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カテゴリ: 編集部より

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【第3回】角川歴彦とメディアミックスの時代

世界を蹂躙された子どもは「日の丸プラットフォーム」の夢を見るのか 大塚英志 

 清水眞弓(しみずまゆみ)という作家の小説に『花冷え』がある。1964年、七曜社からの刊行である。巻末には文芸批評家の村松剛(むらまつたけし)の解説があり、その記述から著者の清水と村松は、編集者と著者の縁であったと知れる。余談だが、村松の授業をぼくは筑波大学時代に受けている。第二外国語のドイツ語の講義で、ぼくは一度も出席せず、試験もドイツ文学について知っていることを記せといった内容だったので、グリム童話やフォルクスクンデについて雑な文章を書き、単位をもらった記憶がある。そのため、ぼくはドイツのアルファベットさえおぼつかないのだが、そういう無能な学生相手の講義はさぞかし憂鬱(ゆううつ)であったのだろう、ただ、寡黙で陰鬱な印象だけが漠然とあるが、清水に対してはひどく優しい。

 

〈清水さんとはもう二年以上のおつきあいになる。しかしぼくが知っていた清水さんは、編集者としての彼女で、小説を書いていたとは少しも知らなかった。きけばこれが処女作だというが、みごとなものである。

 可愛らしい妖精のような彼女が、こんな眼をもっていたのだから、女性はおそろしい。ぼくはよろこんでこの解説を書く。〉

(村松剛「解説」、清水眞弓『花冷え』1964年、七曜社)

 

 それは編集者への気遣い、というだけではない。若い才能を慈しむ、心優しい文章である。清水の本は'64年の刊行、村松は'61年『大量殺人の思想』(文藝春秋新社)が最初の著書だから、清水は村松にとって早い時期の編集者ということになる。清水眞弓が、ある高名なノンフィクション作家の本名であることは、WEBの発達した時代にあっては、ただちに探り当てることができるだろう。清水の筆名は『呪われたシルク・ロード』や『男たちの大和』で知られる辺見(へんみ)じゅんで、言うまでもなく角川春樹(かどかわはるき)、歴彦(つぐひこ)兄弟の実姉である。清水は嫁ぎ先の姓、眞弓は本名である。

 1939年、富山県中新川郡水橋町に清水眞弓は生まれている。角川源義(げんよし)と旧姓鈴木冨美子(すずきとみこ)の長女である。'42年に春樹、'43年に歴彦が生まれる。角川源義は角川書店の創業者であるが、折口信夫(おりくちしのぶ)門下の国文学者でもある。金田一京助(きんだいちきょうすけ)や柳田國男(やなぎたくにお)にも師事している。折口は気難しく、弟子の関係は複雑だから、源義の場合も例外ではない。晩年は美しい師弟関係があった。一方、柳田門下でもあるという一点で、ぼくなどは源義に対して親近感がある。柳田の木曜会への出入りが許されていたはずだ。源義はぼくにとっては、むしろ、民俗学史の中の登場人物の一人でさえある。そのあたりの仔細はいずれ必要があれば記す。

 その源義が『花冷え』の題名の文字を書いている。清水と村松は角川書店の編集者としての付き合いで、'61年、清水は早稲田大学の第二文学部史学科を卒業しているから、村松が「可愛らしい妖精のような」というような初々しい編集者としてその前に現れたのだろうことは想像がつく。村松は'62年に『ナチズムとユダヤ人』、'64に『古代の光を求めて』の二著を角川新書のレーベルから出しているから、そのいずれかの担当であったのだろう。角川新書は、1950年にスタートした、今のKADOKAWA内に乱立する「新書」ではなく、岩波新書に対抗する位置にあろうとした新書レーベルである。古典は文庫、新しく書き下ろされた教養書が新書、という出版の流儀もとうに昔のものになっているが、古い意味での「教養」の容れ物としての新書である。

 『花冷え』の帯には、井上靖(いのうえやすし)の帯文までも寄せられ、本の造りだけを見れば誰からもこの角川家の長女の初めての小説の刊行を祝福しているように思える。

 

 実は、ぼくの手許にある『花冷え』は財団法人角川文化振興財団の印があるもののコピーである。財団と角川は別法人だが、角川源義の著書や角川家の蔵書も過去の角川書店の出版物とともに財団の書庫には眠る。国文学者・源義や、沖縄関係の民俗学の文献が並ぶ一方で、春樹、歴彦以降の角川の出版物が並ぶ。余談だが、この出版社の辿った数奇とも言える歴史がその書庫を一巡りするだけで、体感できる。その財団所蔵の『花冷え』には、見返しに手書きでこう記されているのである。

 

 戯れてわたしの指輪を掌にしたる 母はその手の荒れて小さき

 母上様    清水眞弓

 

「39・1・16」と、恐らくは昭和三十九年一月十六日の日付がある。清水が「母」に渡したものが財団の書庫に今は収められていると察しがつく。つまり、清水らの「母」の蔵書もまた、この書庫の一部となっているわけだ。だが、ここでいう「母上」とは先に記した生母の冨美子であるとは、実は考え難いのだ。

 清水は源義や春樹と同様に歌を創る。その清水が結婚に際して身内用に作った冊子の中に、以下の句があるので引用する。

 

