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テーマ 「次世代」を感じさせてくれた作品

過去のレギュラーセレクター

新しい物好きの飽き性という性質もあって、振り返ってみても次世代を感じた瞬間というのは多かったような気がします。おかげで後ろを振り返ることなく走り続けた結果、教養のない27歳ができあがってしまいました。反省しきりですね……。さて、思いつくことは多々あれど、絞りきらないといけませんので、できるだけその登場以前と登場以後で、世界の景色が変わってしまったものを選んでみました。

シグマリオンIINTTドコモ

今でこそ珍しくもなくなったiPhoneやAndroidからなるスマートフォンの奔流ですが、僕が最初にモバイルを意識したのは高校の恩師が持っていた『シグマリオンII』でした。今では一眼デジタルカメラを使う人以外その存在を認識することはなくなったであろうコンパクトフラッシュのスロットを備えていて、そこにNTTドコモのデータ通信カードを差し込むことでどこでもインターネットが出来たのです。筆箱程度の大きさでWindowsを外に持ち歩く時代がきてしまったのだと、『シグマリオンII』の存在を知ったときは戦慄しました。

ほしのこえ新海誠

ついにたったひとりで、このクオリティのアニメーションすら作れるようになってしまったのか、と一個人のクリエイティブの底のなさを覗き見たような気持ちになったのが本作。信じられないな、と思う反面、たったひとりの人間が描き出せる世界はここまで広がったのだと、希望を覚えたこともまた事実。振り返ってみて、個人の才能が発露しやすくなったインターネット時代のひとつの分水嶺だったのかも、と思わせる作品です。

ニンテンドーDS任天堂

ニンテンドーDS登場以前と登場以後で、世界は全く異なった景観を見せるようになりました。かつてのゲームの文法から脱却し、増え続けるコントローラのボタンと複雑になり続ける操作を、DSの二画面&タッチスクリーンは根底から覆してしまったように思えます。結果として登場した『脳トレ』や『nintendogs』といったゲームは、まさに「世代の転換」の象徴のようなタイトルでした。ところで、ゲームキューブも実は複雑化からの脱却を図ったハードで、大きなAボタンと、その横の小さなBボタンは、それだけを使って遊べるぐらいシンプルなものを作っていきたいという任天堂の願いが込められていたのだとか。任天堂の変革を嫌わない姿勢が大好きです。

L.A.ノワールRockstar Games

ゲームファンには「グランド・セフト・オートシリーズ」などでもおなじみのRockstar Games最新作『L.A.ノワール』ですが、この作品にはどちらかというと、もう過去には戻れなくなってしまった次世代感を覚えます。ゲームにモーションキャプチャーが活かされるようになって久しいですが、本作はついに人間の会話中の表情までCGに落とし込んで、虚実を語る感情の機微をゲームの演出として巧みに活かそうと試みています。その表情のリアルさたるや、もはやこのクオリティで日本のメーカーがゲームを作るのは難しいのだろうなぁ……と諦観の境地に至る出来で。しかしクオリティを上げる以外にも新しさを出す方法は無限にあるはず。日本のメーカーの描く次世代にも期待しています。

星海社FICTIONS&星海社文庫星海社

そして最後は手前味噌、と星海社の編集者の鑑のような僕ですが(ドヤッ)、割と真面目な話、星海社FICTIONSと星海社文庫の制作に関わってから以降、モノクロの挿絵が描かれた文芸作品を、直截的な言い方をすれば“古い”ものだと感じるようになってしまいました。カラーの挿絵による目新しさは、僕らを未来に推し進めてしまった――あるいは過去に戻れなくしてしまった、パンドラの箱だったのでは、と思うことがしばしばあります。最後に残ったのは次世代への希望でしょうか、それとも……。いずれにせよ、自分に出来ることは前見て走る、だけでしょう。精一杯頑張ります。

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