編集部ブログ作品
2022年8月10日 16:50
偽史三部作解題/大塚英志
小説版偽史三部作、即ち『木島日記 うつろ舟』、『北神伝綺』、『北神伝綺 妹の力』が雑誌初出以来、二十年を経て星海社より刊行される。数少ない昔からの読者には自明のことかもしれないが、おさらいを兼ねて偽史三部作についてこの機会に少し解題を書いておく。
「偽史三部作」は、まんが版と小説版が存在し、小説版はまんが版の原作者であるぼくが自分でノベライズをしたものだ。これを梶原一騎が『巨人の星』などを自作ノベライズしていたことと、平井和正が石ノ森章太郎に原作を提供した『幻魔大戦』をその後も小説で書き続けた、まんが史の上の故事のいずれの末尾に属する出来事なのか、そのいずれでもないのかは読者諸氏の判断に任せる。
まんが版は森美夏さんの作画で『北神伝綺』『木島日記』『八雲百怪』の順に発表された。いずれもKADOKAWAから刊行中である。
この偽史三部作は、いずれも「誰もが知っている著名な民俗学者」と「キテレツなギミックを持つ探偵役」からなるバディの探偵もののシリーズだ。評論家の誰かが、柳田國男の観察眼はホームズ並みだから彼が主人公の探偵小説がおもしろいと言っていたことや、実は折口信夫が探偵小説のファンであったこと、小泉八雲がニューオリンズの新聞記者時代に殺人事件の死体描写で名を馳せた新聞記者だったとか、ゾンビを最初に描いたことでも知られるといった様々な逸話は、彼らを主人公とする探偵ものというアイデアを思いつくには充分な「民俗学者あるある」だ。
そんな彼ら三人に共通なのは、どこか少年期や思春期をこじらせている点だ。彼らは一様に「来歴否認」とでもいうのか、幼少期、母との分離不安に耐えかね存在しない幻の母「神戸の叔母さん」の許に出奔しかけたり、父母との関係を懐疑し貰い子妄想に浸ったり、自らの血筋をロマ族だと言ってみたり、自身の出自に妄想の一歩手前の「もう一つの家族の物語」、つまり、フロイトの言うところのファミリーロマンスを創ってしまうタイプの子供だった。そこに彼らの度の過ぎた文学的想像力と、近代の国民国家が民族の歴史を強引にでっち上げる時代に居合わせたことがあわさって、彼らは「文学的創造力による歴史学」という錯誤に満ちた民俗学のそれぞれの語り手となる。
ぼくの師で柳田の高弟だった千葉徳爾が「民俗学とは偽史なのだ」と最後に言ってのけたはそういう意味だ。「偽史三部作」を「民俗学三部作」と言う時もあるが、つまりは同じ意味だ。
『北神伝綺』(まんが版)
三部作の第一作である。
まんが版『北神伝綺』第一話は、当時の文脈としては『魍魎戦記摩陀羅』のスピンオフという含みがあった。未完のまんが版『転生編』や、小説版『天使篇』に登場する兵頭沙門が『北神伝綺』の兵頭北神の祖先というほのめかしが、『摩陀羅』シリーズの方でなされていた。しかし何か精緻な整合性が両作の間にあるわけではない。
『北神伝綺』は、柳田國男がその学問構築の黎明期というか、文学青年としての終焉期に、一時期、熱心に唱えた「山人論」、即ちこの列島にかつていた先住民族の末裔が今も山中に秘やかに棲むという「仮説」があるが、柳田はそれを放棄して平地人の民俗学に変節したとされる、やや俗な柳田論が下敷きとなっている。作中では、柳田はこの自ら封印した「山人論」の全ての資料を仮説ごと、山人の血筋を半分引く兵頭北神に押しつけ、そして北神もろとも満州の哈爾濱に流離した、といういわば貴種流離譚が設定である。
昭和の一桁代の半ば、六、七年頃が舞台で、北神が事件のあるごとに満州から呼び出され、山人が関わる気配のする事件を解決して封印するというのが各話の基本フォーマットだ。