 わが生さぬ三人子をもつ母にして赤き晴着をじっと瞶むる

 

 今われの年に三人の子となり華やから思いにも胸に閉ざして

 

 源義は'49年、中井照子と再婚している。そのことは比較的良く知られている事実である。ウィキペディアの類にも記されている。この二つの句はその義母となった照子への清水の心情を歌ったものである。

 しかしこの清水の書の中に寄り集う角川家の人々は、清水と源義と「母上」だけでない。

 『花冷え』は、父こそ、出版人でなく大学教員という設定になっているが、父母の離婚のいきさつを連想させるプロットからなる、私小説としてそもそも書かれている。従って、実母もまた登場する。父方の祖母や縁者も描かれる。照子と思しき女性も描かれる。

 この小説では、実母の不倫めいた振る舞いを匂わせる描写がある。しかし、そのことをスキャンダラスに詮索する意味はないだろう。折口門下の勤勉で、しかし野心的な学生・源義と恋に落ちた、都会的でモダンガールの最後尾の世代でもある、華やかな冨美子の、ある種の艶やかさのようなものが母としての彼女に残っていることが、思春期の潔癖症の少女には許し難く写っているというのが小説の印象だ。だから実母の不義の描写は、清水の心情の「文学的比喩」以上でない気がする。余談だが恐らく清水が村松の前に現れたときの華やかさと、恐らくは冨美子のそれは似ていたはずだ。冨美子が離縁後暮らした東北の街を歴彦と訪れた時、ぼくは彼女の晩年の写真を見つけた。歴彦は実母の写真を持っていない。見つかった晩年の冨美子の写真は、辺見じゅんにそっくりだと旅に同行していた、辺見とはなじみのある編集者が驚嘆する様にいった。清水は母に似た娘だった。そう考えれば『花冷え』の実母への描写も納得がいく。思春期の娘はしばしば、母の中の「女」が許せず、しかし、それは自分が女へと変わることへの嫌悪なのだ。母と似た娘ほど、長女ほど、この傾向は強い。そういう姿をついこの間までぼくは繰り返しぼくの学生らのなかに見ては、難儀な物だと、呆れもした。そして、一方では、そう描写することで、義母に対するある種の擁護の感情もあったのではないか、とも思う。自らも結婚し、清水なりに新しい母を同じ妻の立場で改めて受け入れていこうとする時、一つの「虚構」が必要だったと考えられる。私小説などというものは、結局のところ自分の来歴に辻褄を合わせていくものだ。それは捏造とか、そういう問題ではない。

 『花冷え』は、義母との和解の物語なのだ。

 同時に、実母との別離の物語でもある。

 こうして見ると、この財団所蔵の『花冷え』には、題字、手書きの義母への献辞、そして作中の物語の中を数えていけば、角川家の人々の姿が図らずも全てそこにあるようにも思える。いわばこの書をめぐり一族再開が図らずもなされている。

 しかし、実は一人だけ、そこに存在しない人物がいる。

 角川歴彦である。

『花冷え』には、歴彦が登場しないのである。

 言うまでもなく『花冷え』という私小説は小説である以上、それは本質的には虚構である。従って少しも事実を反映する必要も義務も作者にはない。だれが描かれようと描かれまいと作者の自由だ。しかし、以下のくだりをとにかくも、まず、引用してみる。

 

〈「亜紀……時夫……」

 暗い、汚ごれた改札口の傍で、佐久子が又、二人の名をくり返した。

 「お母ちゃま、お母ちゃまは、ぼくたちの後に来るんだね……お父ちゃまと来るんだね……そんときね、ほら、ぼくの電気機関車ね、あれ、かならずもってきて頂だいね」

 赤味のない頬に女の子のような時夫の紅い口許が又、同じことを呟やいた。

 「ほんとだよ、ほんとに忘れて来ちゃいやだよ」〉

(清水眞弓『花冷え』1964年、七曜社)

 

 佐久子(さくこ)とは亜紀(あき)と時夫(ときお)の姉弟の母である。佐久子と夫の祐次(ゆうじ)の離婚騒動から二人を遠ざけるため、父の実家に幼い姉弟が預けられるくだりである。つまり、佐久子を冨美子、祐次は源義、亜紀は清水であると言えなくもない。では時夫は、果たして春樹なのか、歴彦なのか。

 長男でありながらその場の空気を読まない無邪気な傲慢さが幼少期の春樹にあった、という印象をぼくはいくつかの取材から持つ。母の気を引くために、小便どころか大便まで漏らした、と記す人もいる。世界の中心に自分がいると常に目を向けさせ、そのことで両親の離縁という、彼の世界の崩壊を食い止めようと春樹はしていたのか、とも思う。そうふるまうことが、この少年なりの自己防衛であった、というのがぼくの見立てだ。するとこのシークエンスで時夫が見せる無邪気な身勝手さは、やはり春樹に近い。

 たまたま歴彦がこの場にいなかったのではない。作中では、そもそも、弟は一人と設定されているのである。

 清水が何故、弟を二人でなく一人としたのか。いくつかの考え方ができる。ここには記せないある理由から、弟の人数で虚構を書く必要が義母への配慮で清水にはあった、ともぼくは感じる。他方で、単に、小説の上の趣向だ、と言えなくもない。

