履歴書と小説家
2012.05.03
中野サンモールにあるカフェで、21日の僕は履歴書の経歴欄を前にして、手が止まっていた。
コンビニの無料求人誌で新聞配達の募集は見つけた、開いたばかりの書店で履歴書も買った、30分くらい歩き回って二回くらい通り過ぎたところにあった証明写真機で写真も撮った。
経歴は、何年何月に卒業したとか入学したなどの、社会的な人生を事細かに明らかにしていく。
学生時代のことはともかく、ここ数年に関しては、経歴に書くことがなかった。
小説を書いていた、ということ以外に、書くことが一切なかった。
それを書かないと、丸二年近く経歴的には何もしていない人間になってしまう。
北海道ではニート、引きこもりそのものの日常を送っていたわけだ。いまさらそうであったことを宣言することに、なにかしらの負い目を感じることはない。
ただ、これから初めて会う仕事相手になるかもしれない人に対して、ヒッキーニートであることを示すことで好印象が持たれる! と思うほど楽観主義ではなかった。
無料求人誌に載っていた新聞配達の募集は、この一件だけだった。この一件を逃したら、新聞配達以外の仕事を探さないといけなかったかもしれない。
上京して三日目である。心と体を早く安心させたかった。お金が尽きる前に精神の方が尽きてしまうかもしれなかったからだ。
採用というゴールに対して、経歴欄からニート引きこもりであることを連想させてしまうのは、少し怖かった。
だからここ数年に関しても、何もしていなかったわけではない、と示すべきだと思った。
とはいってもである。
小説家的な仕事をしていたことは、履歴書などに書くものなのだろうか、どうやって書き記すべきなのだろうか。
社会常識という名の悪魔めいた概念が、僕の手を止めていた。
それでも、たとえ書く必要のないことだとしても。
あくまで面接するのは、これから会うのは血の通った人間である、と思い直した。
画一的な回答しかできない旧時代のコンピューターの相手をするわけではない。
物書きであることを書き記すことで、なにかを引き出せる可能性に賭けたかった。たとえ書く必要のないことだとしても、その結果は、裏のほうで失笑されるだけだ、と考えた。
素通りされることだけは避けたかった。なんか暗いし髪すげぇ長いし引きこもりっぽいからスルーしておくか、と思われることだけは避けたかった。
面接する新聞配達の方の心根に、なにかしらの引っかかりを残したかった。
経歴の末尾に、文筆業、著書数冊、と書き記した。
それからすぐに電話をかけ、今日中の面接の約束を取り付けた。
面接をしたのは、新宿から西武新宿線で何駅か先の町だった。
この町での面接結果については、残念なことになった。
ここまであまり面接で落とされるようなフラグは立てていなかったつもりだが、かなり切ない結果になった。
嫌な予感がしなかったわけではない。
面接を取り付けた電話対応は、点数でいうなら30点ぐらいのやりとりをしてしまった。
緊張のせいなのか、なんのために電話をしたのかはっきりとした意図を伝えることができず、物言いがはっきりしないもじもじした口調に終始した。
面接時間については折り返し電話をもらうことになっていたが、このときも、すぐに電話に出ることができなかった。新しい携帯に変えたばかりだったので着信音やバイブ設定がうまく出来ておらず、着信に気付けなかった。
不在着信が5分で2回あった。
結果的にみれば、この町での面接結果で、数日間の不安を手に入れ、数日後の勝利を手にすることになる。
残念で切ないことだけではなかった。
僕の東京での拠点は、この町の三倍以上、東京という世界の中心地へ近づいた。
この町での面接は断られた。
そして希望の瞬間が始まった。
「どこか空いているところがないか、探してあげるよ」
絶望は、一瞬で裏返った。切なさは新しい希望へ変わっていった。
今ならいえる。皮肉でもなんでもなく、素直にいえるのだ。
あのときああいう選択をしてもらったから、僕はここにいる。森さん(仮名・女子・配達仲間)に出会えた、この街のこの配達所に来られた。
あのときは面接で撥ねてくれて、本当にありがとうございます。おちこんだりもしたけど、僕はとてもげんきです。
経歴に作家であることを記入した履歴書はコピーだけとってもらい、自分で書いたほうは返却してもらった。
経歴にこう書いたことにどれだけの効果があったのかなかったのか、まだ分からない。でも想像していたよりは、悪くないかもしれない。根拠は皆無に、そう思った。
荷物を預けている中野のネットカフェまでの帰路は、西武新宿線。上京するまでは山手線か中央線にしか乗ったことがなかったので、思ったより人は少ない印象。どこか牧歌的な気がした。
ちなみにこの面接をした町までは、タクシーで来た。新宿では、西武新宿線の駅を見つけることができず、やむを得ずということだ。
帰りの電車賃は300円くらいだった。行きのタクシー代は3000円くらいだった。
勉強代ということだ。生きていくということは日々勉強なのだ。
この日はネットカフェで一夜を明かした。初めてのネットカフェでの宿泊だった。そんなに悪くない、と思った。
小柳粒男の作品
(このリンクよりご購入頂いたアフィリエイト収入は作家活動への応援として、小柳粒男へお送り致します)
本文はここまでです。