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読者レビュー

銀

星の海にむけての夜想曲

それでも、星を見上げる

レビュアー:matareyo

幼い頃、私にとって星は希望の象徴だった。そこに輝いている。じっと目を凝らしてみても正体のつかめない、未知の何か。そこで図鑑を見てみる。壮大な宇宙が広がっていた。それでもわからないことはたくさんあるらしい。図鑑には私が大人になった未来のことも描かれていた。未来の私たちはスペースプレーンや軌道エレベーターで宇宙に飛び出し、月に基地を造り、更にその先へと進み続け、未知を解明していた。星を目指す未来は輝いていた。無邪気に夢見ていた。大人になってしまった今、未来はそんなに単純なものじゃあないんだっていうのは、わかっているんだよ。

2011年7月7日~14日の期間限定で星海社Web「最前線」に掲載された佐藤友哉「星の海にむけての夜想曲」は宇宙へ飛び出すどころか、天災によって星も空も見えなくなってしまった、今からさほど遠くない未来の物語。「花粉病」なる奇病が発生し、子供たちが未来に絶望している未来。七夕の日、軍によって外出を禁じられているこの日、ある学校で先生と生徒が出会う。「星なんて見えるわけがない」と言う天文部の顧問。対して「見えます」と固く信じる天文部員の少女。絶望的な世界で、それでも星という希望を追いかける。そんなお話し。

この作品、実は設定がありえない。星空の見えなくなった原因の天災というのがこれまた荒唐無稽なんだよ。近未来の地球を舞台にしているけどかなりファンタジー。そんなこと起こるわけないだろう!
――って、思ったはず。2011年3月11日を経験する前だったなら。これはあの震災を経て書かれた作品。震災を経て、その先にある未来を描いた作品。この作品を今読んだからにはそこに触れなければならない。なぜかっていうと私が明らかに震災以後を意識して読んでしまったから。その時思ったことを隠して何かを言うと嘘になってしまうような気がする。

作品自体はこの現実と地続きの「リアル」な未来を描いているわけではないんだよ。でも読んでいるとそれをまざまざと見せつけられる。天災。花粉病。子供たち。他にも、他にも。そういうキーワードが重なってしまう。今騒がれている様々な事実に。あるいは想像に。この作品を読んで、その世界が「ありうる未来」と思うほど現在の現実を反映していた。
今、この作品を読む人はどのような気持ちになるんだろう(これを書いている2011年8月26日現在では掲載終了のため読むことができないのが残念)。私は今年2011年の3月まで学生だった。そして4月に社会人となった。震災ににまつわる事態に対して自分の立ち位置に困惑気味なんだ。年齢の上では大人とはいえ、学生ならばまだ「無責任なオトナたち」に無邪気に反抗できた。どんな夢を語ったってお構いなし。でも社会人になった途端、そんな無邪気なことはできなくなったのね。責任ある大人として自分たちの下の世代のことだって考えなければならない。自分の中の「常識」がそう思わせてしまう。でも学生が社会人に身分を変えたって、劇的に自分の中身が変わるわけじゃあないでしょ。社会ではまだまだひよっこ。でも責任がうんたらかんたら。無闇に希望を語ればそれだって無責任なんだよ。現実を見ろって。私はどこに想いを置けばいいのだろう。情けないでしょう、いい大人が。でもそうなんだよ。

今思えばこの作品を読んだ時、私は先生に自分を重ねていたように思う。若い教師。でも子供の頃みたいにやたらめったら純粋に無闇に希望を追いかけたりはしない。そういう大人。自分もなってしまったんだなぁって少し寂しく思いながら。だけど更に追い打ちをかける場面がある。少女が先生に質問する。

「先生は、織姫と彦星との距離をごぞんじですか」
「…十四・四光年。メートル換算で、百三十六兆二千二百四十億メートル」

答えたよ、先生……。っていうかメートル換算まで聞いてないよ!
と心のなかでつっこみながら私は先生がとても愛おしくなった。だって知ってるじゃん! 「見えるわけがない」とか言いながら、覚えてるじゃん! 希望を捨てられないじゃん!
先生だって子供の頃があった。希望を追いかけたことがあった。少女と同じだ。先生になったからってあの時と断然しているわけがない。ずっと地続きの自分なんだ。
そして少女はもっと強かった。

フィクションがイコール「嘘」ではないと思う。物語は単なる夢物語ではないと思う。それに触れて心を揺り動かされる私がいるから。いつ描かれたか。いつ読んだか。そこから離れれば現実がある。ありのままに語れば笑われてしまうことも、フィクションだからこそ力を持って伝えられることもあると思う。こうやって現実に迷っておどおどとしている私だけれども、そんな迷いを絶ち切ってくれることだってある。

僕はそれでも希望を忘れることができないんだ。

2011.09.08

さやわか
おお、これはなかなかいいレビューですな! 感情移入の問題が書き手自身の立場に重ねられていて、こういう文章、僕は好きですよ! しかも、これは佐藤友哉が作家として「青春」を描き続けた作家であることも鑑みるとなかなか思わせるところがありますな。子供と大人の狭間にあるということ、佐藤友哉と書き手がそういう過ぎ去っていく子供時代という点で感情を共有しているように見えて、そこがうまい。「銀」を贈らせていただきたい。かといって、変に作家に対して肩入れした文章になっていないのもいいと思います。それは実は書き手は作家と世代差があるせいなのかもしれませんが、だからこそ過去に対する思いを普遍的なものとしてのみ語りえています。

本文はここまでです。