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テーマ 日本人として驚いた「海外作品」

レギュラーセレクター 曜日

飛行機が大嫌いなのもありますが、日本の、さらには東京から出ずに暮らしていますと、外の文化に触れる機会はそう多くありません。ですが、そうした生活にあっても現れる「海外作品」から、日本的な叙情や文脈を読みこんでしまうと、日頃意識しなかった「日本人」なる分類学的感覚や、「島国」なる地理的情況を思い知り、何と云えばいいんでしょうね、「ぬぐぐ〜悔しい」という感覚に陥ることがあります。今回はその、「ぬぐぐ〜悔しい」なる言葉を再定義させてくれた作品をピックアップしてみました。

Mishima A Life In Four Chapters

監督はシュレイダー。製作総指揮はコッポラとルーカス。音楽はフィリップ・グラス。出演するは緒形拳や若きジュリーや横尾忠則といった、尋常ならざる豪華な顔ぶれが揃ったこの映画は、やんごとなき事情により日本では一般販売されていません。内容は、三島由紀夫が自決に至るまでの日々と著作が魅せる幻惑のスライドショーといった感じではありますが、そんなことはどうでもよろしい。「どこからどう見ても日本なのに、どこからどう見ても日本じゃない日本」の中で、最期の瞬間まで暴れ、書きつづける三島に刮目せよ。

ラストサムライエドワード・ズウィック

「どこからどう見ても日本なのに、どこからどう見ても日本じゃない日本」というのは、外国人が日本を舞台に物語る際、必ず生じます。『007は二度死ぬ』もそうでした。忍者と英国スパイと丹波哲郎が悪魔合体したこの映画を観ていると、固定観念としての「日本」が崩れて、変なトリップを起こします。ここ数年の映画で、最もそのような心地になったのが本作でした。佐藤が子供のとき、「大河ドラマ」の『信長』で、マイケル富岡が明智光秀を演じていたのですが、なぜかそれを思い出すんですよ。

ミツバチのささやきビクトル・エリセ

傑作の定義として、「これを貶した人を見たことがない。本当に見たことがない」というものがありますが、『ミツバチのささやき』は、その極致ではないでしょうか。佐藤の周囲で、本作にノーを突きつけた人はゼロです。大江健三郎からジョージ・ルーカスまでバッシングの対象になるこの世界で、良くここまで無傷でいられたと感心します。本作は日本と無関係な映画ですが、ここに流れているのは完全なまでの「侘び寂び」でした。芭蕉も吃驚。と思ったら、この監督、「おくのほそ道」を読んだことがあるそうです。

日本奥地紀行イザベラ・バード

本書は明治初期、開国したばかりの日本を旅して回った英国婦人、イザベラ・バードが書いた紀行文です。今や都会人までもが口にする「失われた日本の風景」が、ここには色鮮やかに書かれています。各地の観光名所から、北海道の奥地まで、イザベラ・バードは好奇心を剥き出しにしてズンズン進み、より誰も知らない日本、日本人も見たことがない日本にたどり着こうと歩きつづけます。彼女の冒険の果てにある日本が、どうか美しいものでありますように。

フラニーとゾーイーJ.D.サリンジャー

以前にも挙げましたがここはご愛嬌で。本書を書いたのは完璧な外国人……ハンバーガーとピクルスを愛し、神と自国を愛し、ネクタイの巻き方なぞは8通りくらいならすぐ実演してみせる……ですが、響く音色はどこまでも日本です。青い目の人々が神について議論を交わすこの物語に、何ゆえ日本がここまで出てくるのか、小じゃれたニューヨークのアパートメントの一室で、何ゆえ日本が浮かび上がってくるのか、佐藤にはまだ解りません。永遠に解らないかもしれません。でもいいさ。だって大好きなんだもの。

佐藤友哉さん

1980年生まれ。作家。『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞を受賞し、「戦慄の19歳」としてデビュー。2005年、『1000の小説とバックベアード』で第20回三島由紀夫賞を受賞。本年『デンデラ』が映画化され、6月より公開される。愛称は「ユヤタン」。

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