ、最終話をCDという壜に詰めて放流した結果、受け取るのに7ヶ月必要だったということにしておこう。中身が腐敗してなくて本当に良かった(笑)。
 佐藤友哉と古木のぞみを知ってる人なら、聞いて損はない内容だと思う。ラジオ騎士団で聞いていた人も最終話まで全話連続で聞いてみて欲しい。長編映画を観た後のような満足感が得られる筈だ。
 夜の病院の薄気味悪さ、嫌悪するけど覗きたくなる、ちょっと怖いけど聞きたくなる、絶望にまみれた少女の拙さを応援したくなる、そんな朗読CDだ。

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2013.06.22

銀

僕たちのゲーム史

ゲームをしている。

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 そんなにゲームをがっつりやってきたわけではないけれど、本の背表紙がドット文字なのと、タイトルの「僕たち」というのが気になった。
 「僕の」でないのはなぜなのか。
 著者は「ボタンを押すと反応すること」と「物語をどのように扱うか」の2つを軸に、これまでのゲームの歴史をざっくり描こうと試みた。

 昔流行っていた曲を聴くと、当時のことを思い出したりする。この本で目にした懐かしいゲームのタイトルはそんな風に僕に過去を思い出させた。実は結構ゲームやってたんだなと気づく。
 従兄とやった「マリオ」。弟のセーブデータ消した「ドラクエ」。友達とやった「ストII」。家族で汗だくになった「ダンスダンスレボリューション」。いつの間にか朝になってた「ひぐらし」。
 ああそうか、この本はゲームで育った人たちの、「僕たちの」これまでを振り返る本なんだ。

 「ボタン」と「物語」でテーマを絞ってゲームの海に網を張る。網にかかったゲームたちは不思議と「これまで」と「これから」を語る上での点になり、それを漁師である著者は、歴史として、ゲーム史として並べてゆく。
 海外のゲーム事情が大変興味深かった。
 国によって評価される作品や支持されるジャンルが違うのは当たり前だ。その傾向がざっくり分かるだけで「ゲーム」という物の見方や、その国の見方が変わってくる。
 ハードに施せる技術、ネット等の環境、ソフトのコストやリリースのタイミング、すべてが重なって、その国独自の「ゲーム文化」が立ち上がっていく。
 例えば、自分なら「ドット文字」を見ただけで、言いようのない懐かしさを感じてしまうし、お気に入りのバンドがよく使うファミコンっぽい電子音がたまらなく好きだったりする。
 ゲームだけではなく、グラフィックデザインや、音楽、ファミコンに勢いよく息を吹きかける(定番のあるあるネタ)といったことまでが「文化」として根強く残っている。セガサターンのコスプレなんてのをする人もいるとか(笑)。
 
 ところで、僕は今ゲームをしている。このゲームは「コミュニケーション」に重きを置いた「レビューを送る」ゲームで、さっきから僕は、キーボードという「ボタン」を連打している。結果として誰かの「物語」に関わり、良い影響を与えると願って「ボタン」を押している。
 僕は今ゲームをしている。
 君もそれに参加している。

