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テーマ 心に「名言」を刻んだ作品

過去のレギュラーセレクター

言葉というのは本当に難しいもので、僕は日ごろ頻繁に「言葉がきつい」「ドS」と言われる。その件については深く反省するしかない。翻って自分がどれだけ役に立つ言葉を生み出せたのかと考えると、これまた全く以て自信がなく、今後の発展に期待していただくほかない。そんなわけで、影響を受けた言葉を振り返りつつ、今後の糧としたい。

三国志横山光輝

『三国志』は副社長・太田克史が定めた星海社の基礎教養のひとつである。僕は故・横山光輝の漫画から『三国志』の世界に耽溺するようになった。一時は、任意の巻の任意のページを開いて漏れなく5秒後に(最終的に蜀が滅亡することに思いを馳せて)涙腺を決壊させる程であった。我ながらどうかと思う。ともあれ、『三国志』には名言が多い。「水魚の交わり」「髀肉之嘆」「白眉最も良し」「泣いて馬謖を斬る」等は、格言として今なお息づいている。「危急存亡の秋」は諸葛亮の上表『出師表』の冒頭だが、この上表は中国史上屈指の名文とされている。「これを読んで泣かないものは人ではない」とまで言われたそうだから、横山『三国志』を読んで滂沱の涙を流した僕もあながち間違ってはいないことになる。

幽霊−或る幼年と青春の物語−北杜夫

少年時代の僕は文学青年に憧れる気持ちの悪い子供であった。父親の書斎を埋め尽くす分厚い学術書の雰囲気が好きだったし、自分も一刻も早くその域に達するべきだという意味不明な使命感を抱いていた。本当に気味の悪い子供である。それ故に背伸びをして難しい本に手を伸ばし、頑張って読破はするのだが、何かを得ていたかと問われると非常に怪しいものだ。そんな僕がはじめて文学の雷に打たれたのが本書である。冒頭の「人はなぜ追憶を語るのだろうか」で始まる一文に、何故だか分からないが僕の心はひどく揺さぶられた。名言というか名文であるが、言葉の力をはっきり意識したはじめかも知れない。確か中学に上がる年だったと記憶している。

∀ガンダム

ガンダムもまた、副社長・太田克史が定めた星海社の基礎教養のひとつである。ファーストガンダムの名言横溢ぶりは先刻ご承知のことと思われるゆえ、『∀ガンダム』を挙げた。本作は放映当時は散々な評価であった。曰く「ヒゲガンダム」、また曰く「世界名作劇場ガンダム」。しかし僕は批判されたその二点をも愛してこの作品を観ていた。富野監督の作品であるゆえ、名言は多い。中でも半分迷言扱いされるのが、ハリー・オードの叫び「ユニバーーーーース!」。しかし僕はハリーがそう絶叫するシーンで打ち震えた。名言とは、畢竟考えるのではなく感じるものなのだ、とブルース・リーの名言を引用してなんとなく根拠付けてみる次第である。

論語

東アジアの教養人が二千年の永きに渡って愛好してきた古典、それが『論語』である。大学に上がるまで何度か挑戦して、その度に返り討ちに遭った。その良さに気づくことが出来たのは大学で東洋史を学び始めてからである。顔淵篇に「死生命有り、富貴天に在り」という言葉がある。所謂天命論に関連する一節だが、ようやく将来を考え始めた自分にとって何とも大切な言葉になった。なお『墨子』中に「貧富壽夭、齰然として天に在り」という顔淵篇を意識した一説がある。こちらも好きな言葉である。古典の名言は、自分自身との間に関係が生まれることで生命を得る。感じるにはそれなりの人生経験が必要だということなのだろう。

ゲゲゲの鬼太郎水木しげる

幼い頃の僕のヒーローは鬼太郎であった。僕は、アニメの第三期の直撃を受けた年代である。ユメコちゃんという人間の女の子が出てくる、正義の味方的な鬼太郎だ。そして、アニメで飽き足らなくなった僕は、まだ存命だった母方の祖父に頼んで単行本版を買ってもらった。原作の『鬼太郎』にもいくつかバージョンがあるが、買ってもらったのは『マガジン』版である。その何巻だったかに「妖怪ラリー」という一話が収録されている。鬼太郎はじめさまざまな妖怪による自動車レースなのだが、そこに「中国代表水虎、毛沢東語録を読みながらの参戦です」という一場面がある。当時はよく分からなかったが、後に意味がわかって爆笑した。水木翁のユーモアが爆発した大名言だと思っている。

平林緑萌

星海社エディター。1982年奈良県生まれ。
立命館大学大学院文学研究科博士前期課程修了。書店勤務・版元営業を経て編集者に。2010年、星海社に合流。歴史と古典に学ぶ保守派。趣味は釣りと料理。忙しいと釣りに行けないので、深夜に寂しく包丁を研いでいる。

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