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上京作家

ニコ生では、佐藤さんの話を皮切りに、上京についての話が主に語られた。

僕が上京した経緯についてや、北海道でいかにぬるま湯につかった生活をしていたなのか、などについても、だ。

当事者である僕にとっては耳の痛い話も多いが、僕のような立場の人から、年齢的に若いすべての人が見て聞くべき話が山盛りの放送だった。

 

誰にも分からない五年後の自分のため、小説を書いていく決意を新たにした。

 

 

放送が終盤を迎え、この日のカンパの総額の発表になった。

上ずった、ちょっと無理に声を張ろうとした感がよくわかる口調で、僕は金額を発表した。

 

 

21900円。

 

 

叫ぶような、怒鳴るような、声が響いていた。

拍手が鳴り響く。88888888で画面が埋まる。ニコ動にあがっている動画でも確認したけど、本当に強い音が鳴り響いていた。

 

 

この日、12月20日の時点では、僕は何も知らなかったし、何も持っていなかったし、何も決まっていなかった。

新聞配達の仕事に寮があるということも知らず、ネットカフェにも入ったことすらなく、このブログ企画についてだって何も決まっていなかった。

二ヵ月後には壊れかけてしまう使い古したパソコンと、数日分の着替えぐらいしか持っていなかった。

 

この21900円と、それを授けに中野まで来てくれた人達、ニコ生を観てくれていた視聴者、それがこのときの僕にあったすべてだ。

 

そして、渡辺さん太田さんを初めとする、作家と編集者の方々の厳しさと優しさだけが、支えだった。

 

 

 

上京して二日目。

東京で生きていくという意味では、何も決まっていないし、何も始まっていなかった。

十万ちょっとの貯金が尽きるまでに、仕事を探して寝床を見つけなければいけなかった。

本当の意味でどうにもならなくなったら、誰かに泣きついていたかもしれないけど、本当の意味でどうにかなるまでは、東京という世界で一人でどうにかやっていかないといけなかった。

 

 

一人でやっていく、ということの不安の重さに押し潰されしまいそうになっても、当然だったと思う。

足が浜松町へ向かったりしても当然だったかもしれない。

 

 

実際は、不安らしい不安はなにもなかった。羽田空港へ直行する浜松町にも全然足は向かなかった。

感覚が麻痺していたこともいなめない。

でもそれでいいのだ。

 

 

これから何も知らない世界へ、自分の足で一歩を踏み出すところなのだ。

二十四年生きてきて、ようやくまともに自らの意思で、前へ踏み出した瞬間だ。

 

上京したのだ。

 

なにかをするにつれて、いちいちびくびく怯えている時間なんてなかった。

 

 

感じてはいなかったけど、僕の内側にはきちんと、不安もあったと思う。

ただそれ以上の、期待があった。

東京という世界に対する大いなる期待が、あった。それが僕の中にあったはずの不安を少しだけ薄め、少しだけ見えなくしていたんだと思う。

ちょっとでも前へ進むために、少しでも余計なことを感じさせないように、僕の内側にある心と呼ばれる概念が、そう選択したんだ、

そんな気がする。

 

 

ブロードウェイのホテルに戻ると、ベッドに倒れこんでいた。

まだ眠るわけにはいかなかった。今日のことをツイッターで報告して、メールもしないといけない。

倒れこんだ姿勢のまま、報告とお礼を済ませると、そっと目を閉じていた。

 

明日は求人誌を探して、時間があったら部屋を見にいって、寝床も探さないといけない。

 

分かってはいた。それは分かっていたけど、僕はベッドから起き上がろうとはしなかった。瞼もひらきそうになかった。

電気は点けっぱなしにした。仰向けではなく、枕に左頬を押し付けるようにして、うつ伏せになっていた。

 

熟睡したかったわけではない。ただちょっと瞳を閉じて、体から余分な力を抜きたかった。

 

そんなふうに、眠ってしまうことの言い訳を考えながら、明日の朝までの短い眠りについた。

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