 だが『花冷え』という家族小説から歴彦は疎外されている。この家族小説の「世界」に歴彦はいない。

 だからこそぼくなどは、『花冷え』には以下の描写が気になる。

 

〈それは、亜紀や時夫が不在の時の事だった。

 ……学校が好きになったのではないけれど、亜紀はこの頃、放課後もよく学校に残った。図書室で、ペローやアンデルセーの中にいると、亜紀はいつも、喪われた亜紀のメルヘンが再び蘇ってくる気がし、始めて子どもらしい、素直な愉しみの中に棲むことが出来た。家に帰ることが恐わくもあった。

 いつものように、おずおずと玄関を開けた時、深い暗闇の中にひきずり込まれた気配の中で、気が狂ったように泣きわめいている佐久子の声が飛び込んだ。

 茶の間は無残な形相をしていた。畳に投げすて、ほおり出された、花器や枯れた花、引っくり返った食卓膳は、そのまま佐久子の感情を物語っていた。

 「……訴えて……やるウ、わたしを……バカになんかされるもんかア……家庭裁判所にだって……フン……どこにだって……」

 立ちすくんでいる亜紀の気配も気づかず、佐久子の声は殺気だっていた。あおむけになった佐久子の体は崩れて、汚れた足袋の足までもがあらわな感情をむき出していた。そんな母が亜紀にはたまらなくみにくかった。〉

(前掲書)

 

 この場には、亜紀と時夫、つまり清水と春樹はいなかたい、と書かれている。そして亜紀だけが帰ってくる。夫の不義を知り、母が癇癪(かんしゃく)を起こし、家中の物をひっくり返した、その光景を描写したものだ。それは、危うい均衡の上にあった主人公の小さな世界、子どもの時間が崩壊した瞬間であり、実際、小説では、主人公には初潮が訪れ、甘美な子どもの時間の喪失が小説的主題となっている。しかし、これが一つの現実にあった出来事に材を得ているなら、もう一人の兄弟が、本当はその場にいたはずだ。

それは例えば以下のように、小説として描き得る光景だったはずだ。

 

〈破滅は予定通りに訪れる。

 結局、世界を壊しにかかったのは、母でなくなる前のその女であった。

 少なくとも史人にとってはそうだった。

 しかし母であった女の立場にたてば、世界などとうに壊れているではないかと、それをただ、はっきりと見える形にしたのであろう。

 家の玄関を開けると、人の気配はなかった。

 姉はこのところ、中学の帰りに母の探してきた家庭教師の家によって勉強するのが日課であり、兄はいつものように例の姉妹や彼の家来を引き連れてどこかに寄り道しているに違いなかった。

 鍵が開けっ放しなのはその頃の東京では珍しくもなかった。史人は誰も見てはいなかったが母に叱られぬように、玄関の一番端にズックの運動靴を揃えて脱いだ。そして母を呼び、それから兄と姉の名前を呼んだが、返事はない。

 誰もいない家というのは史人を安堵させる。それぞれの身勝手が幾重にも織りなす空気に気づかないふりをする必要もない。史人は台所でコップに水を注ぎ、喉を潤す。すると、玄関の引き戸がひどく荒々しく開かれる音がした。

 母だ、と思った。玄関口に上がる気配がする。母の怒りだけが冷たい波紋となって襖をへだてた台所まで伝わってくる。顔を合わせたらどういう顔をすることで母の怒りを鎮めることができるかと急いで算段する。史人は足音を立てぬように気を遣いながら廊下にでる。しかしそこには母の気配は消えている。

 次に物音がしたのは縁側に面した居間であった。その大きな音に史人は母が気を失って倒れたのかと思って慌てた。

「お母さん」

 母を呼ぶ。

 開いたままの襖ごと母の背中が見えた。

 母は動かず、史人をふり返らない。

 その手にはあの茶箪笥の引き出しが抱えられていた。

 二段めである。

 史人は事態を察して母に駆け寄る。

 母はいつもよりあでやかな外出着を着たままだった。

 既に一段めの引き出しが抜き出され、縁側越しに庭に放り出されているのが見えた。父の着物が散乱していた。

 父への怒りが爆発したのだ、ということは史人にもわかった。

 外で決定的な何事かが、とうとう起きてしまったのだろう。

 史人が母に触れようとした時、まるでそれを拒むように手にしていたその一段をまた庭に放り投げた。父のハンカチや下穿きが入っている。史人はその怒りを今はあえて鎮めず、母が嘆きや悲しみをそうやってひとしきり外に出し、その後で母が落ち着いたら散らかったものを一緒に片づければすむ、と冷静に思った。母は小さなヒステリーを起こすことはたまにありそれをなだめるのは史人の役目だった。いつもならそれで済むはずだった。

 しかし、母の次の行動に史人は困惑する。何故なら母は最後の段の引き出しに手をかけたのだ。そこには史人の宝物が収められている。史人の世界の全てがある。

「やめて」

 史人は母の背中にすがりつく。

 母はその時、史人を初めてふり返った。

 口許がわずかに動いた気がした。

 しかし、その時の顔を史人は思い出せない。何故なら母によって放られた引き出しがふわりと浮き、そして史人の宝物がゆっくりと宙に舞う光景に史人の気はとられていたからだ。〉

