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レビュアー「USB農民」のレビュー

銅

リヨ『ミス・モノクロームさん』

普通ではないアイドル漫画

レビュアー:USB農民 Adept

 アイドルを題材にした漫画は世の中にたくさんある。しかしこんな漫画は見たことがない。
 ヒロインはアイドルを目指すアンドロイド(?)で、女マネージャーと二人三脚でアイドルとしての成功を目指していく。このストーリー自体はアイドル漫画としておかしくはないと思う。けれど、本編を読んでみると、そのほとんどはアイドルと無関係の活動が描かれている。
 ファミレスへ入り、ドリンクバーとテーブルの間を嬉々として往復するモノクロームさん。東京ドームの天辺からドーム内を覗くためにドーム外壁(そこはなぜか雪山だ)を登るモノクロームさん。マラソン勝負がカートレースに変更され、スタート直後にクラッシュしてカートを壊し、最終的には自分の足で走ってぶっちぎりで優勝するモノクロームさん。歌で人心を掌握するモノクロームさん(これはちょっとアイドルっぽいか?)。歌でマイクロウェーブを照射するモノクロームさん(これはちょっとアンドロイドっぽいか?)。
 なんというか、モノクロームさん、普通のアイドルではない。しかしおもしろい。モノクロームさんの活動がアイドルかそうでないかなど、あまりに些細なことなのかもしれない。

(余談ですが、wikiの「アイドルを題材とした漫画作品」の項目には、「ミス・モノクロームさん」はありませんでした……その辺も、モノクロームさんが普通のアイドルではないことを物語っている気がします)
(しかし、同じ項目に「大日本サムライガール」はあるのにな……)
(2014年6月5日時点)

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2014.06.18

銅

久弥直樹『サクラカグラ』

『ONE』『Kannon』の「次の作品」

レビュアー:USB農民 Adept

 久弥直樹さんの名前は、少し特別な名前として、私の記憶にずっと残っていました。

『ONE』『Kanon』で「泣きゲー」という一大ジャンルを築いた立役者の一人である久弥さんは、しかし『Kanon』以降、新作を発表することなく6年間が経過します。私はその間に、美少女ゲームとは疎遠になってしまい、その後の久弥さんの作品は遊んでいませんでしたので、今でも久弥さんの作品といえば『ONE』と『Kanon』というイメージが強いです。私が美少女ゲームに傾倒するきっかけとなった作品でもあります。十年前の作品ですが、今でも思い出深い作品です。

 ところで、久弥さんには代表作と言える作品がもう一つあります。上記の2作品に比べると知名度は劣るかもしれませんが、『MOON.』という、『ONE』以前に作られた作品です。この作品もまた、美少女ゲーム史において重要な作品なのですが、『サクラカグラ』の帯には『MOON.』の名前はありません。ただし、カバー見返しの著者略歴には『MOON.』についての記述があります。
 最初、不思議に思いましたが、本書を読み終えた今では、帯であえて『ONE』と『Kanon』の2作品を挙げていた意図もわかります。
 それは、『サクラカグラ』が『ONE』『Kannon』を想起させるストーリーとなっているからです。

『サクラカグラ』一巻は、本編の章2つと、短い断章の2つで構成されています。本編の章は、それぞれ視点人物を切り替えながら、学園内で誰にも知られずに起こっているとされる、不可思議な事件の謎に迫っていくストーリーです。
 最初の本編「コノハナカグラ」で、主人公の少女に明かされる真実は、『ONE』の「永遠の世界」を思い起こさせる設定です。また、2編目の「リンネカグラ」では、夜の後者で「悪」と戦う少女と、それを見守る主人公が描かれるのですが、これは『Kannon』の川澄舞シナリオを踏襲しています。
 つまり、明らかに『サクラカグラ』は、久弥さんの代表作2作品を踏まえて書かれています。
 読んでいる間、まるで『ONE』『Kannon』の「次の作品」を読んでいるような気分でした。私の中で『Kannon』から止まっていた久弥直樹作品が、再び動き出したような気がしたのです。

