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上京して、九十日間以上が経った。

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上京して、九十日間以上が経った。最初の六十日間は、東京生活に慣れる時間だった。だから三月の三十日間は、作家の時間を取り戻すための時間の予定だった。

携帯をひらいてみると、四月一日になっている。いまだ作家の時間は取り戻せていない。

新聞配達人間としての僕が、僕に巻き付いているからだ。

でもしょうがないのだ。

僕が手放そうとしていないから、巻きついたままなのだ。

新聞配達人間の僕は、いつのまにか僕を締め付けることはなくなり、当たり前のように僕の至る所にゆるやかにまとっているだけだった。

手を離せば、自然と滑り落ちてしまうくらい、ゆるやかにまとわりついているだけだった。

だから僕は手を離すことにした。

新聞配達を「頑張る」ことをやめることにした。

信頼しているのだ。もう、大丈夫、だと。

もう新聞配達は、大丈夫。

だから小説を書こう。

 

上京してから、確かに、僕の人生は再稼働を始めた。

渡辺さんのカフェでカンパを募り、東京の温情で仕事と寝床を手にいれ、ユーザー参加しかしていなかったニコ生に参加して、ウェブラジオでオーバーリ アクションばかりしていた小さな声優さんと出会って、バレンタインデー企画でチョコをもらい、ツイッターのフォロアー数は倍近くに増えた。

上京したことで、それらを手に入れた。

だからこそ、本当に欲しいものは全部小説で手に入れたい。

そんなことを思った夜があった。

 

新聞配達少年(24)としての僕の第一章は、三月の初旬に一度終わった。iPadで写真を撮られ、個人情報を入力して、正式に配達員としての契約もとい登録された。

数日後、胸元に新聞社の社名が記入された、その新聞配達を象徴するLLサイズのユニフォームを着た自分を鏡越しに見ていた。

「ああ、なんだか終わったな」と思った。一段落ついちゃった、と思った。

 

新聞配達人間からの脱出は、テラニート状態から脱却することよりも北海道から脱出することよりも、難しいようだ。

ただの新聞配達であるならば、ここまで難しくはなかったかもしれない。

渋谷であること、ロリで母性で眼鏡な森さん(仮名・年下・成人)がいることが大きかった。これらの依存率は、煙草やアルコールの比ではないかもしれない。

 

ただ、僕が依存しているのは新聞配達や渋谷や森さんだけではない。

小説だ。

僕は小説にも強く依存している。

小説を通した脱却と変化だけが、僕を前へ運んでくれる。

ずっとそうだった。そうであることを望んでいた。これからもそうであるように生きていきたいのだ。

だから新聞配達人間からも脱却するのだ。

 

上京数日前に手に入れた、ガラパゴス携帯型のスマートフォンに、渋谷の地図が表示されている。どこへ行くことも出来るような気がする。分かりにくい配達先も、行ったことのないところであろうと、分からないところはもはやない。

 

新聞配達のジャケットを着ている今と、真っ黒な防寒ジャンパーを着ていた頃。

二十四歳。小説家。新聞配達青年。声優オタク三年生。

欲しいものは全部小説で手にいれたい。

僕のモノトリアムは、終わらない。良くも、悪くも。

 

そんな上京三ヶ月目の足下を踏みしめながら、これまでの上京三ヶ月で積み上げてきたことを振り返っていきたい。

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