 

 引用した小説はぼくが昨年書いた物だ。活字にはしていない。ある出版社(角川ではない)の求めに応じて書き、歴彦とともに実母が晩年暮らした街や、離婚協議の間預けられた父の生家、少年期をすごした阿佐ヶ谷の街を歩いた。しかし、書き上げたところで、出版社も、関係者も出さない、と判断した作品だ。そのあたりの事情は面倒なので書かない。小説だから当然、虚構であり、しかし、同時にぼくはこの小説の作者だから、この描写の主観としてある少年のモデルが彼の記憶として語ったことの相応の部分を反映している、と知っている。全くアンフェアな引用だが、取材の過程ではメモをとらず、その時々の印象を小説の形式でパラグラフとして書く、ということをしていたのでこういう手段をとる。

 読み取っていただきたいポイントは二つで、歴彦は本当はその場にいたこと、そしてそのことが清水とはまた違う形で、世界の強制的な終わりとでもいうような事態としてこの子どもに受け止められた、ということだ。

 歴彦が幼年時代を過ごした家(それは杉並区に寄贈された幻戯山房(げんぎさんぼう)の名で公開されている角川邸とは異なる)の居間に、小さな箪笥(たんす)があった。源義は、不在がちで、家では書き物ばかりしていた。博士論文を書いていた。それでも「居間」が家族の団欒(だんらん)を象徴し得た時代の話である。時には一家が慎ましやかにあつまる、その、居間の一角に設えられた箪笥の一段を母・冨美子から、幼い歴彦が彼の特別な場所として提供されていたことは、本人の口から聞いた。

 歴彦専用の場所である。

 その箪笥は、幾つかの資料を照らし合わせると、恐らくは金田一京助が教え子、源義の若い結婚を案じて、著書を手伝ってくれたことを口実にして、その謝礼の形で源義に渡した祝い金で買ったもののはずだ。その一段を母は歴彦に与えた。兄や姉も同じ待遇であったかどうかは聞き漏らした。そこに歴彦は、真新しい文房具やら何やら、彼なりの「宝物」を収めていた。つまり、ようやく芽生えた幼い少年の「私」なり、自我なりの象徴であった、といえる。その小さな空間によって紡がれる自我というものがある。収められた宝物の仔細を歴彦は語らないが、それは今となっては思い出せもしない、本当にとるに足らない物だったろう。しかし、そのとるに足らない物こそが、しばしば小さな子どもにとっては大切だ。少なくともそういう種類の子どもがいる。引き出しの中の物を愛で、整理し、また、戻す、ということを歴彦は飽きもせずしていたのである。

 引き出しの中がこの子どもにとって小さな箱庭のごとき世界であった、というのはわからないではない。母からもらった小さな宇宙に愛しいものだけを集め、その中に収める、という少年の慎ましやかな「世界」のあり方は子どもの成長に案外と重要だ。この子は、そういう手続きが必要な子どもだということを母は理解していたのだと思う。一人の子どもが、身の回りの他愛のないものを配列することで小さな世界を作っていくことは、彼がやがて出会う、本物の秩序や世界というものをめぐる想像力を育むためには必要で、そういう「自作の箱庭」をへて、子どもは自力で現実へと着地していくものだ。

 そういう手続きは、今はスマートフォンのアプリやラノベの提供する「世界」に凌駕されている。自前の「世界」を育む前に、カスタマイズされた「世界」のまず消費者としてあることを人が求められる時代を、しかし作ることに荷担した一人が歴彦であるのは偶然ではない。それではまるで「引き出しの中の世界」とゲームやラノベの「世界」とが同じだと、お前は言うつもりかと問われるだろうが、その通りだ。

 同じだ。

 少なくとも歴彦にとっては「同じ」だ。

 そして、歴彦という子どもは、この母に与えられた小さな世界が母によって蹂躙(じゅうりん)された経験を持つといえる。その世界喪失者としての記憶を、歴彦は、もうとうに他人のものとなり、かつての建物の位置さえ曖昧な、その庭のあったとおぼしき場所の前で語った。

 実母が家中をひっくり返し、いわば家族の崩壊を形にしてしまった時、子どもたちは確かに一つの世界を奪われた。清水もそれは経験した。しかし、ちょうど、子どもの時間を終わりかけていた清水にとっては、それは過酷であっても、甘受し得るものであった。子ども期の終わりの、やや残酷な試練として受け止められた。一方で春樹は、過度に幼い子どもを演じることで、世界の崩壊を見ないと決め込む抵抗をしていたのではないかと、ぼくは春樹を直接には知らないが推察はする。

 しかし、歴彦にはまだ「引き出しの中の世界」は必要だった。「引き出しの中の世界」とは、いうなればライナスの毛布、ウィニコットの言う「移行対象」だ。母からやがて心理的に自立する運命にある子どもが、その母離れの過程で、母に抱かれる代わりに、毛布やぬいぐるみを肌身離さなかったり、空想の世界に耽溺(たんでき)する。「引き出しの中」はそういう「空想の世界」の一つのあり方だといえる。

