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ありがたい事に、僕の好きな作家の方々は多くがまだ存命です。遺作となる作品は、体力的に大作である事はあまりないし、未完である場合も多いので、なかなか候補を出すのが難しいですね……。亡くなられた作家の方々について調べたりしていると、自分はあと何本物語をつくり、何枚絵が描けるだろう……と考えてしまいます。

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「遺作になったゆえに傑作ということになっている」なんて言葉を使う人がいますが、否。もう一度書きましょう。否。何度でも書きましょう。否。断じて否。そのような下劣な表現を口にしたくなる気持ちは、でも解ります。傑作に傑作を重ねた作品。その次なるステージを永久に見られないなんて、受け手からしてみれば、あまりに惨い仕打ちですから。こうして生き、書いている以上、佐藤も確実に遺作へと近づいています。「さようなら」のときに、一体どのような物語を書いているのでしょう。それは解らない。極端な話、このコラムが遺作となる可能性だってあるんです。

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この質問、僕が考えたんだけど、なんて難しい質問なんだ! だってよっぽどの幸運(?)に恵まれないと、「遺作」だと思ってものはつくれないからなあ(笑)。有名どころだと、ガウディのサグラダ・ファミリアくらいかしら?

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この設問が、一番悩みました。傑作であり遺作だなんて…! ハードルがなんて高い!…でも、わかったんです。天才は遺作も傑作であると。遺作とは悲しいかな、彼らが死の間際まで紡いでいたものなのでしょう? 或いは紡がされていたもの? どうあれそれらが、傑作でないはずがありましょうか。

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抗えない死。今生きている作り手にとって、そこに転がっている作品がそのまま遺作になる可能性があります。そう考えると常に新しい作品を作り続けることは、目の前にある作品を「遺作」にしないための行為にも思えます。反対に、「これさえ作れたら死んでもいい」という考えもあるし、作りかけで命果てることもある。それにしても「遺作」ってどうしてこう「ツギハギ手術」のイメージが強いのでしょう?


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