柳田國男は小説版『木島日記』シリーズや、まんが『八雲百怪』にも登場し、近代合理主義の魔人として、彼自身が自ら禁じたロマン主義的想像力の産物でもある「この世のものでないもの」を消し去り、しかし同時に愛でるという屈託した人物として、シリーズ全作を通してのボスキャラを演じる。ちなみにこういう柳田國男像はあくまでまんがの中だけの話である。
余談だがこの作品の竹久夢二、伊藤晴雨、お葉といった人物造形は、上村一夫『菊坂ホテル』の影響が極めて強い。
まんが版は最終巻で舞台が大陸に移ることを予感させて終わるが、その時点での構想では大陸篇は南京から始まるはずだった。
『木島日記』(まんが版)
折口信夫を狂言回しに仮面の探偵役・木島平八郎を配した偽史三部作第二作。時代的には「北神」よりやや後になる。
木島の仮面の下の頬には死んだ恋人〝月〟の肉片がへばり付き、それを仮面で隠している。横溝正史『犬神家の一族』、というより角川映画の中での、佐清の怪し気なゴムマスクに触発されて、こいつが探偵の方がおもしろいと考えたのが発端だ。バディはコカイン癖がありマイ薬物の調合が趣味という、シャーロック・ホームズのダークサイドがそっくり重なる折口以外考えられず、その折口は女嫌いでも知られるが、ギプスで纏った身体はどう考えても綾波レイな謎の少女・美蘭を配した。
三部作の中では、当初は、最も猟奇色とオカルト色が強く、偽天皇やムー大陸、陰謀組織の瀬条機関と偽史方面も意図して強調した。
しかし土玉氏が次第に奇声を発し、妙な言動を始め、安江大佐が登場し、美蘭とからみ出したあたりで、偽史やフェイクを確信犯的に生きる彼らに作者の愛着が高まって、趣きがおかしくなった。正直に言うと、ぼくの中でコメディ化しかけていたのだ。それを必死で踏みとどまっているのが自分ではわかる。
ちなみに美蘭がいる間はずっと家出中の折口の弟子・藤井春洋や、八坂堂の店番・根津など、ただ留守番をしているキャラクターが多いのは作中の物語の時間が一人で留守番中の子供の夢なのかもね、という暗示でもある。
頭から袋を被ったスパイMは『オクタゴニアン』『東京オルタナティヴ』など戦後史を扱ったシリーズにもレギュラーで出演する一方、清水という軍人のその後が『多重人格探偵サイコ』に登場したりと、ぼくの原作作品の中でハブ的なポジションでもあるが、大抵の作者にとって、自作は一つのユニバースなのである。
このまんが版は、小説版『木島日記 うつろ舟』に対応するエピソードでコミックス最終巻は終わっているが、まんがとしては完結していない。
『八雲百怪』(まんが版)
小泉八雲を狂言回しに明治三十年代、つまり作中では明示されないが、世紀と世紀の狭間の時代を舞台に描く。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの肖像画として、その後ろ姿とカバンがポツリと一つという有名な一葉があるが、そのカバンに何が入っていたらおもしろいだろうか、と考えたのが発端である。
この作品に於ける八雲のイメージの元になったのは書簡集『一異端者の手紙』である。これは戦前、八雲の息子の翻訳で出版された八雲とアンネッタという女性との間の生涯に亘る往復書簡集である。少部数しか刊行されず、しかも原著が偽書、つまり捏造とわかり現物を持っている人はそう多くない。
と書くとこれ自体がまんがの設定のようだが、この書は実在する【下図】。
書簡はアンネッタがまだ十歳かそこらの少女の時代から始まる。お化けの話が得意な本屋さん、つまりまだ八雲になる前のハーンに彼女が関心を寄せる。ハーンは彼女にお化けの話を語るが、周囲からは隻眼でギリシャ系移民で、碌なものでないとみなされている。何しろ当時のハーンは隻眼で、度の強いレンズのメガネで覗き込んだかのように、死体を「見てきたかのごとく」リアルに書くことで知られた人物である。そんな彼に無垢な好意を持つ子供としてアンネッタは描かれる。それ故、彼女は「異端者」なのである。
