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言葉にできない、なので。

夕刊の配達をしていると、興奮した山中さんから電話がかかってきた。

ちょうどビル内の非常階段を上り下りしてところだったので、一息ついて、階段に腰掛けた。

13日に上がった日記を送った日だったので、もしかして没かな? と思いながらおそるおそる電話をとった。

それは杞憂だった。

 

「ちゃぶ台が送られてきましたよっ!」

正直、ありえないと思っていた。すごくうれしくて、でもうれしいだけでは程遠くて、でもうれしいことに間違いもなくて。

不思議な感覚が、僕をまとっていた。

 

 

山中さんから欲しいものリストについて聞かされたとき、

心躍るwktkという瞬間と、ちょっとこれは難し過ぎるよなぁ、という思いがあった。

 

 

好きなものについて語ることは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。

今なにが好きなのか、今なにを面白いと思っているのか。

それらを言葉にしていくこと、それらをネットを使って人に周知するという行為は、結構好きなほうだ。

 

欲しいものリストはそれらを満たすことのできる機能だった。

だから自分の好きなもの、必要なものを送ってもらうということについては、この機能のオマケのように考えていた。

 

 

小柳粒男は、馬鹿売れしている小説家ではない。

信者的な読者がつくような人気があるわけでもない。イケてるメンズでもなければ、面白お喋りお兄さんでもないことも、すでにニコ生へ数回出演することで露呈している。

Amazonレビューにだってたいがいなことしか書かれていない。

 

 

そんな小説家に、どうして救援物資が届くのだろう。即レスといわんばかりの速度で、だ。

根拠が見当たらなかった。

 

 

すごくうれしい。でもこの言葉ではこの感覚には程遠く。すごく感謝している。この言葉でもこの感覚にはまだ物足りない。

とても不思議な、とても面妖な感覚だ。

 

今現在の小柳粒男に対して欲しいものを送ってもらうという行動に対して、僕はなんと答えていいのかわからず、うつむき加減にニヤつきながら、ボソっと感謝の言葉を述べることしかできなかった。

何かを求めるように、「二十四歳の地図」を読み返していたら、

見慣れぬ、とある言葉を見つけた。僕自身からは、あまり積極的に使わないし、発しない言葉だったから、なおさら目についた。

 

ブログの末尾。赤い文字で、その言葉は表示されていた。

 

 

応援。

 

 

そんな言葉を、見つけた。

 

 

応援という単語が、僕の疑問を少しだけ氷解させた。

小柳粒男は、応援されている、のだ。

 

小説をもっと書いてもいいよ、と応援されている。早く小説を書いてみせろよ、と応援されている。

 

少しだけ、納得した。そう考えると、少しだけ理解できた。

だから勝手にそう思うことにした。

勝手にこう思うことで、僕はやれるような気持ちになるから。

 

 

「どうして送ってもらえたのだろう」

このどうして、に答えなんてそもそもだせない。出す必要なんてそもそもない。

 

欲しいものを送ってもらうという行動があった。僕も行動で返すしかないのだ。

小説を書くという行動で、返すのだ。

それでいい。そうしたい。

 

 

 

応援されている、と気付いて、思い出す日付がある。

 

 

12月20日。

 

 

上京2日目。中野のカフェ。1日ウエイター。数万円と数千円と数百円のカンパ。

ニコニコ生放送「公開企画会議(仮)」

この不思議な感覚は、あの日のあのときのに感じたあの感触と、よく似ているかもしれない。

 

あんなにも己の程度を実感させられ、あんなにも本当に何にもできないことを徹底的に教え込まれ、あんなにも小説に恋焦がれ、こんなにも人生を変えた決意をした日は、

クリスマスイヴを4日後に控えた、今年が終わるまで11日後の、12月20日が初めてだった。

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