「二十四歳の地図」のある世界へ
2012.05.30
12月24日はサンタさん的存在の干渉などによって仕事が決まるというビッグなイベントが渋谷の午前であったけど、僕の12月24日のメインなイベントは、中野の午後で待っていた。
12月23日のことだ。「二十四歳の地図」の担当編集者である山中先生こと、山中武さん(@seikaisha_ymnk)から連絡があったのは。
山中さんとは、
2010年の七夕、星海社の創設会見のときに顔合わせをしていたが、まだきちんと話をしたことはなかった。
今回改めてコンタクトをとってくれた理由としては、
僕が上京した状況がロックでパンクで常軌を逸していたから・・・
要は面白かったから一度会って話をしたいということだった。編集者としてのプロデューサーとしての山中さんのなにかに触れたということだった。
僕としても、こういうことを面白がってくれる人となら普通にお会いしたいと思ったので、いつでも大丈夫です、と返答し、翌日土曜の午後に会うことになった。
ただ「土曜日の町中はカップルだらけになる」ということだった。東京の週末だからごみごみするのかなぁー、程度に思っていたが、ついつい日付に目をやってしまって気付いてしまった。
翌日の土曜日は、12月の24日であると。
そういう日であるのだと。
そういう日に編集者と作家が会っていることに、なんともいえない趣がありますね。
渋谷の午前で仕事を決めたあと、中野の午後へ。
山中さんと中野サンモールで合流後、なんとお寿司屋さんへ行きました!
ええ、紛れもなく、お寿司を食べました!
ぐるんぐるんしていましたが、間違いなく、お寿司を頂きました!
すんごい回転しまくっていましたが、お寿司屋さんでした。
お寿司も一段落したあと、山中さんから、「二十四歳の地図」に関しての説明があった。
走り気味の語り口で、山中さんは小柳粒男について、山中さんのやりたいことについてどんどん語ってくれた。
ある意味普通は出来ないことをやっている状態、良くも悪くも今は面白いことになっている、普通の人には真似のできないことをしているから。
山中さんとしては、こういう形で上京をした小柳粒男を応援したい、ということだった。
それが、最前線でのブログ連載「二十四歳の地図」ということだった。
「小柳さんの毎日を公開しましょう」
僕は即答で承諾した。
いくらでもやりようがあると思ったし、単純に面白いと思ったことも、これをやろうと思った理由だけど、それよりももっと大きな理由があった。
山中さんと話していて、感じたことがあったから。
一年と半年近くぶりに山中さんと話していて、はっきりと感じたことは、
ああ、この人、あの人に似ているな、
ということ。
僕が10代という時間に「ファウスト」という名の雑誌を通して佐藤友哉を始め、こんな世界があることを見せつけるように教えてくれた編集者と、山中さんはよく似ていた。
だからこの編集者となら、やっていける、やっていきたい。
そう思った。
「二十四歳の地図」がある世界へ向けて、10代の頃の憧れだった人とよく似た人と一緒に、中野の寿司屋から一歩目を踏み出せたのだ。
小柳粒男という作家にとって、こんなにもうれしいことは、そうはない。
小柳粒男の作品
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本文はここまでです。