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「非実在推理少女あ~や」のレビュー

銅

『非実在推理少女あーや』第一話「コンダラ殺人事件」

非実在は凄い!

レビュアー:Panzerkeil AdeptAdept

この世の中、実在するものよりも、実在しないものの方が興味深い存在なのだそうだ。何故ならば実在するものは、その存在に安住しており発展の余地が無い、一方で実在しないものは、何しろ存在しないのであるから幾らでも風呂敷を広げる事が可能だ、研究対象としてこれほど素晴らしいものはない。以上は、ずっと以前に読んだ、ある東欧SF作家の小説に登場する人物(というかロボットか)の言葉である。
しかし、実在しないものをどうやって研究するのか、まあ、存在確率がゼロで無いならば、現実をねじ曲げて「存在させてしまえ!」というのが結論だったのだけど、まさか、同じロジックをマンガで拝めるとは思いませんでした。更に、昨今、なにかと話題になる「非実在」という言葉をこう使うとは!!しかも、一応ミステリ仕立というところも凄い。
こうしてみると、なんとか禁止法がらみで登場した「非実在青少年」というのも、なかなか味わい深い言葉ですね。そう考えると究極の非実在美少女とか萌えるじゃないか。

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2013.06.11

「非実在推理少女あ~や」のレビュー

銅

非実在推理少女あ~や

Infinity

レビュアー:ひかけ NoviceNovice

とりあえず私は今出てる話まですべて読み終え、レビューを書こうとPCの前で深呼吸した。そして声を大にして言いたいことがひとつだけある。

そ ろ そ ろ ツ ッ コ ミ い れ て い い で す か ?

ええ、最後までツッコミいれるのを我慢しましたとも。大和さんの金をとったレビューを読み、真面目に書きたいと思いましたよ。でもこの作品はそうさせてくれないんですよ…関西人の血が騒ぎますね。

まずなぜグラウンドの整地するためのコンダラが生徒会室にあるのか。しかもそれが死因。私は疑問符を浮かべるというよりむしろ体が勝手に反応してしまいました。「なんでやねん。」と。しかもコンダラって言うのあれ?初めて知ったわ!ってこんな驚きに時間を割いてる暇はない。次だ次。やはり登場人物間の最初の出会いって特別だよねどんな物語でも。……なんで男子トイレで出会ってるの!?というかあーやなんで男子トイレに居座ってるの!あとバスカヴィルってミドルネームかっこつけすぎやん!あと少し遅れたけどどっかの「真実はいつもひとつ」っていう数学の命題みたいなセリフが印象的な、推理マンガと言えば「アレ」みたいなのに出てくるいつも眠らされる例のあのおっちゃんばりの推理でなぜ捕まったあめり!そしてあめりかわいいんだけどちくしょう!あとそこ靴下クンカクンカしない!そしてそこ!せっかくかわいいと思ったあめりをなんで改変してんの!マイナス方向に!というかツッコミすぎてこれかなり長くなりそうだけど大丈夫なのか俺!いや、やめる気ないけど!そして次の推理はベクトル変わってないんですけど!やっぱりあめりの肉体が改変されてるんですけど!その次の推理はベクトル変わったけど!変わったけどコンダラ敵になるのかよ!しかも地味にコンダラ怪人(ローリングキラー)かわいいんですけど!俺だけな気もするがこのまま話続けるよ!もう私のツッコミ嫌って人は右上にある×ボタンを押してこのページを閉じてね!というか2回目見てて気づいたけど礼堂警部の被ってるのこれスカートですよね!けしからn…なにそれうらやましい!てかコンダラ怪人こんなにいたのな!そして死亡フラグ立てるなそこ!そして即回収すんなよ!そして孫!ナイスドロップキックだ!俺もその場にいたらやってたわ!はい次!えー次…生徒会室何階ですかこれ!並みの鍛え方じゃ昇れないですよこれ!改変されたあめりばりの筋肉いると思うのですが!あとエクスクラメーションマーク多いなってツッコミは受け付けておりませんのであしからず!愛のために強くなるのはわからんでもないけど相手コンダラだよ!?目を覚まして会長!そして回想シーンの最後どこに光いれてるの!あと刑事さんたちそれは紳士と違う!変態や!いや、戦士でもない!変態や!お願い気づいて!ってあめりもですか!?ってえ!?礼堂刑事勝手にソウルメイト名乗らないで!こっちが恥ずかしいよ!そしてこのお墓はすごく恥ずかしいよ!?…うんうん。コンダラと共に眠るなら本望だろう。なるほど一理あるかもしれなってそんなわけあるか!ひとりノリツッコミしたわ寂しっ!俺寂しっ!(※本編を思い出しながら読むのを推奨します。)

