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2017年10月27日 13:00

大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(2/4)

【聞き手】 碇本学
【提供・制作】 大塚八坂堂

・「人文的な知」と「工学的な知」をブリッジする共通言語がないために起きるディスコミュニケーション

---- 川上量生さんについては第3章『「教養」は工学化されるのか』から取り上げられています。

大塚 角川四代っていうのが星海社からのリクエストだったから。

---- そうなんですか。

大塚 うん、太田くんが川上について書いて欲しいみたいでさ。川上についての章が彼の一番のおすすめだそうです。

---- この中で大塚さんのワークショップ用の絵本『きみはひとりでどこかにいく』についての話があって、川上さんは「解」を出すと書かれていました。解答というのは工学の話ですよね。彼は絵本に自分で何かを付け足しで描くというのがどういうことかわかっているのかわかっていないかは僕らにはわからないですが、答えを出すということでした。

大塚 何年か前、『きみはひとりでどこかにいく』っていう絵本のワークショップをドワンゴの新入社員研修でガチでやったんだよね。本当に新入社員たちにやらせて、未だに映像がニコニコのアーカイブを探っていけば出てくるはず。川上がこの絵本見せているくだりとか、削除しない限りはたぶんあるはずなんだけど。残っているっていう前提で今回書いたんだけどね。

---- では、研修の時に川上さんが絵本に描いた話について聞かせてください。

大塚 このワークショップは次々と変わっていく風景の中に自分自身を描いていくんだよね。で、山があったり谷があったりするんだけど彼は長い足のキャラクターを描いてなんでもかんでも一跨ぎにしたり、彼の足の下にいれていくというキャラクターを描いていた。あるページでは彼が描いた足を大きく広げたキャラクターの足の下に、当時川上が出入りし始めていたジブリの鈴木敏夫が冗談でジブリキャラクターを描いている。本になってもそこは版権の問題とかうるさいからモザイクみたいにして載せないけど。

---- これは経営拡大とか野心とかに見えなくもないですが?

大塚 後から見るとね。彼からするとこれが野心という言葉が心情からは違うとしても、だけど何か彼のビジネスをある種反映してると普通、思う。それは自己表現とかかったる言葉は嫌いだけど、結局描いたものが描いた人間の何かが表れるっていうのは一般的な理解でしょ、いわば文系的な。だから、ずっとあと、去年かな、そうなのかねえって話をしたら違うと彼は言った。
表現とは違うってことで長い大きな山がある、あるいは谷があるという一個一個の状況に一番オールマイティに対応できるキャラクターなんだという「答え」を自分は出した。そういうわけです。それはちょっと面白いなっていうか。

---- それが工学知というか。

大塚 そう、工学的っていうか。与えられた条件の中から最適の回答を出すっていうやり方なんだよね。この絵本って、一般的には自分自身を投影せざるをえなくなる。投影させられるってわかるから人によっては抵抗してフェイクのものを描くって反応になるわけよ。あるいは、カウンセリング効果で不安神経症が改善しちゃう。でも、「解」を求めたっていうのが初めての僕の驚きでさ。
二千人ぐらいの人たちにこれをやったんだよね。そのうちの半数以上にはやった後にヒアリングしたわけです。なんでこういうものを描いたのかって、そうすると川上みたいな「答え」は初めてだったんだよね。

---- 他にはいないものなんですか?

大塚 うん、いない。自分の気持ちが見られそうで嫌だったからとかね、ともかく自分の気持ちや内的なものとの関係と向き合わされるからね。だから川上の説明は面白かったし興味深かった。

---- そこはすごく彼のキャラクターのわかりやすさにもなってますよね。

大塚 その前にはネットでちょっと騒ぎになった、NHKで放送した川上、宮崎さんに叱られる事件があった。

---- でも、怒られに行ってるわけですよね?

大塚 いや、ジブリに川上が叱られに行ってるってのは、それはぼくの解釈。その時になんで怒られたのかっていう問題もネットの反応を見ていると伝わってないんだなっていうか。

---- ここには書かれていることですが。

大塚 川上はけっこう単純に考えてて、AI(人工知能)がもたらすキャラクターは何かっていう問いの「解」を求めた。あのキャラクターっていうのはAIのキャラクターが一つの最適な形っていう問題の解に過ぎないわけでしょ。

---- 頭で歩けば早いよっていう。

大塚 そう。でも宮崎さんからするとどんなキャラクターでも人間というものの反映だから、そこに表現される人間のなにものかかがある。それが障碍のある人への侮蔑的なものになってしまうリスクだってあるのではないのか?っていうまさに文系的な怒りです。宮崎さんの人文的な知と川上の工学的な知のあり方があって、ぶつかり合ってしまった。

---- 非常に噛み合わなかったという。

大塚 それが結局、川上と僕との間にあったディスコミュニケーションや、川上と宮崎さんの間にあったディスコミュニケーションの一つの原因なんだけど。それが僕と彼、宮崎さんと彼の単独の問題ではなくて世の中全体がこういうディスコミュニケーションの中に今あるんだよねっていうことがこの本では言いたい。