『サクラカグラ』はまだ一巻が出たばかりです。今後どう物語が展開していくのかわかりませんが、今からこの物語がどう完結するのか、私は楽しみでなりません。

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2014.06.18

銅

イオン『フィラメントスター』

「誰か」への通信。イオンという少女の物語。そして私たちの物語。

レビュアー:USB農民 Adept

 この「お話」は圧倒的に正しい。だからイオンは「(このお話は)書いただけで意味があった」と言う。でもその後すぐに、「やっぱり貴方に聞いてもらって完成する気がする」とも言う。どっちだよ、と思うが、どっちも正解で、とにかくイオンが語るこの「お話」は圧倒的に正しい。
 自分が持っていないものを知るには時間がかかる。それは、才能だったり、若さだったり、知性だったり、マナーだったり、とにかく「ない」ことを知るのは時間がかかる。すごく時間がかかる。そして、知ると絶望する。とんでもなく辛いことになる。この「お話」の少女もまた、ずっと一人で暮らしていたことや、自分には「誰か」がいないことに気づくのに時間がかかった。気づいてからはすごく辛い。それから少女は、ずっと「誰か」について考えて、「誰か」に向かって交信を試みる。
「誰かへの通信」というモチーフは、この朗読CDというメディアや、ゲームのキャラクターとコミュニケーションを行う原作ゲーム『シェルノサージュ』の構造が強く意識されている。幻かもしれない星の光に言葉を投げるイオンと、(言うまでもなく虚構の存在である)イオンに向かって、コミュニケーションを行う『シェルノサージュ』のプレイヤーはとても似ている。
 私たちは虚構のキャラクターや人格に向けて言葉を投げることができる。ヒーローショーのヒーロー。たまごっち。二次嫁。アイドル。神様。幽霊。キャバクラ。ぬいぐるみ。本当は存在しない、あるいは作られた存在であることを知っていながら、言葉を投げることができる。
 私は、それをとても素晴らしいことだと思う。
「誰か」に向けて言葉を投げることは、悲しくもないし、虚しくもないし、まして無意味だなんてことは全くない。
「誰か」に向けた言葉は、形がなくても、触れなくても、自分の心に何かを残す。
 イオンは、この「お話」を作ることで、そんな風に「誰か」への通信を肯定していて、それは圧倒的に正しいと私は思う。

 この「お話」は、イオンという少女の物語だ。
 そして、私たちの物語だ。

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2014.05.20

銀

大間九郎『メイ・デイ』

大間九郎の描く、最悪な人間と、最悪な世界と、人の心を動かす「何か」。

レビュアー:USB農民 Adept

 大間九郎の描く物語が好きだ。

 主人公(小学生女子)の父親は、クズだ。人としても親としても作家としてもクズだ。そいつの名前は大間九郎。本当だ。別に作者をディスっているわけじゃない。
 主人公の少女は、クズの父親と二人で生活している。家事炊事は少女の仕事だし、朝が来るたびに父親が寝ゲロを喉に詰まらせていないか、真冬に裸で布団にも入らず寝ていないか、そもそも生きているのか、確認するのも少女の仕事だ。それが小学生女子には荷の重すぎる酷い生活であることは間違いない。そんな少女の心を支えているのは、「大間九郎」(紛らわしいので、登場人物の大間を「」で括る)が昔に書いた小説だ。そこに書かれた言葉は、少女にとって世界のどんなものよりもきれいですてきな「魔法の言葉」だった(大間九郎による「大間九郎」の持ち上げっぷりが凄まじい)。「魔法の言葉」を使う「魔法使い=「大間九郎」=父親」の血を自分は引いているという事実は、少女に、自分もいつか「魔法の言葉」を使う「魔女」になることを決意させる。

 少女はよく理解しているのだと思う。どんなに最悪な人間にも、人の心を動かす「何か」はあるし、どんなに最悪な世界でも、人は「何か」に心を動かされながら生きていくということを。
 それが大間九郎の描く物語だ。

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2014.05.20


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