……ふぅ。言いたいことがキリの良いところまで言えて満足です。非常に満足です。あ、そこドン引きするのやめてくださいお願いします。まぁ私も意味もなくこんなツッコミをしたりしませんよ。

普通、推理小説とか推理マンガっていろいろな証拠を集め論理的にそれらを組み立てて、犯人を追い詰めたりしてストーリーが進むじゃないですか。しかしこれは、「非実在推理少女あ~や」は違う。まず真実がひとつじゃない。自身が思い描く一番良いストーリーを選べる。まずそこにおもしろさと話の広がりを感じた。だって一種の「想像」という形で真実が固定されてしまうのだから。「妄想」に変えても差し支えない。だから何をしても許されるし、普通じゃ考えられないことだってできる。これは正直「新しい」と思った。完璧な正解というものが存在せず、そこに「事件」が横たわっているだけ。いか様にも解釈できる。ならば何が起こるか。
新しい形での読者の参加だ。

推理小説をあまり読んだことがないので一概にそうだとは言えないが、普通推理小説はいろいろなところに散りばめられている証拠というかヒントを探しだし、事件を定義し、解決へと導くものだと思っている。ようするにヒントがないと話が進まないのだ。だから作者は話を進めるための新たなヒントを書かなくてはならない。そして読者はヒントを見つけながら自分なりの考えを持ち、作者の出す答えに対して反応する。「合ってた。」だとか「良い意味で裏切られた。」とか。自分の考えを組み立てるまでの過程がおもしろくて推理小説を読む人もいるだろう。何にせよ読者も作者もひとつの方向に向かって進むしかないのだ。「ひとつの絶対的な真実」というものに向かって。

でもこの「非実在推理少女あ~や」という作品はそうした参加ができない。だから読者は違った捉え方をしていきながら読み進めなければならない。私の場合上にあるツッコミになるわけだが。大和さんは話作っちゃったりしてるけど。つまり各個人でどういう読み方をしてもいいわけ。ミステリーなのに。あ、あと作者と同じ妄想をしながら読み進めた人はあ~やの続きの話考えて代筆してくださいお願いします。続き読みたいので。

真実はもはや無限に存在する。この作品の中では。だからこそミステリ界への「果たし状」という位置づけになっているのではないだろうか。完璧な真実などない。そして真実はひとつじゃない。ならばこの作品の未来性は――無限大だ。そしてそれに食らいついて行く読者の未来性もまた――無限大だ。
私のこのレビューが他の読者の未来性を広げるものとなればと節に願う。

