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読者レビュー

銅

森田季節『エトランゼのすべて』

なぜ彼はエトランゼを救うことができたのか

レビュアー:yagi_pon Novice

彼女は世の中という集団から浮いてしまったエトランゼだった。
彼女を救おうとした人はいた。
そして、サークルができた。

けれども、彼女は、
サークルという集団の中では、エトランゼにならないというだけで、
世の中という集団の中では、相変わらずエトランゼのままだった。

世の中から浮いてしまった彼女。

そう、
彼女がエトランゼにならないサークルという集団は、
彼女をエトランゼだと思っている人たちが集まったものだ。

彼女はその集団の中ではエトランゼではなかったけれど、
彼女がエトランゼだから、できた集団だった。
彼女はその集団があるからエトランゼではなかったけれど、
その集団があるからエトランゼのままでいられた。


そんなエトランゼを救ったのは、
彼女のことをエトランゼだとは思わない人だった。

彼女を救おうとした人はいた。
けれどそうした人たちが彼女を救えなかったのは、
彼女のことをエトランゼだと思っていたからではないだろうか。

彼女を救おうとする人がいた。
結果的に彼が彼女を救うことができたのは、
彼が彼女を、エトランゼだと気づいていなかったからだろう。

エトランゼ(の彼女)を救おうとしたのか、
(エトランゼの)彼女を救おうとしたのか、
たぶんほとんど違わないのだろうけれど、

人間、ちいさなことでなにかが崩れてしまうみたいに、
ちいさな違いでなにかが起きると思うんだ。

彼女を救おうとしたサークルの人たちと、彼との違いは、
きっとちいさなものだから。

きっとそれくらいのちいさなことでなにかが変わる気がするから。

彼が彼女を救えたのは、
彼女を見る目がサークルの人たちとはほんの少しだけ違ったから。
ほんの少し。
とてもちいさな違い。

けれども、
ほんの少し、
とても小さな違いがあったから。
彼は彼女を救うことができた。


とてもちいさいことでも世界は変わるし、
とてもちいさいことでも誰かは変わるし、
とてもちいさいことでも何かが変わる。

たぶん人ってそんなもので、
たぶん世界ってそんなもの。

2011.12.20

のぞみ
何かの物語みたいでしたわ。
さやわか
たしかにそうですな。これ自体が物語の筋のように書かれていて、そういう意味でこれが『エトランゼのすべて』という作品のレビューとして読めるかどうかは判断が難しいところではあります。僕はこの文章から、作品から受けた感動のようなものを感じ取ったので「銅」ということにしましたし、実際に作品を読んだことがあればこのレビューが物語の筋をただ書いたわけではなくて、きちんとお話を「解釈」したものだということがわかりますが、もう少しこれからこの作品を読む人へのアピールがあってもいいのかもしれない。そんなふうに思いましたぞ!

本文はここまでです。