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2023年4月30日 19:00

『木島日記 もどき開口』著者解題/大塚英志 

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『木島日記 もどき開口』
著/大塚英志
カバーイラスト/森美夏
発売日:4/26(水)
判型:四六判ハードカバー

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【上】
書き下ろし短編小説「根津しんぶん」所収。
森美夏描き下ろし挿画、収録。
定価:2500円(税別)
Amazonでの購入はこちらから

アニメイトでは上下巻連動購入特典イラストカードを付録。購入はこちらから。
特典は無くなり次第、終了となります。

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【下】
未発表初期設定小説「人喰い異聞」所収。
森美夏描き下ろし挿画、収録。
定価:2500円(税別)
Amazonでの購入はこちらから
アニメイトでは上下巻連動購入特典イラストカードを付録。購入はこちらから。
特典は無くなり次第、終了となります。

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 紙版が絶版となっていた『木島日記 もどき開口』(KADOKAWA)が上下巻として星海社から再刊の運びとなった。名著でもましてや稀覯本でもなく、ただ出版社が返本を全て断裁した結果の絶版であっただけの本である。
 しかし昨年、『木島日記 うつろ舟』が連載から二十年ぶりに初の書籍化され、同じく未完の『北神伝綺』『北神伝綺 妹の力』も新刊として刊行された。すると旧作の『木島日記』『木島日記 乞丐相』の頃からの熱心な読者諸氏から『もどき開口』も電子でなく紙の本で入手したいというありがたい声が、ごく少数とはいえ届いた。試しに元の版元に打診したが、読みたければ電子で読めという今風のややつれない返答が戻ってきた。するとそのやりとりを知った星海社が、未刊行三作を書籍化してしまった責任をとるような形で『木島日記 もどき開口』の復刊を決めてくれた。

 とはいえ厄介なのは、改めての造本であった。
 先行した「木島」三作品に比して『もどき』は文字数にして倍の量がある。旧作はソフトカバーで一番安い紙を使ったが、それでもいわゆる鈍器本に近く、しかもその装本・造本を稀覯本の復刻版でもないのに踏襲するのは同義的に避ける必要があった。一方、既刊と並んだ収まりとしてはハードカバーが望ましくもあった。
 だが一巻本でハードカバーにすると、鈍器というかほぼ凶器として使用可の状態で、学術書でもなければあり得ない厚さになってしまう。しかし定価も、そもそも元の版元が重版したって儲からねーよ、と考えた程度の部数だから学術書並みの定価となる。
 言い訳だが紙の高騰もシャレにならなかった。
 無論二冊に分けても一冊分の定価がただ二分されるだけで、せめてもと考えなしで、ファンの多い根津や藤井春洋が中心の書き下ろしスピンオフや、未発表のテスト版などを加えると決めて、当り前だが更に増ページで首を絞めた。
 それでも森美夏さんには無理を言ってカバーだけでなく書き下ろし・新規追加分に新しく挿画もいただけた。デザインも一度上がった案を没にさせてもらって作り直した。本づくりに関わった方々には本当に尽力いただいた。

 しかし、コスト面では著者として印税率を下げるなど努力をしたが、上下二巻でかなりの高価格となったことをまずお詫びしたい。

 さて「解題」である。

『木島日記 もどき開口』は、シリーズ構成としては偽史三部作の「完結編」の「一つ」である。連載時には『木島日記』の「完結編」と銘打たれたが、まんが版の連載が完結した小説版の刊行をいつまでも続けてはおれぬ、という版元の考えでそうなった。
 まんがを元にしたキャラクター小説独特の事情ではある。
 では「完結編」でないのかといえば、そうではない。まんが版の偽史三部作は『八雲百怪』第五巻が三部作全体の「完結編」である。読んでいただくとわかるが、柳田や木島、折口が登場する。
 他方で『もどき開口』は、八雲は登場しないが『北神伝綺』『木島日記』双方のキャラクターが登場し、小説に於ける両シリーズの「完結編」としてつくられている。八雲がリンクしないのは『八雲百怪』には小説版が存在しないから収斂のしようがないだけの話である。
 そしてストーリーの連続性としては『もどき開口』は、『木島日記 うつろ舟』の最終章のツングースカのシーンを踏まえている、とだけ申し上げておく。無論、無理にそうとらなくてもいい。

 少し、本書の趣向について記す。
 二十年近く放置していた『木島日記 もどき開口』『北神伝綺』『北神伝綺 妹の力』を改めて読んで下さった方は気がつかれていると思うが、『北神』は語り部が幾重にも重なり、『木島』は作中人物同士がルイス・キャロルの如き法螺話の応酬となっている。そして『もどき開口』ではそれがかなり度を過ぎてエスカレートしていく趣向となっている。

 つまり物語の語り部はもはや一人ではなく、従って物語中の「私」の主観も、もはや一人のキャラクターの特権ではない。いわば、能力者のバトルの如く「物語戦」が繰り広げられるのだ。
 と記すと木島や北神が必殺技を叫びつつバトルをするようなアニメの絵が浮かんでくるが(見てみたい気はする)、さすがにそういう場面はないにしても作中では「貴種流離譚」や「蛭子神話」などは殆ど呪文が必殺技名と化していなくはない。