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2011.07.14

「非実在推理少女あ~や」のレビュー

銅

非実在推理少女あ~や

名探偵偏愛

レビュアー:ラム AdeptAdept

「名探偵」といえば、何を思い出すだろう?
ただの探偵ではない。“名”探偵だ。
私はその「名探偵」的なものが大好きなのだが、事件を解決に導く人のことだと思っている。
みんなの前で真実を解き明かすだけが探偵の仕事ではない。言わなくても良いことは言わず、傷付く人がいるなら嘘を吐いたってかまわない。
そんな優しさを持つ者こそ名探偵たる資格がある。
私的な解答で申し訳ないが、この定義だと犯人を逮捕しなくても推理しなくても名探偵になれる。
あ~やは、恣意的ミストという世界を改ざんする道具で事件を解決に導く。
しかも恣意的ミストは、仮想した世界に悲しむ人がいなくなるまで何度でもやり直せる。
実際に事件のつじつまを考えるのは男子中学生の孫君だが、これを持つ限り私的にあ~やは名探偵以外の何物でもない。

アイラブ名探偵。
好きなものには大層甘くなる自覚はある、けど名探偵というだけでテンションあがるのに毎回わくわくドキドキ、爆笑さえさせてくれるんだよ、あ~や大好きだー!!

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2011.07.14

「非実在推理少女あ~や」のレビュー

銅

非実在推理少女あ~や

ジャンルを飛び出す、破天荒な愛情

レビュアー:大和 NoviceNovice

 この漫画は、読んでいて気持ちがいい。

 なんてことのない感想のようで、これって実は、ちょっと不思議なことだと思う。
 何故なら、僕はミステリーが好きなのだけど、『あ~や』という作品は皮肉たっぷりで、ミステリーを馬鹿にしているようにも読めるからだ。

 例えば推理者の設定だ。『あ~や』という作品は、恣意的ミストによる現実の改窮が様々なドタバタを生みだすわけだけど、これって「名探偵の推理なんて所詮こじつけに過ぎないよね」と言ってるに等しい。でもそんな設定を見ても、僕は不快になるどころか、むしろ気に入ってしまった。何故だろう? 答えはすぐに見つかった。

 この作品が、ミステリーに対する愛情に満ちているからだ。

 一見して『あ~や』は破天荒な作品で、ミステリーというジャンルを否定するようにも見える。しかしこの作品はタイムスリップしたり巨大ロボが出たりしながらも、最後はきちんと崩壊者の生みだした不条理に理由を作ってみせる。デタラメな作風から一種のアンチテーゼとして読みたくなるような作品だけど、実はミステリーの形式自体は決して壊されていない。『あ~や』という作品がやっているのは、ミステリーの抱えた問題をきちんと見つめながらも、ミステリーの形式に注がれてきた愛情や歴史を否定せず、むしろ肯定するということなのだ。

 こういった表現は現代において多く見られる。例えば最近話題の『魔法少女まどか☆マギカ』もそうだ。あの作品は魔法少女モノなのに、まどかは中々変身せず、戦う理由を探し続けた。それはジャンルに対する一種のアンチテーゼであるような素振りだけど、実際にはジャンルへの愛情を強く肯定する作品だった。

 ミステリーの歴史に名を残す作品には、ジャンル内でそれまで当然として扱われてきた価値観を壊してしまうようなものが多々ある。虚無への供物、匣の中の失楽、十角館の殺人、コズミック/ジョーカー、etc。けれどそういった作品群はミステリーを否定するようでありながら、どれもミステリーに対する溢れんばかりの愛がある。愛があるからこそミステリーのことを真剣に考えずにはいられない作品たちなのだ。そして『あ~や』という作品も、そういった作品たちの魂を、溢れんばかりの愛を受け継いでいる。

 アンチテーゼ的で破壊的なそれらの作品群と、むしろミステリーの型を守りジャンル性を肯定する『あ~や』という作品は真逆のことをやっているようにも思える。だが実のところ、結果的な方向性は違っても、そこに至るための前段階――「ミステリーを愛するからこそ」という部分は同じだ。何故違うベクトルの表現が出力されるのか?

