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テーマ MY「古典」

過去のレギュラーセレクター

我が人生における古典作品。我が生涯の遍歴の分岐点。まぁ色々と思い当たるものの、書物については後々にまた語る機会があるっぽいのでそちらに譲るとして、ここではそれ以外の幼少の思い出について諸々と語ってみたい。しかしそんな過去の諸々にまつわる品々がこうしてオンラインでポチるだけで簡単に手元に配送されてくる社会って、けっこう物凄いことなんじゃないだろうか。思い出の故郷をgoogleアースで散策し、思い出の品をAmazonで購入できる時代。ネットってつくづく時間と空間を超越してるよな。

007 私を愛したスパイルイス・ギルバート

当時5歳の私に「大きくなったらジェームズ・ボンドになって裸のおねいさんとイチャイチャするぞ!」と決意させた重大な作品。つうか5歳児を映画館に連れてって007とか観せるなよなぁ当時の父。あと保育園でスーパーカー博士を自称していた私は、ロータス・エスプリが市販車仕様のままで潜水艇に変形するものと固く信じて疑わなかった。後に小学生になってから観たムーンレイカーとジョーズ繋がりで記憶がごっちゃになり、「宇宙に行くのは別の話」と区別できるようになったのは中学生になってからだったような。

ダンジョンズ&ドラゴンズホビージャパン

まぁ同世代のライターの例に漏れず私もまたテーブルトークRPGから数々の物語作法を会得したクチなのだが、当時からバッドエンド依存症の萌芽はあったと見えて、私がダンジョン・マスターのときはいつも最初のセッションでパーティが全滅し誰も2レベルに成長できないのが困りものであった。一度だけ生還者が2レベルになり、そのときは皆が快哉を叫んで喜んだものだが、彼らも次のセッションで残らず死んだ。今にして思えば、あれでけっこう友人を減らしていたような気がする。

装甲騎兵ボトムズバンダイビジュアル

ロボット目当てにアニメを観ていた幼少期の私の興味が、いつしか作劇へと切り替わっていったのは、やはりこの作品が分岐点だったような気がする。当時小学生だった自分の写真をアルバムで見ると露骨にキリコみたいな目付きをしてて大層笑った。今にして思えば、序盤なんて毎回主人公が逮捕されて拷問されて脱走して……をひたすら繰り返すマゾアニメだったんだよなぁ。こんなの小学生に観せたら情操教育上どんな影響を及ぼすことやら、ってその成果が他ならぬこの私ということか。うん、納得。

1/144ゾックバンダイ

……白状する。私が手に入れた人生初ガンプラが、これだった。たしか親父が買ってきてくれたんだっけか。いくら何でもゾックはねぇわなぁ、と今となっては思うものの、当時はそりゃもうガンプラってだけで大層嬉しかったもんよ。「コレジャナイッ」なんて癇癪起こすような可愛くない餓鬼はいなかったんだよあの頃は。ちなみに自力で買えた1/144ガンダム、1/100ガンダムはどっちも台湾製だったことが後のボックスアート検証で判明した。とんでもねー時代だったんだなァ。

男たちの挽歌ジョン・ウー

映画ってイイもんだなァ、としみじみ心に沁み入った最初の作品ってコレだったかもしれない。以後は道端で植木鉢を見かける度にベレッタを仕込みたくてウズウズしたものである。食事を済ませて飯屋から出た後もず〜〜〜っと爪楊枝を咥えっぱなしだったのは言うまでもない。ティ・ロンのおかげで男は額がちょっと危ういぐらいがカッコイイ、とさえ思ってしまった程だ。個人的に映像ガンアクションはリアリティよりも見栄えが大事、と思ってしまうのは、やっぱジョン・ウーに植え付けられた価値観だろうな。

虚淵 玄さん

72年生まれ。小説家、シナリオライター。ゲーム制作会社ニトロプラス所属。ゲームには『鬼哭街』『沙耶の唄』、小説には『Fate/Zero』『白貌の伝道師』などの代表作があり、独特のヒロイズムに貫かれたハードボイルドな作風でファンを魅了している。

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