 ぼくは生家の前でその話を聞いた時、歴彦が将棋やTRPGといったゲームに何故、執着するのか、その一番根にあるものを理解した、と思う。将棋にせよTRPGにせよ、それは一つの宇宙なり世界の上に成り立っているではないか。そういう「世界」の表象としてのゲームに歴彦は執着する。個人的なことを言えば、盤上に出現する「世界」にぼくは少しもときめかない。ぼくの身近な人間たちは知っているように、ぼくはTRPGも将棋もコンピュータゲームも、トランプやパチンコやバックギャモンやすごろくや、あらゆるゲームをしない。興味がないのだ。ぼくは「世界」のあるゲームとないゲームの両方に興味がない。そのことはぼくが本質的に作家に不向きだということと関わってくるが、それは、今はどうでもいい。

 しかし、歴彦が執着するのは常に「世界」のあるゲームだ。

 あるいは「世界」創りの仕掛けとしてのゲームである。そして「世界」そのものに彼は執着する。

 ぼくは、いわゆる角川騒動の時、角川を去ることになった歴彦が、ガラスだかクリスタルだかの、ドラゴンのフィギュアをいくつか大切そうに持ち出したことを覚えている。それだけを持って出たというのは大袈裟だが、副社長室から彼が持ち出した物のなかにドラゴンはあった。ドラゴンはあの時の歴彦にとって、TRPG的ファンタジーの象徴のようなものだ。角川のロゴは鳳凰だが、あの時の歴彦にとってはドラゴンがその位置に心情的にはあったとさえ言える。

 だからはっきり記すが、あの時彼が率いていた、角川メディアオフィスは歴彦の箱庭であり、TRPGの「世界」と同質のものだ。角川メディアオフィスが北米のTRPG出版のシステムをメディアミックスのシステムに導入した、というところまでは幾度か各所で触れたし、今年の夏、東大のサマープログラム内でその関係者のヒアリングを行うことで、その歴史はパブリックなものにした。この連載でも気が向けば書く。しかし、ぼくの一つの実感としてあるのは、角川メディアオフィスそのものが一つの「ごっこ」、TRPGの場であった、ということだ。

 歴彦が持ち出した像が、TRPGのドラゴンを模したものなのか、単にそういうドラゴンに見える像だったのか、どういう経路で入手したのか、聞いた覚えもあるが忘れてしまった。だが、ドラゴンのフィギュアはあの時、角川メディアオフィスの中に成立した歴彦の「世界」を、「箱庭」を象徴するものだった。だから、ドラゴンのフィギュアを持って角川を去ろうとする姿を改めて思い起こすと、ああ、あの時、彼は兄に「世界」を蹂躙されたのだ、と感じる。春樹が何故、歴彦の箱庭を蹂躙しようと思ったのかはぼくにはわからない。ただ言えるのは、角川メディアオフィスの人々は歴彦の遊び相手であり、あるいは庇護者であったということだ。

 そのことに関連して、いくつか思い出すことがある。水面下で角川メディアオフィスの社員の集団離脱計画が進んでいく中、その密議をするメディアオフィスの会議室では、「犬」だか「猫」だか「うさぎ」だか「羊」だか忘れてしまったが、とにかく動物の名を合い言葉にする、ということを彼らはやっていた。本当に合い言葉で「きりん」とか言うのだ。その子どもじみたあの感じは多分、あの時の角川メディアオフィスにあった特異な空気だ。探偵だ、盗聴器だと春樹派は春樹派で疑心暗鬼であったが、メディアオフィスの人々の態度はどうも違った。新会社の取り次ぎの口座の問題一つとったって、あてが当初あったわけではない。資本金もそうだ。悲壮ではあった。しかし、その一方で、彼らは明らかに分裂騒動を「遊んで」いたのだ。実際、そこに関わった一人であるぼくは、不謹慎だが面白かった。

 だからメディアオフィスの独立は彼らの「ごっこ」の場の確保だった。歴彦は「ごっこ」の一員に過ぎない。

 独立後のメディアワークスで、中心メンバーだった女性編集者が歴彦のいない席で、彼のことを「うちの歴(つぐ)が」と呼んでいたのを覚えている。この言い方は、佐藤辰男を含め、ほかの幾人かもしていた。彼女からは、歴彦と話し込んで帰る折、「うちの歴(つぐ)と遊んでくれてありがとう」と冗談めかしてよく言われた。揶揄ではなく、どこかで歴彦の「ごっこの場」を守ってやった、母親のような気分で彼女がいることが察せられて、その言い方をぼくは嫌いではなかった。

 もう一つ、改めて詳しく書くかどうかはわからないが、歴彦は源義からも「世界」を奪われた子どもであったことはこの流れのなかで触れておく。歴彦は将棋の奨励会に入り、プロの棋士を目指し、後の中原(なかはら)名人らと精進しながら、突然、源義に将棋を強制的に辞めさせられるのだ。

 将棋を勧めたのは父なのに、である。

 大学に進み、自分の会社を継げ、そのために学業に専念せよというわけなのだろう。「その時、初めて不条理という言葉の意味を心から理解した」と歴彦は言う。不条理、という言葉が流行っていた時代である。