 そこには時代性が絡んでいる。

 現代の表現はアンチテーゼであること自体にそれほど意味は無い。ただあえてルールを破るのであれば、それはむしろ予定調和の枠内であり、ミステリーファンへの目配せに過ぎない。無論、アンチテーゼ自体が無意味だということではない。だがこれだけ趣味や価値観が多様化してしまった現代では、ある程度の大きさをもったモノに対するアンチテーゼでなければ単なる内輪ウケで終わってしまう。そこには狭い界隈の中における「更新」はあるかもしれないが、ジャンルの未来を作る「発展」があるとは限らない。

 でもこの作品は、ミステリーを知らない人が読んでも面白いように作られている。

 ジャンルへの愛情とは中々難しいもので、そのジャンルが抱えた問題意識を深く扱えば扱うほど、そのジャンルについて詳しい人にしか伝わらなくなる危うさを秘めている。しかし『あ~や』という作品は、あえてミステリーというジャンルの枠から飛び出し、痛快で不条理で破天荒なギャグ漫画として振る舞うことで、逆に広い射程を持ったままミステリーが抱えた問題に言及することに成功している。(例えば探偵の倫理といった問題だ)そこに僕は、ミステリーに対する真摯な愛情を見ずにはいられない。

 無論、この作品はミステリーへの愛のみによって創られたのではないだろう。様々な偶然や思惑があるのだろう。でもこの作品がミステリーへの愛に溢れていることは一目瞭然だ。例えば非実在推理少女というタイトルに込められた意味、バスカヴィルやアイリーン・アドラーといった名前のパロディ、破天荒なギャグ漫画でありながらきちんとミステリーの型を踏まえた「推理者」「観測者」「崩壊者」の構造、ミステリーに内在する問題への言及……そういった数々のこだわりを前にして、どうしてこの作品が、ミステリーに愛情を注いでいないと言えるだろう?

 ミステリーが好きな人は、『あ~や』を読んでみてほしい。
 ミステリーに対する愛情を感じとることができるだろう。

 ミステリーが嫌いな人も、よく知らない人も、『あ~や』を読んでみてほしい。
 ジャンルに愛情を注ぐとはどういうことか、『あ~や』は教えてくれるだろう。

 この作品はミステリーを肯定する作品とも、ミステリーを皮肉る作品とも、ミステリーに縛られない自由でパワフルな作品とも読める。ありとあらゆる読み方ができる。その全てを『あ~や』という作品は肯定するだろう。でもやっぱり、『あ~や』を支えているのは、ミステリーというジャンルに対する、溢れんばかりの愛なのだと思う。

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2011.05.09

「非実在推理少女あ~や」のレビュー

金

非実在推理少女あ~や

可能性が生みだす「多重性」、「多重性」が生みだす可能性

レビュアー:大和 NoviceNovice

 参った。『非実在推理少女あ~や』が面白い。だからレビューしたい。でもレビューするのが難しい。書く事が思いつかないから、ではない。色んな切り口で語れすぎるからだ。例えば抱腹絶倒のギャグ漫画だとも言えるし、真摯にミステリーというジャンルについて言及する漫画とも言えるし、ミステリーというジャンルを吹き飛ばす痛快な漫画だとも言えるし、パロディがふんだんに盛り込まれたアイロニカルな漫画だとも言えるし、物語の本質に迫る漫画だとも言えるし、倫理について問う漫画だとも言えるし、あるいは同タッグの小説『コンバージョン・ブルー』と比べることもできるだろうし……難しい。僕は今、事件と対峙して頭を抱える孫和人みたいに、『あ~や』という作品が持つ多重性の前で佇んでいる。そこで僕は、『あ~や』が持つその「多重性」自体を、作品の魅力として語ってみることにする。

 『あ~や』の内容を簡単に紹介しておこう。論理的説明のつかない状況=事件を作り出し世界の崩壊を目論む『崩壊者(ディザスタ)』と、事件に論理的説明がつくよう現実を改竄する『推理者(ディテクタ)』。主人公・孫和人は『推理者』の改竄に影響を受けない――改竄前の記憶を維持できる『観測者(ディレクタ)』であったがために、『推理者』あ~やと共に『崩壊者』と戦うことになる、という漫画だ。