ちなみに、同書の偽書説とは別にアンネッタの実在を主張する研究者もいる。
八雲は西欧の近代社会が追いやった妖精や古き神々に執着している。このあたりは妖精写真を信じたコナン・ドイルなどのイメージも被せてあるが、八雲もゾンビや幽霊屋敷に北米の記者時代も並々ならぬ関心を示している。怪談趣味は日本に来てからの話ではない。
ハーンは西欧を逃れて小人たちのお伽の国、日本に流離してきて八雲となるが、そこでも「近代」化は急激に始まっている。甲賀三郎は近代の合理主義の中でもはや存在を許されない、妖怪や妖怪を封印する密偵であり、実は柳田國男の走狗である。
同作はまんが版「偽史三部作」では最も長く続き、唯一、きちんと完結している。最終巻では南方熊楠も登場し、『木島日記』や『北神伝綺』との接点もほのめかしてある。
『木島日記』(小説版)
小説版『木島日記』は『木島日記』『木島日記 乞丐相』の二作がまずあり、ここに今回、二十年ぶりに刊行された『木島日記 うつろ舟』が時系列で続く。そして五年程前に出て一切、話題にもならなかった『木島日記 もどき開口』がその3冊の後に連なる。
実は『うつろ舟』の刊行が抜けたことで『もどき開口』の位置付けがわからなくなってしまっていたのだが、それは後でちらりと書く。
小説版は折口信夫の偽の日記を手に入れたと主張する「ぼく」が語り手で、小説『多重人格探偵サイコ』シリーズや、今回刊行の『北神伝綺』『北神伝綺 妹の力』など、ゼロ年代初のぼくの小説は意図して物語の外にキャラクター化された語り手を置いている。
まんが版と異なるのは、鼻梁にある青インクの染みの如き痣を自虐的に愛しもした、折口の自意識に徹底して視点を近づけている点だ。その極端な視点で、小説内の出来事が折口のコカイン中毒の妄想かもしれぬ、と思える程度に虚実の感触を曖昧にしてある。
小説版は、まんが版が狙った猟奇性に、この虚実の皮膜の揺らぎを加えれば、オールドスクールな耽美小説になるはずが、『乞丐相』の後半辺りからまんが版では抑えていた、土玉氏、安江大佐、美蘭のスラップスティックな、その意味ではこの世のものでない言動が制御できなくなる。『うつろ舟』は特にその傾向にある。しかしそれが「陰謀」や「フェイクニュース」が「リアル」に厚顔無恥にも入り込む現代にあっては一種の批評の意味はあると思えてきて、それが二十年ぶりの新刊の理由であることはあとがきに記した。
小説『木島日記』『木島日記 乞丐相』『木島日記 うつろ舟』はコミック版のエピソードに対応しているが、『木島日記 もどき開口』は対応する部分がまんがには全くない。もはやオワコンの小説『木島日記』をさっさと終わらせたいという出版社の思惑への嫌がらせのように、ただ終わらないために小説雑誌でもない雑誌に書き続けたものだが、『うつろ舟』と続けて読んでいただければ『もどき開口』との関係が一種の「入れ子構造」、あるいは「劇中劇」だと想像がつくはずだ。どちらがどちらに入るかは、読者の「読み」に委ねるが、『もどき開口』で完全に作中世界の原理原則が崩壊し、ひたすら映画の撮影カメラが回るのが何故かは『うつろ舟』の最後のあたりで想像がつくかもしれない。
要は『うつろ舟』→『もどき開口』の順で刊行できれば何の問題もなかったが、そうもならない、作者にはどうにもならないものが世にはある。
ちなみに『うつろ舟』あたりから「物語る力」の能力バトルな色合いが出てきて、これは『もどき開口』のベースにもなるが、そういう繋がりも順に読んでもらえれば自然になる。
やっとそういう形での読書が提供ができるようになったのは、幸いだ。
『北神伝綺』(小説版)
『北神伝綺』として刊行されるのは講談社の新本格ミステリー雑誌『メフィスト』に掲載されたものである。『北神伝綺 妹の力』は角川のラノベ雑誌『ザ・スニーカー』に連載された。前者はまんが版がベースになっているが、後者に対応するまんが版はない。
