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読者レビュー

銅

武器としての決断思考

帯文詐欺

レビュアー:yagi_pon Novice

「東大×京大×マッキンゼー」
『武器としての決断思考』の最初の帯には、このような文字が大きく書かれていた。これは著者である瀧本哲史の経歴だ。この本を手に取った人の中には、著者が東大、京大、マッキンゼーで得た「武器としての決断思考」を期待していた人も多いだろう。しかし残念なことに、この本と東大、京大、マッキンゼーはあまり関係がない。「武器としての決断思考」はディベート的思考法であり、そこに東大、京大、マッキンゼーのエッセンスはあまりない。はっきり言って、帯文詐欺と言ってもいい。
ではなぜこのような帯がつけられたのか、少々深読みしてみたい。考えられるのは、東大、京大、マッキンゼーというブランド力に目を付けて手に取った人にこそ読んでほしいのではないか、ということだ。一昔前であれば、特に東大、京大といった経歴が強力な武器になったであろう。いわゆる学歴社会である。しかし時代は変わり、東大や京大という名前だけではどうにもならない時代になった。武器だと思い込んでいたものは、ただの看板でしかなくなった。もちろん看板としての力はあるし、ただの看板でも振り回せばたしかに武器にはなる。ただし、文字通り看板を振り回すくらいのどうしようもない武器にしかならない。そして、そんな時代の新しい武器として紹介されているのが、「決断思考」(=ディベート的思考法)だ。この本は、「東大×京大×マッキンゼー」の文字に惹かれて手に取った人こそ、それまでの価値観を覆すものになっているはずなのだ。詐欺られたと思う人ほど、この本を読んだ意味は大きいのではないだろうか。「東大×京大×マッキンゼー」は帯文詐欺ではなく、ミスリードだったのではないだろうか。そんなふうに思うと、このシンプルな帯の中にすごく複雑な思いが詰まっているように見えてくるから不思議だ。

2011.12.20

さやわか
帯文詐欺というのはなかなか手厳しいですな。レビュアー騎士団は手厳しい内容のレビューであろうとも、いいレビューなら載せますぞ!! しかし、このレビュー。東大、京大、マッキンゼーを通して著者が得た考え方がディベート的思考法なのだろうから、正直なところ僕にはなぜ「詐欺」とまで言ってしまえるのかちょっとわかりませんでした。「これが東大式です」「マッキンゼーではこうしています」と本文中で明らかに書かれている必要があるということなのでしょうか。ならば自分はそう感じたと書きつつ、そうすることが本にとって必要だという論拠を示したほうがいいように思います。簡単に言うと、扇情的な主張ほど、論理に穴がないようにしっかりさせておくべきなのですな。ですが、そこから続く、この帯文に惹かれる人にこそ価値のある本だ、という主張はとても面白く読めます。ぶっちゃけた話、冒頭の段落あたりがなくても、このレビューは面白いのです。ここでは「銅」ということにいたしましょう!

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