 この作品が持つ面白さの一つは、あ~やが繰り出す無茶苦茶な推理にある。あ~やは『恣意的ミスト』という能力によって現実を自由に改竄することができる。しかしあ~やには倫理や常識が無く、その能力は自由すぎるが故に、しばしばキャラクター達は多大な迷惑を被る。例えば清楚可憐な少女が筋肉ムキムキの残虐殺人鬼にされてしまったり、コンダラが自我を持って人類滅亡を企てたり、メイド喫茶の人々が未来に漂流してしまったりする。それは名探偵の推理というより、ほとんどギャグやボケの類だ。だから主人公である孫和人は、あ~やの推理に対してツッコミを入れ、より良い推理を求め頭を捻る。

 あ~やの能力は圧倒的に自由だ。『崩壊者』が固定した事象に対して理が通っていれば、どんな形にでも現実を改竄することができる。理が通ってさえいれば何事も無かったようにもできるし、人類を滅亡させることもできる。そうやって事件解決の可能性が無数に重なり合ってるみたいに、この作品には多重性が与えられている。

 例えば、あ~やを見てみよう。『非実在推理少女あ~や』というタイトルには、少なくとも三つの意味が重ねられている。一つは文字通り、恣意的ミストによる「非実在推理」をする少女である、という作品内容の紹介。一つは『非実在青少年』をもじった皮肉。一つは名探偵という存在そのものが非実在=フィクション上でしか成立しえない存在である、という指摘だ。

 一つ目は割愛させていただこう。二つ目に関しては大雑把な説明に留まらせていただくが、『東京都青少年健全育成条例』に書かれていた条文が恣意的な解釈によっては表現規制や言論弾圧になりかねない危険なものだとしてネット上で話題になり、その中の『非実在青少年』という言葉が特に注目を集めた。あ~やという「美少女キャラ」はまさしく『非実在青少年』にあたる。『非実在推理少女』という特徴的なフレーズは明らかにこの問題に対する皮肉だ。(加えて言えば、都条例問題自体も『あ~や』という作品のように恣意的な解釈によってコロコロと姿を変える存在であるように思う)

 三つ目はどういうことか。探偵は本来ならば、究極的には事件の真相を真相だと知ることはできない。どれだけ確からしい証拠を見つけたとしても、それが「犯人の用意した偽の証拠」である可能性を完全にぬぐい去ることはできない。どれだけ真実らしい推理に辿りついたとしても、それが真実である保証は無い。しかしミステリー作品においてはしばしば、名探偵の語った推理が当然のごとく真実として扱われる。こういった時、「名探偵」にはフィクション特有のメタ的な特権が与えられている。例えば「作者からの挑戦状」という形で、これから名探偵が語る推理は真実ですよ、ということを作者が保証するわけだ。(ただし多くの作品はそれすらなく、暗黙の了解として名探偵の推理は真実として扱われる)そういった、メタ的な特権に依拠せざるをえない「名探偵」という存在は、フィクションでしか成立しえない存在なのだ。だから超常的な能力で無理やり事件に理を通してしまうあ~やの在り方は、名探偵として全く間違っていない。

 他のキャラクターにも目を向けてみよう。例えば主人公・孫和人は『観測者(ディレクタ)』という能力を持っているが、ここに一つの多重性がある。量子力学から来ているであろう「観測者」という言葉は、本来ならばobserverが正しい。だがここではディレクタ=directorというルビが振られている。すなわち、孫和人には『観測者』=視点人物、ワトソン役としての立ち位置と、ディレクタ=編集者、世界を恣意的に編集する存在という立ち位置が同時に与えられている。あ~やという名探偵=常軌を逸した存在に対し、孫和人はワトソン役=読者に近い視点を持った存在だが、あ~やは世界の常識をよく知らないが故に推理の妥当性を孫和人に判断させるほかなく、したがって世界を恣意的に編集する特権は孫和人に与えられているのだ。だから僕らは『観測者(ディレクタ)』という言葉から、ワトソン役としての孫和人をイメージできるし、世界を編集する孫和人もイメージできる。(あるいはここから、「観測」するというプロセスには不可避的に「恣意的な編集」が介入してしまうため両者は不可分なのだ、というメッセージにも読めるだろう)

