テーマ 未だに古くならない「傑作」
レギュラーセレクター 月曜日 田中ユタカさん
2011.07.11
古くならないということは、生き続けているということです。化石になっていない。ただの思い出になっていない。今この時も僕の心を動かしてくれる。例えば、子どものときと大人になってからと違う読み方が出来る。そういう本、ありますね。子どもの頃も面白かったけれど、大人になって読み返して異なった大きな感動を発見する。逆に、いつ読んでも、何度読んでも、変わらない感動を与えてくれる。ズシッと動かずそこにあり続けている作品。また、作品は生まれた時から作者を離れて独自の生命を持ち始めます。たとえ作者が既に亡くなってしまっていても、時間も距離も越えて僕やさらに未来の遠くの読者の心に届き生き続けます。
赤毛のアン
人間はどれだけ偉くなれるだろうか? きっとマシュウが上限です。クリスマスの朝にふくらみ袖の洋服をプレゼントする。「1ダースの男の子よりもお前がいてくれてうれしい」と手を取って言ってあげる。人間に出来ることのそれが上限だと思うのです。その人の社会的な影響力の大きさとかは、所詮世間のめぐり合わせのたまたまです。限られた人生の時間でそばにいる誰かをちゃんと愛することが出来たなら、それで人間の最上級です。大人になって読むと、実はマリラが見事なまでの萌え萌えのツンデレ妹キャラだったことに気がつきます。
智恵子抄高村光太郎
若い頃には前半の詩たちにあこがれました。恋にあこがれました。「遊びぢゃない」の毅然とした宣言に強く共感しました。僕の「人類の泉」を想いました。四十代も半ばになった現在は後半の愛の深さが胸に降り積もります。瑞々しく激しい恋が、人生の時間の中で喜びや苦痛に洗われて、時代の嵐も、取り返しのつかない病も、そして死も乗り越えて、ふたりの小さな恋はやがて宇宙にまで広がっていく愛になります。
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品133「大フーガ」 ベートーヴェン
Wikipediaによればベートーヴェンの後期の重要作「大フーガ」は100年ぐらいの間ずっと「失敗作」とされていたそうです。100年! 作品の価値は誰が決める? いつ決めていい? 蓄音機さえなかった時代に作られた作品がCDの時代が終わりそうになっても、まだ生き続けています。この曲を作ったとき既に聴覚を失っていたベートーヴェンの心に孤独に鳴っていた音楽は、時も距離も越えて21世紀の異国の地の僕の心に届き激しく打ちのめしました。
赤ひげ黒澤明
物語は「ここより先はない」ところを目指します。そこにどれだけ行き着けるかが作品の成否を決めます。3時間を越えるこの大作は最後にたどり着きます。医療で人を救おうと苦闘し続けてきた主人公たちについに「なぜ助ける? なぜ死なしてくれない? 苦しみしかないこの世に、それでも生き続けなければならないのはなぜ?」という根源的な問いが厳しく突きつけられます。それに対する映画の回答は、もう、言葉ではありませんでした。何度観ても、僕はここで涙が止まらなくなります。
ノルウェイの森村上春樹
この作品が大ブームになったのはちょうど僕が学生の頃でした。赤と緑のハードカバーが友人たちの間を延々と回し読みされました。僕にも回ってきました。矢鱈と人が死ぬし、奇妙な性描写の場面が目に付くし、なんだかヘンなお話だし。正直に言うと「よくわからない」でした。ただ、終盤の主人公の悲しみだけが鮮烈に胸に焼きつきました。きっと一生消えないほどに。なぜこの不思議な小説が現在に至るまで世界中の多数の読者にとって特別な作品になり続けているのか。それを想う時、物語の力の底深さ感じます。
田中ユタカさん
66年生まれ。マンガ家。主な作品に『愛人[AI-REN]』、『ミミア姫』、『愛しのかな』、『もと子先生の恋人』。『初夜』などの純愛系作品、多数。“恋愛漫画の哲人”、“永遠の初体験作家”、“愛の作家”と呼ばれる。携帯コミックでも新作を意欲的に発表。
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