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レビュアー「ひかけ」のレビュー

銅

月の珊瑚

どこかで見た光景

レビュアー:ひかけ Novice

「月」と聞くとみなさんはどんなことを思い浮かべますか。

地球の衛星?

「太陽」と対を為すもの?

または女性の…。

古来より「月」というものは様々な物語に登場してきました。そして「月」を扱った物語で日本人にとって最も馴染みのあるものと言えば「竹取物語」でしょう。

今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろずのことに使ひけり。名をば、さぬきの造となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。

中学校のときに暗誦したのではないでしょうか?古典への導入への第一歩、それがこの作品なのですから。少なくとも私はそうでした。中学生の時分には「なんだこれ!ただのかぐや姫じゃん!」とはしゃいだりしたものです。

さて、そろそろ本題へ入りましょう。ここまで言えば察しがつくと思います。そうです。「月の珊瑚」と「竹取物語」との関係について論じたいと思います。私はこの「月の珊瑚」の漫画のほうしか読んでいませんが、この作品が「竹取物語」を意識して作っていることは容易に想像できます。

「アリシマの君」という「君」という言葉。十二単…ではないですが和装をしている女の子。鳥居。簾。姫。そして婚姻の条件で掲示した「月のサカナを用意できますか?」という無理難題。アリシマの歌。和風な建築物。数々の求婚者。そして満月。

昔の記憶を掘り返してください。竹取の翁が光る竹を割り、9センチくらいの女の子を拾い、かぐや姫と名付け、大きくなるまで育て、様々な求婚者をバッサリと切り捨てていく。そんな描写がありましたよね?まさにこれと同じようなことをやっているのです。奈須きのこは明らかに意識している。これは明白です。ではなぜ「竹取物語」をオマージュしているか、そんなことは皆目検討も付きません。ですが「竹取物語」を意識して読者は読み進めるべき、それだけは断言できます。

海月姫 愛の内実 知らねども 幸福こそは 知られけれ

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2013.06.22

銅

空の境界 the Garden of sinners 3/「痛覚残留」第四回

変態現る

レビュアー:ひかけ Novice

私ははっきり言って「アブない」女性が好きである。

これだけ見ればただの変態的な思考の持ち主だと思うだろう。…そのとおりだ。ただこの「アブない」というのはいろいろな意味を持っている。あくまで私の内でだが。この作品で言えば、純粋に大きな力を持つ「両義式」は「アブない」存在のはずだ。下手をすればこちらが殺されるかもしれない―そんなことさえ思わせるくらいに。

ただこの痛覚残留。もうひとり大きな力を持った「アブない」女性が存在する。それが「浅上藤乃」である。「凶れ」と相手に向かって呪詛のように呟くだけで何もかもがねじ切れる。視界に入るだけでこっちがねじ切れるなんて考えてみただけでもかなり「アブない」。だがそれだけではなかったのだ。…すいません正直言ってこのコミックス版の藤乃がエロすぎます。ええ、みなさんおわかりの通り「アブない」です、性的な意味で。でもまだ終わりじゃありません。腹部を抑えながら、しんどそうに息を切らして町を進む姿―もう見ていられないくらい「浅上藤乃」という女性の存在の「危うさ」が見てとれました。
どうして痛みを堪えてまで進んでいるのだろう、いつこの痛みから解放されるのだろう、もしかしたら死んだ時にようやく痛みから解放されるのではないか、まるで小さな花弁を散らしていく花のように消え入りそうなその女性は、そんなことを思わせるくらいに「可哀想」で「扇情的」、そして―「暴力的」だ。

ああ、「浅上藤乃」よ。キミはどうしてそんなにも甘美に私を誘ってくるのだろうか。
やっぱり私は「アブない」女性が好きな「アブない」人間だったらしい。

最前線で『空の境界 the Garden of sinners』を読む

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2012.05.18

銅

Fate/Zero

非連続性を持つ時間による産物

レビュアー:ひかけ Novice

人は誰もが時間の忘却というものを経験するはずだ。例えば友達と遊んでいてらいつのまにかお開きの時間になったり、本を読んでいたらいつの間にか朝だったり。

時間を忘れて何かに取り組むことにはやっぱり自分にとって楽しいことがあてはまる。遊び、読書、スポーツ等々をしていたらそういった体験は何度でもすることだろう。逆に逃げ出したくなるくらい恥ずかしいこととか嫌なことは時間が長く思える時があったりするけれど。

このネタ自体は昔からよく使われている。マンガでもネタにしていたのを見かけたことが何度か目撃したことがある。みなさんも結構経験しているはずだし、説得力があるというかうなずける内容なので今更私はそれに言及しない。では何が言いたいのか。答えは簡単である。

「Fateって時間ドロボウだよね!」ってことです。

アニメも始動しているけれど本当にFateってなんだろうね。小説のほうでは読みふけって朝になるし、アニメでは30分アニメのはずなのに10分くらいに感じられてしまうし、私自身いろんな人がアニメ終了時に「もう終わり?」という反応をしているのを目撃する。次が愉しみで愉しみでたまらないという気持ちを吐きだす人もいた。小説でも次が愉しみでページを捲るのが楽しくなり時間が過ぎ去る。そしてFate/stay nightのゲームに至ってはどれだけ急いでも全クリするのに50時間はかかるという代物だ。というか50時間もやったとは思えないですよ。もう50時間?となるのがだいたいの人の反応のように思います。