 何故この作品は多重性を纏うのだろうか。それは作品のタイトルにあ~や=「言葉の綾」、多義性を意味する言葉を冠したことからも分かるように、この作品が「解釈すること」にスポットを当てているからだ。言い換えれば、無数にある可能性の中から一つの現実を「選び出す」ということを、この作品は語っている。

 ここにノベルゲーム的な想像力の影響を見出すことは難しくない。錦メガネ氏は美少女ゲーム≒ノベルゲームのシナリオライターだ。何かを選ぶことで何かを切り捨ててしまう、という問題意識は(特にマルチエンディングを持つ)ノベルゲームにおいて幾度となく題材にされてきた。例えば、ある一つのルートでは一人のヒロインが救われるが、他のルートで救われるはずだったヒロインは死んでしまう、といった具合だ。ここでは主人公≒プレイヤーの選択一つに生殺与奪が握られてしまう。中には主人公にプレイヤーと同等のメタ視点を与えることで、誰かの運命が自らの選択によって決まることを主人公に自覚させる≒ノベルゲームの形式に自己言及する作品も多く、孫和人にもそんな作品達と同様のメタ視点が与えられている。

 こうして孫和人のメタ視点に注目した時、『あ~や』という作品は孫和人の倫理性を問う方向に向かうだろう――と考えることは自然なのだけど、ここで僕はもう一つの方向性を提示したい。それは、この作品をミステリーとして見た時、倫理を問われるべきは「名探偵」であるあ~やではないか、ということだ。

 名探偵とは根本的に非倫理的な存在だ。何故なら名探偵が事件を解決するには、事件が起きなければならないからだ。言い換えれば、事件が起こらなければ名探偵は名探偵でいることができないのだ。ここで『推理者』と『崩壊者』の関係を見てみよう。『推理者』は一見、『崩壊者』の企みを阻止するヒーローのように描かれているが、しかし『推理者』は『崩壊者』の起こす事件そのものを未然に防ぐことはできない。これは従来のミステリーでも揶揄されてきたことだ。名探偵という存在は多くの場合、事件が起こることを防ぐことはできず、大量の被害者を発生させてから、出揃った証拠でもって推理を披露する。『推理者』もまた、『崩壊者』が起こす事件なくしては『推理者』たることができない。非倫理的な犯行に依拠せざるをえない「名探偵」という存在は、犯人同様に非倫理的な存在なのだ。

 しかし今のところ、あ~やは倫理的な責任から逃れている。それはあ~やが徹底的に条理から逸脱した存在として描かれているからだ。例えばあ~やの眼を見てみよう。他のキャラクターと比べ、あ~やの眼は明らかに異なる存在として描き分けられている。そもそもが別世界から来た存在だし、初登場シーンや『恣意的ミスト』による「推理」を見ても、あ~やはこの世の条理に全く縛られていない。

 だが、あ~やの推理によって引き起こされてしまう危機や問題の「責任そのもの」は消えていない。その責任は、推理の妥当性を判断する孫和人に転嫁されている。ここであ~やを、孫和人に特権を与える舞台装置的な存在であると見なすことは可能だけど、やはりあ~やは、非実在的な存在でありながらも、主体的な人格を持った美少女キャラクターなのだ。だから、あ~や自身が倫理性に目覚めていく未来も一つの可能性としてありうるのではないか。例えば第二話の冒頭では、やや的外れながらも、あ~やがこの世界の常識を学ぶため努力している様子が見られる。この世界において、孫和人と同等のメタ視点を持つ存在は(『崩壊者』を除けば)あ~やしかいない。新たな『観測者』が現れない限り、孫和人と「責任」を分かち合える存在はあ~やしかいないのだ。だから僕は、あ~やの成長や倫理性の自覚を、孫和人に与えられた暴力性を解除する一つの可能性として提示したい。

