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テーマ 「遺作」になった傑作――!

レギュラーセレクター 曜日

「遺作になったゆえに傑作ということになっている」なんて言葉を使う人がいますが、否。もう一度書きましょう。否。何度でも書きましょう。否。断じて否。そのような下劣な表現を口にしたくなる気持ちは、でも解ります。傑作に傑作を重ねた作品。その次なるステージを永久に見られないなんて、受け手からしてみれば、あまりに惨い仕打ちですから。こうして生き、書いている以上、佐藤も確実に遺作へと近づいています。「さようなら」のときに、一体どのような物語を書いているのでしょう。それは解らない。極端な話、このコラムが遺作となる可能性だってあるんです。

残光小島信夫

90歳の作家の遺作。このように事実のみを伝えますと、「ああ。作家として成熟し、満足したものを書いたんだなー」と思われそうですが、そう簡単にはいきません。何が書かれているのか、まったく解らない。じっくり読んでも、前の行に書かれた内容が思い出せないのです。このように事実のみを伝えますと、「ああ。きっと難しい感じの小説なんだなー」と思われそうですが、そう簡単にはいきません。内容はとても解りやすく、また文章も極めて平易なのです。本書に対する正当な批評は、佐藤の知るかぎり皆無です。誰か助けてくれ。

神田日勝

32歳の若さで亡くなった神田日勝の絶筆。タイトルの通りに、馬。あるのはそれだけ。さらには上半身しか描かれておらず、そこから先は断ち切られたように中断されています。そう、この画は未完成なのです。鉛筆の柔らかな線でわずかに描かれた下半身から、完成形をぼんやりと想像することしか我々にはできません。走る権利を永遠に剥奪された一頭の馬。あまりにも、あまりにも哀しい。この半身だけの馬は哀しみのイコンとして、それゆえ逆説的な輝きを今も放ち、見る者の頭の中で楽しそうに駆け回っています。

グッド・バイ太宰治

まるでタチの悪いギャグのような遺作ですね。だってタイトル、『グッド・バイ』ですよ。太宰さんはこの小説を書いている途中で心中し、この世からグッド・バイしちゃうわけですよ。『晩年』で世に出て、『人間失格』を完成させたあと、『グッド・バイ』を書きながら消える。いくら何でも演出過剰だ。うまいことやりすぎている。こんなのってあるかよ。くそ。くそっ。

ゲッターロボアーク永井豪/石川賢

手塚治虫の遺作『ネオ・ファウスト』もそうですが、「おっもしれええーー! これ、これやべえええ! つづきは? えっ、ない? ここまで? はあぁぁ」という、一種の苛立ちを抱く遺作がありまして、本書もその系譜に掲げられるでしょう。『ゲッターロボ』という壮大な物語のフィナーレにも似た高揚感の中、風呂敷を広げられるだけ広げ、かつての仲間とのラストバトル直前。お膳立ては整った。さあ、伏線の回収は? 物語の結末は? といったところで終了。そんな馬鹿な。

放熱への証尾崎豊

尾崎豊のラストアルバムです。眩しく煌めく青春状態の尾崎が最後に見せた華麗なる閃光。全11曲の中の10曲目が、『闇の告白』という黒々としたタイトルなのに対し、ラストが、『Mama,say good-bye』という、母親に向けた夜想曲というのが泣かせます。あ、今気づいた。これも「グッド・バイ」だ! 佐藤がタイトルに「グッド・バイ」とつけたら死亡フラグと思っていいかも。こんなところで今回はお開き。みんな死ぬなよ!

佐藤友哉さん

1980年生まれ。作家。『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞を受賞し、「戦慄の19歳」としてデビュー。2005年、『1000の小説とバックベアード』で第20回三島由紀夫賞を受賞。本年『デンデラ』が映画化され、6月より公開される。愛称は「ユヤタン」。

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