いずれも架空の語り手が立てられるが、『北神伝綺』小説版2作は滝子の主観に立った恋愛小説だ、というのが作者の率直な見解である。白馬に乗った王子様を待つことに耐えかねて、勝手に冒険に出てきてしまう滝子の主観で世界の全てが描き直される。そういう小説だ。
だから読み直してみれば北神でなく滝子の物語であり、彼女は、柳田の「語り」の能力バトルにも北神以外では唯一抗し得る案外と無敵な存在である。
小説二作目は『北神伝綺 妹の力』と題されたが、当初の副題はストーリーラインに近い『石神問答』だった。しかし二冊めの校正を読み直し、そして森美夏さんの描いて下さった表紙のラフが届いたのを見て、そうだ、これは滝子の冒頭譚でもあるのだ、と改めて気づいた。「妹の力」とは、柳田民俗学の重要な概念の一つで、男性を庇護する女性たちの呪力を呼ぶ。
滝子の存在とはまさにこれに他ならない。
とはいえ両作とも「語り」をめぐる能力バトルとしての妙味はしっかりあるので、その点は安心してほしい。
『柳田国男 山人論集成』『神隠し・隠れ里 柳田国男傑作選』(参考文献)
ぼくの著作には柳田國男を扱った評論やアンソロジーは数多くあるが、現実の柳田と作中の怪人・柳田は全く別人で、彼の学問の中核も偽史三部作の読者には全くおもしろくない民主主義の推進である、というのがぼくの見解なのでお勧めはしない。
ただし、この二つのアンソロジーは偽史三部作のいわば自前の「種本」とでもいうべきもので、作中で引用されている文献やそのソースが網羅されている。柳田の文章だけでなく、田山花袋や折口信夫のものも関連するものは収録した。
『山人論集成』は、柳田國男の中でも山人論の変容が辿れるとともに山人を狼に育てられた子だとする南方熊楠との論争や、山人論として知られる『山の人生』も雑誌掲載バージョンを収録してある。滝子の母の物語の下地となった田山花袋の小説など、柳田の盟友・花袋の山人についての小説も収録してある。
『神隠し・隠れ里』の方も『北神伝綺 妹の力』で何故、滝子が大木に吊るされているかがわかるエッセイや、折口が『遠野物語』との出会いを歌った詩も含まれる。
これにぼくとしては、『折口信夫貴種流離譚論集』と、先の小泉八雲の偽書『一異端者への手紙』をさらなる「種本」として刊行したいところではあるが、まあ無理だろう。
以上、蛇足だが、小説とまんがの関係、小説同士の関係について読者諸氏から問い合わせも少なからずあったのでお答えしておく。
「続き」については何のあてもないが、ぼくの頭の中では木島も北神も甘粕も日米開戦前後の上海に既にいる、とだけ記しておく。
留守番中の根津と春洋の動向も無論、気になる。
偽史三部作一覧
コミックス『北神伝綺 上』(2004年、KADOKAWA)
コミックス『北神伝綺 下』(2004年、KADOKAWA)
コミックス『八雲百怪 (1)』(2009年、KADOKAWA)
コミックス『八雲百怪 (2)』(2009年、KADOKAWA)
コミックス『木島日記 上』(2009年、KADOKAWA)
コミックス『木島日記 中』(2009年、KADOKAWA)
コミックス『木島日記 下』(2009年、KADOKAWA)
小説『木島日記』(2017年、KADOKAWA)
小説『木島日記 乞丐相』(2017年、KADOKAWA)
小説『木島日記 もどき開口』(2017年、KADOKAWA)
コミックス『八雲百怪 (3)』(2017年、KADOKAWA)
コミックス『八雲百怪 (4)』(2017年、KADOKAWA)
コミックス『八雲百怪 (5)』(2021年、KADOKAWA)
小説『木島日記 うつろ舟』(2022年、星海社)
〈刊行予定〉
小説『北神伝綺』(星海社、2022)
小説『北神伝綺 妹の力』(星海社、2022)