 つまり、実母に、父に、兄に、歴彦は「世界」を繰り返し奪われている。姉の甘美な家族小説に彼が登場しないこともその一つと数えていいのかはわからない。しかし、歴彦の立場に立てば、彼の世界は極めて不条理に家族たちに幾度も蹂躙されてきたことになる。

 とにかくも、歴彦が最初に「世界」を奪われた、その始まりの光景を何故だか姉・清水眞弓の小説では描写されず、角川家の全ての人々が作中人物としてあるのに、歴彦だけがそこに描かれない。そのことは「世界」を奪われた子どもとしての彼を少なくとも象徴はしている。

 だからといってそのことで彼を悲劇の人にするつもりはない。

 小さな子どもとしての心の傷など、誰でも持っているものだ。

 無論、ここで描いた「世界を蹂躙された子ども」というのは、批評家というよりはぼくの中にかろうじてある作家としての想像力によって、半ば膨らんだイメージに過ぎない。

 しかし「世界」への執着という一点で見ていくと、歴彦の多くの行動が腑に落ちる。

 セカンドライフが話題となった時、いち早く着目し、そして、自分のアバターが仮想世界で動く姿を嬉々として見せた姿をぼくは思い出す。彼が子どもじみた無邪気さを憚ることなく表に出す時、そこにいつも箱庭のような「世界」があるのだ。言うまでもなくそれは本物の「世界」ではなく、仮想の「世界」である。コミケからニコ動に至るまで「おたく」的な小さな閉塞したメディア空間に過敏に反応する姿を思い出しても、結局は「母の与えた引き出しの中の世界」を未だに求めているように思える時がしばしばあった。

 こういう言い方は不遜だが、その子どもじみた脆さにこそ、ぼくは幾許(いくばく)かの同情なり共感をかつては持っていたのだ。

 そのことが歴彦の企業人としての良き資質といえなくはなかった。

 

 ぼくの友人でもある、カナダのアニメーション研究者マーク・スタインバーグは近著『メディアミックス』の中で、KADOKAWA・DWANGOの未来についてこう提言する。マークは小さな世界の擁護者として歴彦の企業を理解しようとするのだ。

 

〈あるいは、KADOKAWA・DWANGOは次のGoogleを目指してしまうかもしれない。でも、KADOKAWA・DWANGOという存在は、角川の言うメガコンテンツ・プロバイダーとしてではなく、創造のイノベーションを支えるプラットフォームとして捉え、「メガ」よりずっと小さい規模で、極めて創造的で面白いメディアミックスを引き起こすことの出来る、新しい形を作ろうとしていると考えていきたい。「メガ」は、GoogleやAmazonに任せよう。その代わりKADOKAWA・DWANGOには、マイナーを受け止め、サブカルチャーを受け入れ、トランスメディア・ストーリーテリングやメディアミックスというデリケートな生態系の発展を支えてもらおう。地域にも、日本の国境を越えてグローバルにもリーチ出来るとすれば、この可能性なのではないか。〉

(マーク・スタインバーグ『メディアミックス』)

 

 マークはここまでぼくが記したような歴彦の来歴を知らない。だが、外国人の彼が見た時、角川がおたく文化のある種のデリケートさを掬い上げる繊細さをもち、その擁護者のように見えたことは傾聴すべきだ。ぼくが身近にいて感じとっていたことを、マークは異国から読みとっているように思える。ぼくは、今のKADOKAWAは所詮、そういうものをマネタリングするだけだ、と悪態をつくことにしている。だから、マークの方がニュートラルだ。暴力的なまでにグローバルなGoogleやFacebookに比べた時、「小さな世界」の擁護者としてのKADOKAWAにマークは善意の可能性を見出す。その善意の方向にぼくはこの企業が向けばいい、と思うが、危惧もする。

 実は、その点は、マークもしている。

 それがこのサイトや、別の場所で述べたKADOKAWA・DWANGOのぼくの批判の一番の理由に実はなる。

 それは歴彦が合併後のKADOKAWA・DWANGOを「日の丸プラットフォーム」と形容したことだ。マークはそのことへの危惧をこう記す。

 

〈ただ、ナショナリスティックな言葉に依って単純にこうしたアメリカのメディア支配を否定するという陥穽に嵌るわけにはいかない。KADOKAWA・DWANGOの危うさは正にこの点である。アメリカのヘゲモニーへの対案として出てくる言葉は時にかなりナショナリスティックである。角川歴彦は記者会見で経営統合は「日の丸プラットフォーム」のためと発言していたことを忘れてはならない。メディアミックスやコンテンツが国家というパラダイムで明示的にどういう位置づけとされているのかについて、疑問を持ってみる必要があるだろう。私は、こうしたレトリックを使うことはビジネス戦略としては自滅的だと考える。KADOKAWA・DWANGOが述べているように日本のコンテンツを世界へ拡大させていきたいのならば、プラットフォームと大日本帝国的なイメージを(少なくとも言説のレベルで)接合させることは得策ではない。このようなレトリックは、日本以外の世界では受け入れられにくいだろう。特に、東アジア、東南アジアといった角川が今以上にプレゼンスを高めようとしている地域はもちろんだし、北米地域においてもそうだ。〉