 そんな感じで色々と期待できる作品だっただけに、作者が失踪して作品が打ち切られてしまったのは残念でならない。まだ作者がいて漫画が続いていたらどんな作品になっていただろう? しかし『あ~や』という作品は、そんな風に僕らが想像して楽しむ無限の可能性を肯定してくれるはずだ! ありがとうあ~や! ありがとう孫和人!

         *         *         *

「……ってコラァーッ! 何も解決してねえじゃねえか!」
 孫和人はそれまで覗いていた巨大なレンズ――『懐疑的ステッキ』を地面から抜くと、全力で床に叩きつけた。
「どこか不満かね、少年?」
「不満かね、じゃねえ! 殺す気か!」
「まぁ落ちつきたまえよ。今のは軽いジョークのようなものさ」
 そう言って、あ~やは口にくわえていたパイプ――『恣意的ミスト』を手に取り、逆さにしてポンと叩いた。途端、周囲の空間が激しく揺らぎ、ひゅおおああっ、と煙のようなものが少女の足元に集められていくと――やがて黒い塊になり、塵となって消えた。
「ったく、勘弁してくれよ……」
「しかしなぁ、どうするつもりかね。『推理者』としては、ここにある不可能状況を放置するわけにはいかないのだが」
 あ~やはチラリと、横で広がっている惨状へと目を向けた。
「わかってんだよ、そんなこと」
 孫和人は、目を向けなかった。

 昼休みのことだ。森下あめりの姿を探して校内をぶらついていた孫和人は、不意にもよおして、三階の男子トイレへと立ち寄った。用を足していると、きい、と音を立てて、背後で一つの個室が開いた。何の気なしに振り向いて――体を硬直させた。
 そこには、首と胴が切り離された、血まみれの死体が倒れていた。
 あまりの事態に、孫和人は声すらあげることができなかった。
 ただ死体に驚いたからではない。
 床に転がっていた、苦痛に顔を歪めた首。
 それは間違いなく、孫和人の首であった。
 死体の手には『非実在推理少女あ~や』というロゴの書かれた漫画本が握られていた。
 あ~やの到着を待つまでもなく、それが『崩壊者』の攻撃であることを、孫和人は理解した。

