テーマ 「旅」のお供
過去のレギュラーセレクター 平林緑萌
2011.07.22
一口に旅といっても色々ある。例えば徳川家康は「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」と言ったとされており、人生もまた一種の旅だと解することが出来る。ただ、幸いなことに明日から南の島へ行く予定があるので、それに即して書いてみようと思う。ただし、旅支度は全く終わっていない。出立までに終えるべき仕事も終わっていない。皆さま大変なご迷惑をおかけ致しまして、まことに申し訳ございません……。
スーツケース
実はこの歳になるまでスーツケースというものを所持していなかったのである。これまでは出張や海外旅行もすべてボストンバッグかキャリーケースで済ませていた。が、南の島に行くともなれば、やはりスーツケースが必要であろう。ほら空港とかで南国に行く人ってみんなスーツケースじゃないですか、イメージ的に。そんなわけで、名前に因んで黄緑色のスーツケースを購入。楽天さん(Amazonさんごめんなさい)から届いたそれを部屋の真ん中に鎮座させれば、あたかも旅行の準備が万端整ったように思えて摩訶不思議である。なお、出発前日の今日現在、まだ中味は空っぽのままである。
MacBook AirApple
僕は星海社に加わるまでMac童貞であった。今は毎日Macで業務をこなしているわけだが、自宅のデスクトップPCは未だにゲイツPCである。しかし、1週間も海外に行くわけだし、ノートPCも大分古くなってきているので、この機会に新調することにしてMacBook Airを購入した。これで僕も晴れてMacユーザーとなり、南国のビーチでタバコをくわえつつMacBook Airのキーボードに指を這わせるセクシーなデジタルイケメン(語意不詳)と化す……予定だったのだが、配送予定日が出発日の遥か後ろにずれるという大誤算により、手にするのは帰国後になりそうである。
正露丸
旅先において気をつけねばならぬのは、何はともあれまずは体調管理であろう。体調を崩しては折角の楽しい旅も台無しである。僕は海外に行くときは必ず正露丸を携行するようにしている。このわが国が誇る強力な下痢止めは20世紀初頭に開発された。当時「クレオソート丸」といったが、日露戦争時からは「征露丸」という名に改められた(第二次大戦後に現在の名称に)。僕のようにお腹の弱い日本男児が「征露丸」を携行して強国・露西亜と戦ったのである。なんとも頼もしいではないか。精神面でのご加護も期待できよう。しかし、嘗て韓国に旅した際は、かの国の唐辛子に胃をやられてあえなく嘔吐した。韓国に赴かれる方は寧ろ胃薬を携行されるべきであろう。
駄菓子
駄菓子は子供のヒーローである。しかし、合成着色料的なサムシングがふんだんに使用されていることもあり、その手の物質に敏感な母親という生き物とはすこぶる相性が悪かった。それでも遠足となると別である。普段はなかなか駄菓子を食べることを許してくれぬ我が母親も、遠足に行くときばかりは駄菓子を買うことを渋々ながら許してくれたものであった。百円玉を二枚握り締めて駄菓子屋に行く気分は格別であった。やがてそれなりの小遣いを与えられ、駄菓子を十分に買い食いできる資金力を身に付けるようになるのだが、その頃には興味はむしろ他のものに移ってしまっていた。しかし、今でも駄菓子屋の前を通りかかると、遠足前日のあの気分を思い出すことがある。
古典
旅先に持っていく本を選ぶのは愉しくも悩ましい行為である。本というのはそれなりの重量があるから、あまり沢山持っていくわけにもいかぬ。そもそも湯治などでない限り、行き帰りの移動時間を除いてさほど読書時間もない。けれども旅先の読書時間は非常に豊饒な体験をくれることが分かっているから、僕などはついつい何冊も鞄に突っ込んで徒に重い目に遭うわけだが、考えてみれば旅先で至高の読書体験をくれたのは古典が多かったように思う。或いは普段とは時間の流れ方が違うからなのかも知れぬ。そんなわけで、今回の旅では岩波文庫を何冊か持っていくことにした。しかし、こうやってはじめから計画的にやっても思い通りの体験を得られないのが読書の気まぐれさであり面白さである。
平林緑萌
星海社エディター。1982年奈良県生まれ。
立命館大学大学院文学研究科博士前期課程修了。書店勤務・版元営業を経て編集者に。2010年、星海社に合流。歴史と古典に学ぶ保守派。趣味は釣りと料理。忙しいと釣りに行けないので、深夜に寂しく包丁を研いでいる。
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