テーマ この「資料」にはお世話になりました
レギュラーセレクター 月曜日 田中ユタカさん
2011.08.29
僕は「先生」も「先輩」も「仲間」もないままマンガ家になりました。マンガが好きで、絵を描くことも好きではありましたが、人並み外れた熱狂的なマンガ青年とは言い難いものでした。元手なしで、自分独りで、今すぐに始めることが可能な仕事としてマンガを描き出しました。人間の心を相手にして、ものを描くこということの厳しさや貴さを、思い知ったのは職業作家となってからでした。 はっきりとした職業的なロールモデルを持たずにプロになった僕は、自分にとっての、仕事をする上での基準と指標となるものが必要でした。
『地獄の黙示録』撮影全記録エレノア・コッポラ
よく「コッポラの狂気」と伝説的に言われたりすることがありますが、ここで伝えられるコッポラ監督の姿は誠実な作家の極めて真っ当な苦闘の様です。たとえ破滅しそうになっても、決して作品から逃げ出そうとしません。「(映画会社は)『さっさと映画を完成させてくれ、銀行や興行主をこれ以上待たせられないんだ』と言ってる。そして俺のなかでは、『思ったとおりにやるんだ。肩の荷を下ろそうとして、結論を急ぐな』という声がする」そうだ、肩の荷を下ろす言い訳を探してはいけない。
陽子―荒木経惟写真全集3 荒木経惟
この世には愛は実在します。ここに実在しています。そういって差し出せる作品が描きたいと願います。 少しも笑わずに、ほとんど無表情に、うつむいた彼女。男のセーターを着て、髪が、風になぶられている。すごい……恋する女の顔だ。そして、僕にだって憶えはある、この写真は、これは、恋する男の目線だ。恋する男が見た彼女だ。なんてことだろう。笑顔、生活、青空……。それ自体が愛そのものである、僕もそんな作品が描きたい、と思います。
蝦蟇の油―自伝のようなもの黒澤明
一生の師を得ることは、一生の友達を得るよりも幸福なことだと言います。黒澤監督の助監督時代のエピソードを読むたびに自分も「先生」に出会いたかったと感じます。明治生まれの黒澤監督のあたたかい力強い言葉がたくさん溢れています。創作の秘訣が無造作にいたるところに書かれています。でもいちばん大事なこと。仕事をするなら一心不乱。「世界のクロサワ」の実際はひたすら、ひたすら、まっすぐに一生懸命、ただそれだけでした。
少年カフカ村上春樹
この本から僕は作家としての姿勢を多く学びました。日常の一日一日を厳しく律し、規則正しく、勤勉であること。作家の仕事は長距離走。影響されて、僕もただちに生活を早起きの朝型に切り替えました。一生というタイムスケールで自分の仕事を考えられるようになりました。僕は「ヒット作家」や「有名作家」や「成功者」になりたいのではない。少しでも「良い作家」でありたい。一生をかけて僕は良い作家になろう。評価されてもされなくても、自分の人生の時間をそのために使おう。そういう決心が出来ました。
フォー・フリックスザ・ローリング・ストーンズ
お金がいくらあろうと、過去にどれだけの成功作があろうと、作品作りには魔法はないです。ギリギリと脂汗を垂らすしかありません。華やかでド派手なツアーの場面と対照的なスタジオでの新曲録音の風景。ミキシングが気に入らず毒づくキース。悩みこむメンバーたち。うんざり感を無理矢理ジョークで振り払うミック。この姿、自主制作CDを録音する街のアマチュアバンドと違いはどこにもありません。僕は嬉しくなり、勇気付けられ、感動します。そして、心から尊敬します。
田中ユタカさん
66年生まれ。マンガ家。主な作品に『愛人[AI-REN]』、『ミミア姫』、『愛しのかな』、『もと子先生の恋人』。『初夜』などの純愛系作品、多数。“恋愛漫画の哲人”、“永遠の初体験作家”、“愛の作家”と呼ばれる。携帯コミックでも新作を意欲的に発表。
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