 二人は推理によって変わった未来を『懐疑的ステッキ』で覗いていた。あ~やは手始めに「孫和人は未来で漫画家になりタイムスリップして現代に来たのだ!」と推理したが、これは採用されなかった。孫和人が殺害される未来を固定することになってしまうからだ。
 あ~やによれば、固定された事象は二つあった。「三回の男子トイレに孫和人の死体が転がっている」という事と、「『非実在推理少女あ~や』という漫画が存在する」という事だ。
 前者は無論、ここに生きた孫和人がいるのだから矛盾している。後者は無論、彼らは漫画のキャラクターではなく現実にそこにいるのだし、『観測者』以外は恣意的ミストによって記憶がアップデートされてしまうのだから、そんな漫画を書ける人物がいるはずがない。
 崩壊者やあ~やが起こす不条理にも、いい加減慣れてきた――そう思っていた孫和人だったが、さすがに自分の死体には参ったらしい。物憂げな表情で、一つ、大きな溜息をついた。
「どうした少年。いつもの調子が出ていないようだが」
「こんなモン見せられて調子なんぞ出るか。……なぁ、どうして崩壊者ってのは、わざわざ世界なんて崩壊させたがるんだ?」
「さてね、連中の考えることは分からんよ。確かなのは、それを望む奴らがいるってことさ。……まぁ、こんな悪趣味な攻撃をしてくるくらいだ。崩壊者は案外、近くで我々を見ているのかもしれんな」
「なんだそりゃ、もう勘弁してくれ……そうだ、思いついたぞ! 『死体は俺のクローンだった!』これなら助かるだろ!」
「ふむ。試してみる価値はあるが、恐らく現代の科学水準が飛躍的に向上するぞ。それでも構わないのであれば……」
「――いや、やめとこう。やっぱ気が乗らねえ」
 一度は目を輝かせ立ち上がった孫和人だったが、頭を抱えて再びしゃがみこむと、苛立たしげに頭を掻き毟った。推理を取り消したのは、世界を大きく変えてしまうから、という理由もあったが、それより犠牲になるクローンに対して気が引けたのだった。クローンだからって、勝手に生みだしといて、勝手に身代わりで殺してしまっていいのだろうか? 孫和人の中で、答えは出そうになかった。
「だが着眼点は悪くないぞ、少年」
 孫和人の肩に、あ~やはそっと触れた。
「つまりはこういうことだ。この死体はキミの死体だが、キミが死体になったものではない。そしてこの漫画は我々の事が描かれた漫画だが、我々を見て描かれた漫画ではない」
「……アイデアがあんのか?」
「うむ、任せてくれたまえ!」
 そう言うと、あ~やはコートの裾を翻し、『恣意的ミスト』を大きく吐き出して、世界を相手取るように力強く言い放った。

「――推理推参、理を推して参る!」

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2011.03.01

「非実在推理少女あ~や」のレビュー

銅

非実在推理少女あ~や

ミステリーの皮を被ったナニモノか

レビュアー:牛島 AdeptAdept

「推理推参っ 理を推して参る」
そんな決めゼリフの名探偵あ~やこと、斜岩=バスガヴィル=綾と、硬派・純情・一途と三拍子揃った不良兼ワトスン役の少年、孫 和人(そん かずと)の二人を中心に物語は進行する。

あ~やは「崩壊者(ディザスタ)」と呼ばれる超常の存在が引き起こした「非合理な」事件に、「合理的解決を与える」事によって世界を保護する「推理者(ディティクタ)」と呼ばれる存在であり、和人少年もまた「観察者(ディレクタ)」と呼ばれる特殊な存在なのだ。
二人は頭脳と、現実を改変する魔法のパイプ「恣意的ミスト」を駆使して次々と難解で不可能な犯罪に決着をつけていく!

……とまあ。
ここまでだって別に嘘は吐いてないんですが。
この物語の本質はそこじゃない!
そんな頭脳ゲームのような堅苦しさとは無縁なのです!
レビューの場で適切なのかはわかりませんが、かつて松井優征先生が自身の作品「魔人探偵脳噛ネウロ」のことを「ミステリーの皮を被ったコメディー」と評しておられたことがありましたが、「あ~や」を読んでいて不意にその言葉が甦りました。
間違ってもハードボイルドな探偵と助手がクトゥルフじみた化け物と推理合戦を繰り広げる伝奇ストーリーではありません。世間知らずと、馬鹿と、馬鹿で変態な人たちがコミカルに活躍する不条理ギャグマンガです。とにかく笑えます。「コンバージョン・ブルー」のカッコイイ錦メガネ先生はどこに行ってしまわれたのでしょう……。

さて。
しかし、です。
私にはこれがどうにもただのギャグマンガで終わる作品には思えないのです。
確かに「あ~や」はミステリーの皮を被っていますが――その本質は、まだ誰にも判らないのです。

……ま。深読みかもしれませんが。

ただ笑いたい人も善し、今後の展開を深読みするも善し、真剣に理を推すも善し、……シオミヤイルカ先生の絵に惚れ惚れするも善し!

とにかくこの作品を読んでみて下さい。
きっと、更新が待ち遠しくなりますよ。

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2011.02.10


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