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読者レビュー

銅

星海社文庫の投げ込み広告

「今ここにある」広告の形

レビュアー:横浜県 Adept

 紙媒体の広告は遅い。電子媒体の広告は速い。インターネットが普及した今、あらゆるWebサイトにはバナーが貼られている。もしも躍るコピーに心を奪われたなら、リンクをたった1つ辿るだけで、即座に商品の情報を得ることが出来る。では紙媒体の広告はどうだろうか。紙面は限られている。Webのように、無限の空間は存在しない。さらに広告の受信者たちが、実商品へと辿り着くまでには、長いタイムラグが存在する。広告で見た筈の書名が、店に行くと思い出せない。そんなもどかしい経験こそ、広告と実商品との間に横たわる、埋め難い時間の差が生み出しているのだ。
 果たして紙媒体の広告は、ネットよりも劣る速さを、何らかの形で補えないのだろうか。その答えは星海社文庫の投げ込み広告にあった。4月刊行物に挟まれていたものだ。これにより、私は実商品が「今ここにある」と錯覚させられてしまったのだ。
 表紙には文庫本が写されている。試しに中を開くと、そこには「ひぐらし」の218,219ページが、でかでかと2面ぶち抜きで掲載されていた。さらに1枚を捲ると「星海社文庫の3つの特徴」が現れた。これを目にした時、私は驚きを禁じえなかった。広告の受け取り手たる私は、文庫本の中身が写真により、「3つの特徴」を実際に体験することができたのだ。例えば特徴1の造本である。スピンや天アンカットが写されているので、実際にその色や形を、紙面で確認することができた。フルカラーのイラストや、読みやすい版面もまた然りである。まるで「今ここにある」文庫本を手に、「3つの特徴」を直で感じているかのようだった。
 次に注目したいのは、「ひぐらし綿流し編(下)」と「Fate/Zero4」の広告である。もし普通ならば、表紙のイラストが掲載される程度だろう。例えばこの投げ込み広告の裏面に掲載されている、「エレGY」が将にそれだ。ところが上に挙げた2作品は、実際の文庫本を俯瞰的に眺めた写真で紹介されている。そこには、微かに覗く背表紙がある。表紙と帯の境目がある。薄らと落ちる影がある。ここに私は、本としての厚みを感じた。平面でしかない紙媒体の上に、2冊の文庫本が存在している重みを感じたのだ。
 上記2点から、私は星海社文庫が「今ここにある」のではないかと錯覚した。その臨場感は、今までの紙媒体には欠けていた物だ。「如何に速い段階で、受信者に実商品を体験させうるか」という命題は、ネット上ではある種の必要条件として、常に真たらしめられており、しかし紙媒体においては、ずっと避けられ続けていた。この投げ込み広告は、その難題に真正面から立ち向かっている。画期的なことだ。何しろ前例がないのだから。これから紙媒体の広告が、ただの情報が掲載された紙切れであり続けたとしても、恐らく誰も困りはしないし、現状が変わることもない。だがそれで好いのだろうか。世の中の作品群が、常に新しい才能や面白さを求め続ける中、それを報じる広告のみが、足踏みをし続けるだなんて、私には納得が行かない。紙の広告には、確かに拭えない短所がある。だがそれを割り切っている暇があれば、欠点を克服するために動くべきだ。星海社文庫の投げ込み広告は、未来に開かれた可能性の一端を、私たちに示してくれた。でも当然これが全てではない。きっとまだまだ、私たちが目を見張るような広告は現れるだろう。それらは情報の受信者を驚かせ、楽しませ、購買意欲を十二分にそそってくれるはずだ。もしそんな広告と、次にまた出会う機会があるのなら、今度も星海社の作品だろうと、私は期待してしまうのだ。

2011.05.09

さやわか
投げ込み広告のレビュー、また来た! というかよくぞ投げ込みのためにここまで! ……という感じであっぱれです。横浜県さんにとっておそらくこれはパフォーマンス的な書き方なのだろうとは思いますが、少なくとも広告から受けた一定以上の感動を伝える文章にはなっているように思います。だから「銅」としていいでしょう。ただ、こうした文体を選ぶとそのぶん論理的な不備があれば目立つようになるのではないでしょうか。たとえば「ネット上ではある種の必要条件として、常に真たらしめられており」以下の部分、ここで語られていることには、文体は整っているように見えますが実際にはほとんど論理的な裏付けなく話されているように見えます。このような文体は決して形式が優先されるものではなく、内容によって導かれるようにすれば、たとえパフォーマンスであっても、その価値をさらに高めると思いますよ。

本文はここまでです。