(前掲書)

 

 「日の丸プラットフォーム」発言は少し前、いわゆるクラウドコンピューティングが話題になった時、歴彦が国家プロジェクトで日本独自の日の丸クラウド「東雲(しののめ)」を主張していたことと一つの流れである。「東雲」プロジェクトを口にした頃から、ぼくは彼の変化を感じている。春樹もどきの大作映画のプロデューサーとして振る舞ったのもこの前後だ。彼の小さな世界を失った子どもとしての自我は、「日の丸」や「国力」と不用意に結びついていった印象がある。彼の「世界」は、いわば「箱庭」から「日本」に取って代わった。しかし、それは、企業人としての「成熟」なのか。

 一つの巨大なメディア産業のトップのメンタリティとしてそのことをぼくは危惧する。こう書くと未成熟な自我と「日本」が一挙に結びつくこの国の「愛国」とひどく似かよっているようにも思えるが、全くそうなのだ。一国の首相とてそのレベルなのだから、歴彦を批難するのは酷かもしれないが、ぼくはナショナリストではないから、「国家」というものに生理的に反発する。それはしばしば人の幼さや未熟さの代償だからだ。企業なり政府が「国家」としての戦略を持つことはそこに荷担したくないだけで否定はしないが、しかし、その時語られる「国家」も、対峙する「世界」も「引き出しの中の世界」の代償物であってはならない。話が飛躍している、と思うかもしれないが、そういう「危うさ」を「日の丸プラットフォーム」という言い方に感じる。「引き出しの中の世界」を「日の丸」で贖(あがな)おうとするネトウヨのようなトップのメンタリティでは企業人として脆い。

 「クラウド」をめぐる発言の中で、日本のポップカルチャーは「ガラパゴスでいい」という発言も歴彦はする。しかし、この「ガラパゴス擁護論」(例えば朝日新聞のナントカいう記者がそうで、シンポジウムでぼくが「世界まんが塾」の話をしたら、「ガラパゴスの方が正しい」と食ってかかられたことがある)は、「日の丸」論と一体なのは言うまでもない。ともに「箱庭」の代償なのだ。それはマークのいう、「デリケートな生態系」を「地域」や「国境を越えてグローバルに」なりうる開かれ方とは、やはり違う。

 では、どうすればいいか、とこの時代は皆、続けて質問してくる。面倒な時代だ。

 それは日本のWEB企業がいかなる企業倫理をもつのか、という問題である。

 そもそも、WEB企業というのは北米のビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズからマーク・ザッカーバーグに至るまで、彼の国の「おたく」たちによって創業され、社会的インフラを構築した。その過程で、良い悪いは別として、そしてムカつく、鼻持ちならない、という気もしなくもないが、彼らなりの企業倫理が形成された。少なくとも「なくてはいけない」、というフリだけはしている。同じように、従来の企業やジャーナリズムに実体があるかどうかは別として、やはり企業倫理があった。その一方で例えば生命工学という新しいインフラの登場で「生命倫理」という新しい倫理が必要とされたりもする。

 要は、これと同じことだ。

 日本のいわゆるIT系の企業もまた、しばしば、北米と同様に社会性を欠く若者によって作られてきた。ジョブズやゲイツ程でないにしても、それがホリエモンからひろゆき、川上量生(かわかみのぶお)に至るその他の面々であっても、彼らがある種の権威に対するカウンターであるうちは、既存の企業やメディアの倫理をただ否定すればよかった。しかし、DWANGOがKADOKAWAを吸収(した、とぼくは思っている)し、かなりの高確率でいくつかの大手出版社やメディアが吸収されかねず(例えばKADOKAWA・DWANGO・KODANSHAやKADOKAWA・DWANGO・KODANSHA・BUNGEISHUNJUになっても誰も驚かないだろう)、TSUTAYAが徳間書店を支配下に実質置いたのはどうでもいい例だが、旧メディアがWEBやWEB以降の新しい企業体に収斂(しゅうれん)していく流れは当面、続く。ほんとうは踏みとどまった方がいいのだが、まあそれはいいや。

 彼らはもはや大きなメディアだ。

 いや、メディアでなくプラットフォームだと彼らは言うだろう。

 例えば、角川がDWANGOに統合された時、角川にかろうじてあった出版社やジャーナリズムとしての倫理(それは井上伸一郎(いのうえしんいちろう)がTwitterで東京都にフライングで噛みつくといった程度であるにせよ)は消えた、と言っていい。これはちょっとおもしろい問題だが、本当に「消えた」のである。それは見事に消えた。その証拠に改正青少年育成条例の新基準に基づき、不健全図書に指定された「妹ぱらだいす!2」を自主回収している。表現の自由でなく、せっかく和解した東京都との関係を優先した、という打算さえない気がする。判断のよりどころが「ない」ということがおかしいと思わない。プラットフォーム企業というのは「場」を提供するだけで、その中身に「責任」はない、と考えるから実態は旧メディアにとって替わる権威になっていながら、メディアやジャーナリスズムがかつて守ろうとした理念や倫理から免罪されている。旧角川は自己規定を合併で「プラットフォーム」に変えたことで旧メディアや出版社としての倫理からあっさりと離脱したように見える。