これはまだFateの愉しみ方の一部です。探せばまだまだ出てくるのですがここでは控えておきます。私のレビューで時間ドロボウさせたら悪いですからね。私のレビューが時間を忘れるくらいにおもしろく思えるかは置いておいて。さっさとFate堪能してこい!あ、でもまだレビュー続くので心優しい方は読んで行ってくれると嬉しいです。俗に言うツンデレとかそんなんじゃありません。あらかじめ釘を刺しておきますが。

時間が一瞬に思えるほどこの作品はおもしろい。本当に「時間を忘れて」愉悦に浸ることができる。
Zeroは少し血なまぐさい感じがするので苦手な人には苦手かもしれないが、無駄に熱い益荒男共の「生き様」と言うべき何かを感じ取ることができるので、苦手な人もチャレンジしてもらえたらなと思う。
まぁこれは私の願望であるのだが。少し本題からずれたので戻しておく。

それでは戻って「時間」のお話。Fateに時間を忘れさせられた人は本当に多いと思う。全員ではないだろうが。なぜこんなにも私が時間を意識するのか。それはアニメの放送期間によるものがある。

アニメは普通、一週間に1回のペースで放映される。アニメを視聴した場合続きを見るためには一週間という期間を必要とする。その間にそのぽっかりと空いた「時間」を過ごさないといけなくなる、ということを実感させられる。「続きは一週間後か…」というふうに。つまりその「期間」という「時間」を思い起こすことになってしまう。長いと感じるか短いと感じるかはその期間に何をやるか、そしてどんな思いで過ごすのかによって大きく変わってくる。楽しく過ごしてきたなら早いと感じるだろうし、何か嫌なこととかがあった場合は遅く感じる。どちらにしても「時間」を意識する結果になるだろう。今まさに私がその状態であるのだが。

ここまでの流れを踏まえてひとつ言わなければならないことがひとつある。
それはFate/Zeroファーストシーズンを終えてからセカンドシーズンに行くまでの「長い期間」についてである。誰もが知っていることだがFate/Zeroのアニメは2部構成みたいになっていて一度休憩時間のように数カ月を挟んでからセカンドシーズンの放送が始まる。そのときにみんなはその期間をどのようにかはわからないが意識させられることとなる。この「期間」をどうすごせばいいんだろうか。アニメが放映される期間である「一週間」を大幅に超える「期間」に何を思うのだろうか。中にはこの空いた時間にもFateを愉しむ猛者がいるだろう。ゲームをやったり、小説を読んだり、最近よくある2次創作への昇華を行ったり様々であるが。

「時間」を何に使うのか、どのように使うのか。それは私がこれだ!というものではない。
各個人が選択し、進んでいくものだ。ただ「時間への意識」がなされた時、その意識を持ちながら何をするのか、何に意識を向けるのか、それが気になるのである。もしかしたらFateという作品から心が離れてしまうかもしれない。ゲームやったりしてもっとFateに近づくのかもしれない。これは決して危惧ではない。
Fate熱が冷めてしまうのかもという危惧ではない。ただの愉悦だ。私が知りたいだけなのだ。どんなふうにこのFateとの関係を各人が「時間への意識」の中で持つのかが知りたいだけなのだ。知ったところで何かが変わったりするわけではないがやはり知りたい。そんな小さな願いこそ私がFateを通して「時間への意識」を持ったときに生まれた「興味」なのである。

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2012.01.17

銅

Fate/Zero

Fate/Zeroという本の持つ小さな魔法

レビュアー:ひかけ Novice

私は星海社出版 Fate/Zero文庫版第6巻 をとある友人の誕生日プレゼントとして送りました。

その友人は星海社と私とをレビュアー騎士団という形で繋いでくれた人物であり、今でも多く交流を持っている人物です。始まりはその友人の「Fate/Zeroは1巻無料で読めるよー」という軽い一言から始まりました。そして口車に乗せられレビューをひとつ書くことに。そしてその書いたレビューが「Fate/Zero第1巻」についてのものなのです。これが私のレビュアー騎士団、星海社との関係の始まりでした。
私はその関係の「始まり」をくれた友人に感謝するとともにお返しがしたいという欲求に駆られました。そんなときFate/Zero6巻(最終巻)の発売と友人の誕生日が同じ時期に重なりました。これはチャンスだ!そう思いました。発売日になったら即効で買いに行くと思ったので、先に「誕生日プレゼントとして渡すから買うのは待って!」と釘を刺したなんてこともありました。そして渡しました、渡せました。
Fateに始まりFateに終わるとはまさにこのこと。「始まりであるFate/Zero1巻を友人からもらい、そして最終巻である6巻で私が返していく。」すごく運命めいたものを感じました。Fateだけに。

プレゼントに「本」という選択肢というのも考えてみてください。意外とおもしろい運命を辿ることになるかもしれませんよ?私のように。そして是非、星海社文庫のご利用を(宣伝)

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2012.01.17


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