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何度でも何十回でも何百回でも

一月序盤のこの時期は完全に、配達専用機械の養成期間だった。頭に何度も「小説」の単語は浮かんでいたが、書くということに意識はさほど向いていなかったと思う。

そもそもこの時期は布団を購入したり、洗濯用のカゴを購入したりする意識すら、まだなかった。毛布一枚で床に寝っ転がればどこでも眠ってしまう体質や、ユニクロの袋を洗濯物カゴとして使ってしまえる素養が問題だったのかもしれない。

 

配達に関しては、いざ一人でやってみると、想像していたよりも大丈夫ではあった。配達の順路が書かれた順路表を手放すことはなかったが、時間をかければどうにかなりそうな状況ではあった。

毎日6時過ぎぐらいまでに新聞を配る、というだけであるなら、新聞配達はルーティン通りにこなせばそれほどしんどくないかもしれない。

ただ、ここに「時間指定」という単語が加わると、一気に難易度があがる。十分針を超えたら即リタイアという趣の縛りプレイになるのだ。

 

時間指定先に遅れれば、配達所にお客さんから連絡が入り、配達所から配達である僕に連絡がくるわけである。魂的なメンタリティがガリガリ削られていく瞬間だ。時間指定を先に配ればよかったかもしれないが、配達順路を大幅変更するような臨機応変なことができるほど器用ではないし、順路変更をしたことで、別の配達先への配達が遅れ、今度は別のところが時間指定になってしまう恐怖もあった。

 

1月5日のその日も、だから急いでいた。一人で配達を初めて2日目だった。

10分、20分遅れることが致命的だった。

だからたとえば、配達途中にバイクが転倒してしまい、荷台と前かごに積んでいた新聞が道路に散らばってしまったら、絶望である。散らばった新聞を荷台に積み直し、紐で縛り直し、心を落ち着かせて、という手順を踏まないといけない。

一人で配達が始めたばかりだったので、荷台に新聞を積んで紐で縛る作業にとにかく時間がかかった。ピット作業は一秒でも早ければ一秒でも早くレースに再開できるということであり、僕はこのピット作業がとにかくのろかった。

 

1月5日の僕は、深夜の裏路地に散らばった百部近くの新聞の山を見下ろしながら、ただただ絶望を感じた。やっちゃった、もうダメだおしまいだ、とにかくダメだ。

今の僕なら特に動揺することもなく、新聞を積み直してさっさと配達再開するまで数分もかからないが、一人配達の二日目だった僕は、このときとにかく絶望してしまった。頭が真っ白になってしまった。

早く積み直すべきか、とりあえず配達所に連絡して指示を仰ごうか、と悩んでしまった。悩んで困って戸惑って、とにかく時間だけを浪費していった。

 

悩んで困って苦悩する前に、手を動かすことが必要なときがある。このときの新聞配達をしていた僕がそうであり、いまの小柳粒男がそうであるように。

 

この日の苦悩から僕を開放してくれたのは、専業さんからの電話だった。結局一度配達所へ連絡いれると、混乱と苦悩の只中だった僕に専業さんが、とにかく落ち着いてさっさと積み直して配れ、と当たり前にすべきことを伝えてくれた。まだ時間帯としては早朝3時過ぎだったので、当たり前にすべきことをすれば、なんとか大丈夫な時間帯ではあった。

 

それでも積み直しと電話連絡で十数分近くの時間を費やしてしまったせいで、この日は案の定、電話連絡の嵐であり、心がどこまでも削られた。この件を境に、配達専用マシーンとしての自我が強くなり、小説なにそれ美味しいの?という状況に突入することになる。

それでもそういう状況に延々うずくまっていたわけではない。

立ち上がるきっかけは、毎週のように訪れていた。

 

公開企画会議(仮)だ。

朝刊夕刊毎日、新聞を配るたびに、挫けて倒れて小説家としての自我が崩壊していた僕だけど、公開企画会議(仮)の日だけは、小柳粒男として登場することが必要だった。

なにかができていたわけでもない。なにかをしていたわけでもない。

ただ小柳粒男として、その場に存在することが、僕を立ち上がらせていた。

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