 しかしその物語バトルは当然だがひろゆきの如き論破合戦ではない。
 物語戦の応酬の鍵となるのが「もどき」という「技」である。つまり既にあるものの語り直しであって、それこそが文芸の本質である。あらゆる文芸/物語など神の言葉や神話のもどきであるというのは少し折口信夫でも柳田國男でも読んでいれば見えてくるはずだ。
 その「もどき」の戦いの果てに、さて、物語の最後に誰が立っているのか。そこは楽しみにしていただければ幸いである。

 それにしても「もどき」とか「語り直し」などと書いていて改めて思い出したのが、小説『木島』『北神』の趣向の種である。
 二十年以上前、自作のノベライズという形で小説を書きはじめたとき、ぼくが下敷きというか様々な借用のソースとしたのが大江健三郎だった。小説『サイコ』の方は大江公彦、つまり大江健三郎に三島由紀夫の本名公威からとった「公彦」という語り部が登場する。
 『摩陀羅天使篇』ではあからさまに大江光そっくりの青年が森の王として登場する。

 それらは、ぼくらの年代がおよそ自覚的に読み始めた小説が、当り前のように大江であったという時代であったが故に許された遊びで、気がついた読者も苦笑いしてやり過ごしてくれれば済んだ。

 しかし、この『もどき開口』を改めて読み直した時、ぼくが下敷きとまでいかなくともお手本として常に意識していたのが大江の『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『M/Tとフシギの森』の三作であることを今更、痛感した。これらは一つ一つの作品の中で複数の時に矛盾する神話が語り直され、つまり、もどかれヽヽヽヽ、そして、この三作自体が前作の語り直し=もどきとしてそれぞれある。その関係を「バトル」と言うとさすが気が引けるが、神話や儀礼は最初にあった出来事の反復であり、それがレイヤーの如く重なり共振していくという構成になっている。

 それを真似できるとは思わなかったが、物語と物語がバトルとまでいかなくとも拮抗し、軋み、時には砕けもするような小説を書いてみたい、という思いつきがかつてぼくの中にあった。
 そんなことを告白するのはもう文学にも大江についても書くことはないと随分昔、大江の戦後文学の本も大半を処分してしまったにも拘わらず、大江の死によってついあれこれと思い出したからで、他人から指摘される前に告白しておく。
 中上健次も村上春樹もみんな最初期に「大江」をうっかりやってしまうのだが、無論彼らと比較にもならないぼくもまた「やらかして」しまったのが「もどき開口」である。

 そういう時代の人間の書いた小説である。

 しかし自分の記憶の中では『万延』『同時代』『M/T』は、もっと語りや語り直しが錯綜している印象だったが、実は改めて読んでみると思いの外、各語りの関係は整然としていて、収拾がついていなかったのは自分の読解力の問題であったし、『もどき開口』の迷走も僕の構成力に由来するとわかって、我ながら情けない。

 巻末には既に記したように上巻にはスピンオフの「根津しんぶん」、下巻には「人喰い異聞」を収録した。いずれも森美夏さんの描き下ろしの挿画付きである。

「根津しんぶん」はネタバラシになってもいないが、藤井春洋と根津が折口と木島が、仕分けで出払っている間、留守番をしているはずの彼らもまた怪しげな事件に首を突っ込むというスピンオフである。折口が父のいない時に母や家の女たちが華やいでいた、と回想しているのを思い出し、その「留守番」のトキメキの物語を書いてみることにした。

 狂言回し、つまり折口信夫や柳田國男の役割は岡田建文という人物で『もどき開口』にもちらりと登場するが、戦争中、柳田の許にいわゆる「世間話」を持ち込んでは小遣いを得ていた不思議な人物だ。実在したが、東京大空襲で行方知らずとなったと柳田が書き、半分物語の側のような人物である。

「人喰い異聞」は『木島日記』立ち上げ時の「企画書」に付されたテスト版の小説で、木島が件の事件で月の肉片を纏うことになってから、仮面を被るまでの期間の話であるとともに、根津が捕獲される小説版・まんが版双方の挿話にもあるものと、内容は一部重なる。木島の根津もややキャラクター造形は異なるが、根津ファンに喜んでもらえればありがたい。

 このように「完結編」と言いつつ作者は自分の創り出した世界線には未練がましいもので、だからスピンオフも書いてみたわけだが、『木島』や『北神』はむしろアニメや映画あたりで誰かの手に委ねたものが見てみたい気もする。

 そういう妄想はともかく、『木島日記 もどき開口』上下巻、4月26日(水)発売である。
 書店で高いぞ、と憤られた方は、地元の図書館にその勢いで購入依頼をして下さればありがたい。
 読者の書棚とともに、図書館もまた本の幸福な落ち着き先なので。

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