 しかし、別にそれは角川だけの問題でない。朝日の権威の失墜が象徴するように、旧メディアの倫理は急速に葬られている。

 葬るのは実は当然だ。そもそも今この国を動かすエンジンである、新自由主義は社会ダーウィニズムだから、優勝劣敗が唯一の倫理だ。その倫理の不在をとってつけた「道徳」、つまりこの国なら「愛国」、北米ならキリスト教原理主義が代行する。

 この国のWEB企業に問われているのはまさにこの問題である。

 企業やメディアの倫理が解体したのは必ずしも彼等のせいではない。しかし、追い風にし、利用もした。

 そのとき、KADOKAWA・DWANGOに、WEB企業という新しい企業体としての倫理はあるかというと、いまのところあるように見えない。角川にあった出版社、旧メディアの倫理はWEB企業になった瞬間、消えた。一応はいくら角川でもメディアだから、倫理はなくてはいけないという抑圧からあっさり開放された。それでは、ドワンゴにあるか、といえば作っている最中だ、と言うかもしれない。しかし、作られなくてはいけない。無論、ぼくは、この先、製造業や旧ジャーナリズム、出版社が全て消える、と思ってはいない。しかし、KADOKAWA・DWANGOのごとき、プラットフォーム企業が社会的インフラ構築の責任と、かつてのジャーナリズムの役割を否応なく果たしていかなくてはいけないことは確かである。

 その時、彼らが新たなWEBやプラットフォームの倫理学を創れるのかどうかが問題である。

 角川歴彦は旧メディアの中ではどちらかといえば「おたく」寄り、つまりその未成熟さがある種の「素養」であった。だから、問題はその「素養」の先にどういう企業倫理が可能かだ。それをマークは指摘している。

 歴彦が「日の丸」を不容易に口にしてしまうことは、「ナショナリスティックな言葉に依って単純にこうしたアメリカのメディア支配を否定するという陥穽」だとマークはいう。強者としての北米プラットフォームのカウンターになることは自らも「強者」になることか、と問いかけている。つまり、ナショナリズムでない、「おたく」の成熟のあり方を示すべきだ、とマークは言っているようにも聞こえる。それが、北米のリベラリズムをベースとするWEB倫理とどう違うのか。同じなのか。その「倫理」とマークが感じとっているマージナルなものへの感受性は結びつき得るのか。結びつくといいとぼくは願う。

 なぜなら、日本にいると見えないが、日本産おたく的サブカルチャーは国境を越えた「弱者」の文化なのだ。移民、マイノリティ、プアホワイト。海外のアニメイベントにあつまるのは各地域に一定数いるおたくや腐女子だが、一方では社会的な少数者の比率が相対的に高い。フランスの2番目に大きいアニメイベントでワークショップをやったとき、会場の人種の多様性に改めて驚く。ロマの女の子が「カードキャプチャーさくら」のコスプレをしてぼくの話しのノートを取っている。アメリカのアニメイベントで、あんたのまんが、クールだぜ、とため口を効いてくるのはスパニッシュの兄弟だ。日本のまんがアニメは世界に届いているが、正確に言えば、世界中の多様なマイノリティや「弱者」に届いているのだ。ネトウヨみたいな反ユダヤの子どももいた。日本だって本当はそうだ。「おたく」はいくらまんがアニメーションが「日本文化」ともちあげられても、所詮、この国ではマイノリティだ。各地域でマイノリティのまんがアニメファンの、その対極に高偏差値のおたくがいるので実態が見えにくいし、北米でもハーバード大学やなどの超一流大にも日本まんがの研究者はいるが、文系のザッカーバーグか「ビッグバンセオリー」のレナードみたいな連中だ。

 ネトウヨが象徴する様に「オタク」たちは「強者」の列に並びたいと必死だし、いじめられっこが権力持っちゃった状態の安倍に共感する気持ちもわかるが、おたく文化は「弱者の文化」なのだ。弱く、マイナーで、マージナルで、デリケートで、そういうものの上に成り立つ、文化として世界とつながっている。ならば、弱く、マイナーで、マージナルで、デリケートで、そういうものの上に成り立つ、別の企業倫理があるはずだ。

 正直にいえばそれをKADOKAWA・DWANGOに期待するマークほど、ぼくは好意的にはなれない。「弱者の文化」というと「負け」のような気持ちになるかもしれないが、それは違う。

人の弱さや脆さの上に成り立つ文化がある。それを擁護し育むプラットフォームは可能なのか。

マークは歴彦にそれを期待し、ぼくはしない。しかし、そういうプラットフォームだけが北米の巨大プラットフォームに対抗できるというマークの主張は正しい。

 

 サヨクみたいだ、と思うかもしれないが、サヨクのオタクは、オタクが「おたく」だった時代にはたくさんいたんだよ。 〈つづく〉

 

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「角川歴彦とメディアミックスの時代・序」2014.06.04

【第1回】角川歴彦とメディアミックスの時代 2014.06.25

【第2回】角川歴彦とメディアミックスの時代 2014.09.30

(written by 大塚英志



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