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レビュアー「榎柊」のレビュー

銅

エレGY

光はそこにある

レビュアー:榎柊

 僕は受験生だ。受験生は勉強が仕事である。
 夜。勉強をしなくちゃ、という義務感にも似た思いに突き動かされながらも、しかし連日の疲れによる怠惰が僕を布団に居座らせていた。ふと、学校の図書館で借りた『エレGY』が目に入る。僅かばかりの逃避として、僕は「最初の数ページだけ……」と『エレGY』のページをめくったのだった。

 気がついたら、『エレGY』を読み終えていた。


 僕は(全く勉強のことなど忘れて)読了感に浸るとともに、すこし前のことを思い出していた。
 僕は、ついこの間――今年の六月まで高校の放送部に所属し、そこでテレビドラマを作っていた。僕はその製作の中で、脚本作りに関して酷く悩んでいたのだ。
 この『エレGY』という作品の主人公泉和良もまた、自らが作るフリーウェアゲームに対して悩みを抱えている。
自分が本当に作りたいものを作りたいという芸術家としての理想と、金を稼ぎ物を食べていかなくちゃいけないという現実。尖るか、丸くなるかという、まさに真逆の方向性の中心に泉和良は立ちつくしているのだ。

 全くおこがましいことだが、これは僕の悩みともリンクしていた。大会で賞を取るにはどうしたらいいのか。放送部内の友人に「君の物語は一般受けしないね」と言われたこと。酷く言えば、賞を取るためにもっと他人に迎合したような作品を作るべきなのか。それは――そう、作中で主人公が作った『ひきこもりの魔法使い』のように。
 泉和良のように生活がかかっていたわけではなかった。それでも、この問題は僕にとっても胃に穴があくほどの重さをもっていた。

 『エレGY』において、主人公である泉和良は、ヒロインの『エレGY』によって救済される。この物語の最後には、先に述べた二つの方向性の一つ――芸術家としての道を泉和良は明確に選択する。そこには彼の〝光〟となった『エレGY』の存在があり、彼女との関係を通して、泉和良は答えと至るのである。

 その姿は、その答えは、奇しくも僕にとって一つの〝光〟になった。
 泉和良がアンディー・メンテを通してエレGYに〝光〟を与えたように。
 エレGYが、その姿を通して泉和良に〝光〟を与えたように。

 小説家泉和良の書きあげた『エレGY』という作品は僕に〝光〟を与えたのだ。

 フリーウェアゲーム作家泉和良の物語は、ここで結ばれる。彼とエレGYの物語はもう紡がれることは無い。しかし、小説家泉和良はまだ物語を紡ぎ続けている。たとえば星海社から既に出版された『私のおわり』のように。
 まだ、泉和良はそこにいる。そしてそこには、この小説の中で主人公が選んだように〝光〟が込められているはずだ。

 何故なら、泉和良によって描きあげられた『エレGY』、そこに込められた〝勇気〟を、僕が受け取ったのだから。

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2011.09.30


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