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読者レビュー

銅

佐々木寿人『人生勝たなきゃ意味が無い』

麻雀が強くなった気分(錯覚)

レビュアー:USB農民 Adept

 麻雀。
 牌を巡って4人が技術と度胸と運を競い合う知的遊戯である。
 しかし、このゲームの勝利において、運の占めるウェイトはそれほど高くない。技術と度胸=精神力こそが勝敗の明暗を分けることは、麻雀を長く続ければ続ける程、はっきりと実感できる。

 ーーこんな文体のまま続けていくと、まるで私が麻雀に詳しいと誤解されそうなので、この辺でくだけた調子に切り替えておこう。麻雀は好きだが、あくまで下手の横好きの領域をでていないのが実状だ。
『アカギ』を読んだ後は、自分も麻雀が強くなったような気分になり、『オバカミーコ』を読んだ後も、自分が強くなったように錯覚した。『ムダヅモ無き改革』は、これはさすがにそんな錯覚をする余地はなかった。(注:どれも麻雀漫画)

 星海社ラジオ騎士団で、高井舞香さんとさやわかさんと緑萌さんの三人のトークでこの本が紹介されていて、興味をもった私は早速その本を読んでみた。結果、私は自分が麻雀が強くなったような気分になった。(注:錯覚です)

 麻雀が強くなった気分になる作品には、2つの共通点がある。一つは、作中で勝つための麻雀理論が語られていること。もう一つは、その麻雀理論を実践し、勝利する人物が描かれていることだ。
『アカギ』に登場するアカギは、常人とは別次元の人生哲学を持ち、ギャンブルにもその哲学=理論を用いて勝ちを積み上げる。『オバカミーコ』は、麻雀理論の解説と、勝負の場での実践が毎回の定型となっている。『ムダヅモ無き改革』は麻雀理論が出てこない(だから麻雀が強くなる錯覚は起こらない)

『人生勝たなきゃ意味がない』にも、麻雀理論が登場し、その実践者として著者である佐々木寿人がいる。ここで面白いのは、『オバカミーコ』は客観的な戦法を解説することが多いのに対して、『アカギ』や『人生勝たなきゃ意味がない』は、主観的な人生哲学が麻雀理論の大きなウェイトを占めていることだ。
 普通、理論とは客観的な方が人を説得しやすい。にも関わらず、アカギや佐々木さんの理論は、驚くほど説得力がある。なぜか。それは、彼らが実際に勝っているからだ。主観的な人生哲学でも、実際に勝利に貢献しているなら、それは紛れもなく、勝つための理論だ。
 自分の人生哲学の有用性を他人に認めさせる方法は、その実践でしかあり得ない。
 タイトルには、そんな意味も含まれているのだと思う。

 ……ところで、「麻雀が強くなった気分」になった後は、誰かと麻雀が打ちたくなる。強くなった気分が錯覚だとしても、そうやって気分を高めて打つ麻雀が楽しいのは純然たる事実で、だから私はこの手の本が好きだ。
「麻雀が強くなった気分」にさせる本は、麻雀で勝ちたい気持ちと、麻雀を楽しみたい気持ちの両方を刺激してくれる。

2013.07.08

まいか
麻雀が強くなった気分は高井もよく感じます(笑)アカギにもハマりましたwせっかくすごい本を紹介してもらったのに私がまだこの本を読めていないので早く読みたいです・・・・あぁ、今直ぐ!麻雀がしたいっ。
さやわか
いやあ、このレビュー面白いですね。僕、これ好きです。本を読んで得られる「麻雀が強くなった気分」が、結局のところ錯覚だというのがいいですね。なぜそう錯覚するかが解説されていて、なるほどと思わされてしまう。はっきりとした根拠があるわけではないのですが、そうかもしれないと錯覚してしまう。そこが面白いです。ギャンブルにまつわる本だかららこそこういう書き方ができるのか、わかりませんが。タイトルについての指摘なども面白く読めました。そういう魔術的に納得させられてしまう書き方ではあるのですが、それでも本書が具体的にどんな「主観的な人生哲学」を披露しているかが全く書かれていないのは不思議なことだと思いました。そこがもう一言くらいあると、よりこのレビューを信じ込んでしまえるかもしれません。もっとも、それが書いていないから(具体的な理論に踏み込んでいないから)納得してしまえることもあるかもしれないんので、一長一短かもしれないですけどね。ひとまずここでは「銅」ということにいたしました。

本文はここまでです。