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嘘をついても怒られない日に、本気の決意をする勇気

12月13日のニコニコ生放送「公開企画会議(仮)」にいたるまでの小柳粒男は、どん底に寝そべっていた。

どうすればこの状況から打開できるのか。それは誰の目にも見えていた。

僕にはそれしかなかったのだ。

小説を書く。それしかなかった。

それしか、この状況から動き出せないことは、僕にも分かっていた。

 

分かっていても、僕の指は機能しなかった。うまく動いてくれなかった。

こんなお話ではだめだ、こんな展開はありきたりすぎる、こんなことをいまさら語ることに意味なんてありはしない。

数多の言い訳が、僕の指を動かすことを、阻害していた。

 

絶望なんて言葉を使うべきではないと思うけど、客観的にみればみるほど、当時の僕の状況はじつに絶望色に満ち満ちていた。

 

単純に当時の僕を象徴する言葉を取り上げてみる。

 

長編小説が二年以上出ていない。大学中退。数ヶ月以上家族以外と会話なし。頭皮がやばい。外出は深夜が基本。母親が部屋まで晩飯を持ってきたこともある。ツタヤのレンタル履歴は18歳以上進入禁止の棚がほとんど。

 

このブログは読者をガチで引かせることを目的としていないので、これ以上の晒し行為はやめることにするが、12月13日を契機に、北海道から上京するまでの僕は、そういう生活を二年近く続けていた。

 

 

佐藤友哉先生からは、なにかしらのことがあるたびに電話をもらっていた。

細部を語ることはしないけど、佐藤さんからいつも言われていたことの根幹は、ただ一つのことだった。

「上京しないの?」「あのとき、上京していればよかったのに」

 

僕の返答はそのたびに、「お金ないですから」とか「していればよかったですね」だった。

 

そんな僕が上京した。

 

希望を抱いて上京したわけではない。

どん底で寝そべっていることにすら、いい加減に飽きてしまっただけなのだ。

精神的にどこまで落ちていけばいいのか定かではないが、当時の僕は別の環境に身をおくことを望んでいた。親の庇護にある生活とは、ラーメンを食べたいときにカレーを食べる環境だったから。

 

だから僕は上京した。

 

とても人にほめられるような理由ではない。人に認められるような理由ではない。

 

最低レベルの上京理由だけど、これだけは確かだと思う。

変わることを望んでいる。これだけは確かだ。

 

 

人生がそれほど面白くはない、時々生きていることに飽きてしまうくらい、生きていることが面白くない。

そんなことを思うことがある。

 

面白くない世の中だとしても。

面白くしようとしている人たちが、いる。

僕もそこにいきたい。そこでいきていきたい。

 

 

小柳粒男はつまらないのか。この世がつまらなくなってしまったのか。

ここまでの記事を読む限りでは前者の可能性が、いくぶん強いかもしれない。

そうだとしても、つまらないままなのに、面白いということはしない。

 

僕がつまらない人間だ。

つまらないからこそ、面白くしたい。面白くしてみせる。

僕は小説家だから。

 

僕がつまらないことと、小説がつまらないことは、イコールなのだろうか。

そんなことはないと、みせていく。

 

今の僕と、これからの小説となら、それが出来ると思う。

 

 

どん底で寝そべっていた小柳粒男は、12月13日に、立ち上がった。

1週間後、上京した。

上京して3ヶ月が経った。

立ち上がりはしたが、動きだしているとはいえない。

今日は4月1日。だから、あえていおうか。

今日から走ります。

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