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テーマ 死ぬまでに越えてやる!と目標にしている作品

ゲストセレクター 2011年08月

「死ぬまで」の「死」は「何」が「死ぬ」ときなのか、書かれていないところが魅力的だと思って。芸術は何時でも生を切り取るものですが、精神は最も死に近い場所にあるのだと思いますよ。永遠なんて不必要ですものね。テーマを送って下さった皆様、本当にありがとうございました。

ファニーゲームU.S.A.ミヒャエル・ハネケ

16歳の心に爆弾を埋め込んだ作品。観たことを生まれて初めて後悔した作品。監督は暴力を決して野放しにせず、残酷なまでに躾けて私たちに見せつけます。その鮮やかな手法は尊敬せずにいられません。凍る体。瞳孔が画面を拒否しても席を立てなかったのは、「目を逸らしたら、お前の負けだ」と言われた気がしたから。そう。観客が4人しかいない映画館に足を踏み入れた時点で、私の『ファニーゲーム』は始まっていたのです。あの時、どうすれば勝つことが出来たのだろう。・・・あのゲーム、本当に終わったのかしら?

TidalFiona Apple

実はあまり音楽に詳しくないのですが(皆さんに教えて頂きたいほどです)、彼女は本当に好きです。十代に出したアルバムでこれだけ濃密な世界観を作れるなんて、言葉も出ません。生々しく、力強く、繊細な叫び。どこまでも押し殺したような激しい感情の動き。音楽の「鼓膜から世界が生まれるような感覚」に、心から畏敬の念を持っています。たとえ耳を塞いでも、ベースやドラムは体に響いて、人を震わす。演劇もそのライブ感を見習いたいな、といつも思います。

Diane Arbus: An Aperture MonographDiane Arbus

演劇を作る際に、写真から刺激をもらうことが多々あります。ある種のプレッシャーですね。たった一枚に切り取られた一瞬の輝きが伝わったとき、これから舞台で感じる一秒の重さが強く圧しかかるのです。社会の闇に隠れる人々を撮ることに執着した女性写真家。その作品は影。温かい日常の、背中にある冷たさ。こんなにも率直に「受け取る」ことができる芸術があるのでしょうか。悩みを、思考を、被写体を、世界を、何も壁を作らず、ただ「受け取る」。その眼差しに、憧れは強まるばかりです。

アワーミュージックジャン=リュック・ゴダール

レイチェル・カーソンは「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」という言葉を遺されました。私は鋭い痛みを感じました。あらゆることを『知る』ことが出来るこの時代、一体何を追って行けばいいのだろう、と。そういった中で、知性と感性を偏ることなく表現するゴダールの作品は、やはり近づくことのできない壁のように感じます。この映画のラストシーンは、本当に美しかった。海の向こうに哲学があるなら、私達がいまいる場所でも『感じて』生み出せる気がして。

アンパンマンやなせたかし

インタビューを読まれた方はもうご存知かと思いますが、実は私はアンパンマンに育てられた子どもなのです。・・・顔がね、似てるんですよ・・・。そして、いつまでもこの作品の呪縛から逃れられないのです。自分の体を破壊してまで人に奉仕する精神、その人生哲学はあまりに強烈で、私に重い足枷をはめました。愛しています。しかし親離れなくして、自立はありません。心の中の彼を倒して進まなければならないのです。これは命を懸けた闘いです。ちなみに、いまだにグッズを買い集めている事だけは死んでも知られたくない秘密です。

原くくるさん

92年生まれ。東京都出身。現在、都立六本木高校演劇部在籍中。脚本、演出、出演を務めた戯曲『六本木少女地獄』は2010年度の東京都高等学校演劇コンクールにて教育委員会賞ほか多数の賞を受賞。関東高等学校演劇研究大会では優秀賞を受賞。演劇シーンの未来をノックする旗手として演劇界にデビューを飾った期待の新人。2011年8月、星海社FICTIONSより、『原くくる処女戯曲集 六本木少女地獄』を刊行予定。


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