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2013.06.22

銀

先が見えない時代の「10年後の自分」を考える技術

10年前と10年後

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 計画を立てても、計画通りにできたためしがないから、こういう本を読んで少しでもマシになればと思ったのが読んだきっかけだった。
 10年前から今までの時間をざっとふり返る所からこの本は始まり、同じ時間がこれから流れるのだと語りかける。
 2003年。音楽をMDで聴いていたし、ケータイのカメラなんてほとんど使わなかった。あの頃に、スマホで曲を聴いてカメラで写真を撮り、ネットで「○○なう」とつぶやく現在を想像できたかと聞かれると難しい。
 しかし、著者は、これからを生きていくうえで「考えない」「想像しない」のはリスクが高いと言う。自分で夢や目標を設定しないかぎり、悲惨な結末を迎える時代だと。
 そこで紹介されるのが「シナリオ・プランニング」という思考法である。
 何かひとつの未来を思い浮かべてそこに向かうのではなく、複数の未来を想像していくつもストーリーを考えておくことで、どのような事態に陥っても柔軟に対応できるようにしておくのだ。こうなったらこうすると事前に決めておけば、いざという時に慌てなくて済む。「想定外」を減らし「想定内」を増やしておくのだ。
 本書は「シナリオ・プランニング」について3つに分けて説明している。
1、今起きている事に関連性を見つける「つながり思考力」。
2、つながりを未来に応用する「先読み力」。
3、どうするか決めた後の「一歩踏み出す行動力」。
 わかり易くざっくり考えてみよう。
 10年後、結婚していて子供が欲しい、だとすると、相手を探して出会わなければならない。ナンパ、合コン、街コン、友達の紹介、お見合い。なんかどれも物凄く大変で面倒そうだが、確実なのは行動しないことには何も始まらないということだ。黙っていてもモテる人は除いて(笑)。
 「シナリオ・プランニング」はもともと会社の運営や、危機への対応に使われていたそうだ。この本を読む前は「いや、1か月後すらよくわかんないんですけど」といった感じだったが、あえて10年後という遠くを眺めることで見えてくるものがある。今何をするべきで、何をやらなくてよいのかということだ。
 将来に漠然と不安を感じている人、何がしたいか決まらないが避けたい未来がある人、近未来のSFが書きたい人はぜひ読んで欲しい。
 こうしてレビューを書くことも10年後の自分にきっといい影響をあたえている。
 さて、米倉千尋の「10 YEARS AFTER」でも聴くとしよう、そうしよう。

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2013.06.11

銀

ストーンコールド

「損得抜き」でレビューを書いた。

レビュアー:ヴィリジアン・ヴィガン Warrior

 江波光則の新刊「ストーンコールド」が星海社から出ると聞いたときはガッツポーズを決めた。
 ガガガ文庫から発売された3冊は、いずれも「スクールカースト」や「いじめ」をテーマにした読んでいるこっちが心を抉られるような内容だった。主人公やヒロイン、先生に至るまで必ずどこか狂っていた。

 ――それはきっとオーバーキルに過ぎる――

 ガガガ文庫「ストレンジボイス」の主人公である中学生女子が地の文でこう語ったとき、私は江波光則のファンになった。「頭痛が痛い」みたくなっているのだが、いかにも中学生の女の子が頭に浮かべそうなセリフである。間違っていることが作品にリアリティを与えた成功例だと思う。

 表紙からしてキャラクターの顔にモザイクをかけている「ストーンコールド」においても安定の狂いっぷりで安心した。
 主人公、雪路は17才の冷めた青年だ。金持ちの家に生まれ、父親から「損得」や「コスト」を常に考えるように叩き込まれて育った。だが「金」を持った父親が捕まり金持ちではなくなったところから物語が動き出す。
 雪路は通っている学校のスクールカーストを金で維持していた。いじめの加害者だけでなく被害者にも金を払っていた。どちらにも払えなくなった途端、両方から攻撃を受けることになり、運悪く左目を失ってしまう。
 「金も貰わずに痛めつけられること」も「左目を失うこと」も彼にとって許しがたい損失である。だが彼は目を失った際に死にかけの刑事から銃を受け取とった。その銃と残りわずかな金を武器にクラスメイト全員を殺す算段をつけ始める。

 これは「損得」に囚われた青年が、行動に至るまでの動機をやたら説明する物語だ。本来その過程はレポートのように論理的でなくてはならないが、うまく説明できない「損得抜き」の行動をとってしまう人間らしさを描いてもいる。
 その「損得抜き」な行動がたまらなく私の感情を揺さぶるのだ。

 「ストーンコールド」は星海社で初めて江波作品に触れる人への名刺のようなものだろう。個人的には、馴染みの店に行き、いつもの料理を食べたような感じだ。しかし、幾つか伏線が放置されたままになっている。今作が初めてのシリーズ物なのでこの後どのように展開してゆくのか、あるいは放置したままなのか、気になるところだ。
 江波作品は読み手を選ぶ。読書に安らぎや癒しを求める人は読まない方がいいかもしれない。学校の教室で窓の外を眺めながら「消しゴムのカス飛ばしてくるヤツ撲殺してぇ」とか思っている人や、思っていた人におすすめの本だ。

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2013.06.11


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