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読者レビュー

銅

『僕たちのゲーム史』

歴史という物語

レビュアー:やぎぽん Novice

ゲームの歴史を扱った本や、”ゲーム史”という言葉をタイトルに冠した本は本書以外にもあるわけだが、そうした本と一線を画しているであろう本書。それは、”○○史”というタイトルをつけるに相応しい本だからである。逆に言えば、それまでの多くの本は、はっきり言って”○○史”というタイトルには相応しくない。そもそも、”○○史”と銘打たれた本のほとんどが、細切れの単なる名場面集であることが私は残念でならないし、そうしたものを”○○史”と銘打つべきではないと思う。歴史と物語は切っても切れない関係であり、ストーリーなしにヒストリーは成り立たないと言ってもいい。History(歴史)の語源はHis Story(彼の物語)だという俗説もあるが、物語の抜け落ちた歴史を、歴史と呼ぶことができるのだろうか。そしてそうした本が”○○史”、つまりは○○の歴史という意味のタイトルに相応しいかははなはだ疑問である。
それに対して本書は、歴史のなかに物語という大きな流れがある。そこが、他の本と一線を画している点である。大ヒット作を集めて名場面集的なゲームの歴史の本は作れなくもないし、むしろそうした作り方のほうがはるかに楽ではあるはずだが、あえてそうはしない。大ヒット作であっても本書に登場しないものもある。それは歴史という物語を追っていく都合上カットしなければならなかったと著者は述べているが、そうした物語を重要視する姿勢こそが”○○史”というタイトルに対する真摯な姿勢だと私は思う。
では、なぜいままでこうした本が作られなかったのかといえば、それはそうした物語を重要視する作り方が大変だからという一言に尽きると思われる。毎年多種多様なジャンルのゲームが発売される昨今を、振り返るだけで一苦労である。ましてやそれを取捨選択し、物語という一つの道筋を立てなければならないのだ。一苦労どころの騒ぎではない。
かつて世界で最初の歴史書を作ったことで”歴史の父”とヘロドトスは呼ばれた。ならば、ひとつひとつばらばらだったゲームたちを集めて物語という流れを作り、歴史としてまとめた著者は、初めてのゲームの歴史書を作ったということで、”ゲーム史の父”と呼ばれてもおかしくはない。歴史書と呼ぶにはコンパクトな新書はいささか軽くも見えるが、その内容の重みは計り知れない。
さて、散々っぱら本の形式的な話をしてしまったが、内容についても少しだけ触れたい。語られる内容もまた、物語というものが重要になってくる。ゲームというものを「ボタンを押すと反応するもの」と定義した上で、ゲームが「物語をどのように扱うのか」ということを主軸にゲームの歴史という物語は進行していくからだ。”物語評論家”という肩書きを使う著者らしい視点である。
ゲームという歴史、ゲームの物語ははたしてどのようにはじまり、どのようにして現在へと至るのか。”物語評論家”が作った歴史という物語がどういったものかというところはぜひ、本書を手に取ってのお楽しみということで。

2013.06.11

ゆうき
私が初めてゲームで遊んだのは恐らく5才くらいだったと思うのですが、そのときからゲームは著しく形を変えてきました。ゲームを買う人、売る人、作る人…色んな人がいらっしゃいますが、読み手によって作品への感じ方が違ってくるかもしれませんね。
さやわか
ロジックはなるほどと思わせますね! 「His Story」という言葉からの接続もうまくいっている。ちょっとだけ気になったのは過去にあったゲーム史の本が単なる「名場面集」に過ぎないのだという根拠がちょっとわかりにくいかなということでした。それと同時に、「名場面集」には「物語」がないのだという説明も少し込み入っていてわかりにくい。名場面集だって、ある「物語」の一部なわけだから、用語が混乱してしまっているように思えてしまう。要するにこの本には歴史をダイジェスト的に書くのと違う、大きな流れをはしょらずに書くという美点があるという意味だと思うのですが、そこが「物語」という言葉ともうちょっとうまくリンクしているといいのではないでしょうか。前半の「History(歴史)の語源はHis Story(彼の物語)」というところはスムーズに読めただけに、ちょっと惜しいかなと思います!

本文はここまでです。