---- それは人文知的ものと工学知的なものの噛み合わなさについての話ですね。

大塚 情報系のサイトのやつらと仕事やってると最後にケンカになるっていうのは、それは文系の出版社とケンカになるのとは違うんだよね。出版社とケンカになるのはだいたい情念や思想のぶつかり合いや倫理観のぶつかり合いで最後ケンカになるんだけども、ネットの会社は言葉が通じていないっていうか。宇宙人と仕事できねーよっていう。
中国人の方が全然話が通じる。

---- 考え方の違いなんですね。大塚さんは「人文的な知」と「工学的な知」をブリッジする言語、繋ぐための言語や知性が必要だ、と書かれてます。それが共通言語であるのだけど今はそれが不成立だと。

大塚 川上が「教養」とは共通言語だと言いかたをしているけど、彼の定義に従うなら今は「人文知」「工学知」「webの内側」「リアル」間の共通言語がないわけであって、川上にいわせれば、『北斗の拳』はネットの上では共通言語にはなってるかもしれないけど、ネットっていうのは基本的に工学的な知や思考みたいな方向にバイアスがかかる。だからそれはさっき言ったようなツイッターやってるうちに自分自身がマーケティングを始めてしまうみたいな。マーケティングっていうのは工学的な知だからね。自分をどうやって売るのかとか。

---- そこには情念がないんでしょうか。

大塚 情念というか、理屈を超えたものみたいなは入ってこない。理屈を超えても表現したい、表現しなきゃいけないものではなくてユーザーがどういう風に「いいね」をつけるのかっていう数字に反映されるものを優先するわけでしょ。「感情」はあっても「いいね!」に数値化されてしまう。そういうネットにおける工学的な思考を強いていって作られている言葉があって、そうじゃないものとのディスコミュニケーションみたいなものが生まれている。左翼なんてものはさ、基本的に理念とか情念の人たちだから、ネット上の人たちと言葉が乖離するのは決まってるんだよ。

---- それはどうしても無理ですね。

大塚 庵野のかつてのエヴァだって最後は理屈じゃなくて動いちゃったみたいな部分があったから一定の支持を集めているわけでしょ。でも、たぶん言葉が通じないっていう実感そのものがネット側にはないだろうなって気はする。

---- 確かにネットの側の方は工学化しているのがすでに当たり前になっています。

大塚 それ以外のものはそれこそ排除されているわけだから。

---- そうですよね、自分でマーケティングしてそういう風になっているので排除されていることにすらも気づけない。

大塚 排除してしまった後の言語空間にいるから、自分たちが工学的な知の中で思考したり生きていることが見えなくなっている。でも、そうじゃない人文知や「教養」というのは難しい言葉っていうことではなくてね、思考方法や体系だとかがもう一個別にあるよってことです。

---- 最後の方に出てきますが、柳田が言った言葉で、「非言語的な「世界」が「民俗」であり、「民俗」とは見えない形で人々の思考の枠組や行動規範となっている「何か」の総体、「誰でも知っている」もの。「民俗」とは「教養」である」というようなものがあります。その「教養」がバラバラになってしまっているので言葉が通じないのでしょうか?

大塚 通じないから単純に相手に対しては、ヘイトの言葉だとかさっき言った排除だとか。
相手を理解したり対話する言語ではなく「反日」や「非国民」とか、一言で排除することばだけは氾濫している。

---- あるいはそのこと自体をなかったことにする。

大塚 そう。そういう形で言わば分断みたいなものが見えなくなっている。対話せず、ヘイトすることに替えていくみたいなね。

---- だからこそ、今は工学知的なものになっているので人文知がそれに対するカウンターカルチャーになるしかないっていうことなんでしょうか?

大塚 人文知的なものとか人文科学みたいなものにも問題があってさ、安倍政権になってから国立の研究機関とか人文系の研究費がめちゃくちゃ減らされているし、文学部を観光学科とかにして地元の観光を説明できるような奴らを作った方がいいじゃんっていう感じになっている。そういう形でさ、文化系の危機っていうやつらもいるわけよ。そこはそこで若干の違和感がある。人文科学みたいなものが社会との関わりみたいなものをずっとばっくれてきたことも事実なんだよ。10年、20年、100年のスパンの中で「役立つ」研究をしている人もいっぱいいるのね。でも、はっきり言うと明らかに無駄な研究をしている人も山ほどいるわけよ。

---- それは工学知的には排除されていく流れですよね。

大塚 そういう人たちがいま「人文の危機」とか騒いでいることがね、つまり人文科学の既得権みたいなものを守りたいと言ってるだけの話であって、そんなものは死んでしまえとは思うけどね。
それとは別に、人文科学的な思考というものっていうのかな、工学知と対峙し対話する人文知は復興させないと。川上が求めてるのは「ラプラスの方程式」じゃないかって書いてるんだけど、すごくシンプルに世界をわりきって考えられるみたいなものが彼の求めるものであり、おそらくネット上の人たちが求めるものでしょ。
ツイッターの140字の中で世界が説明できたらどんなにいいのにって思うわけでしょ。だけども世界の説明には山ほどの言葉の積み重ねをしてもまだ足りないって思うのが人文科学でしょ。それ、世の中に向けて、堂々とやらないと。柳田が言うところの世の中の役に立つ学問っていうのは、人々が世の中を理解するためのツールとしての学問を提供するって考え方だけどさ、それが人文科学はできていないわけ。手間ひまかけて世界を理解するって、面倒な事を嫌われてもいう。

---- 公共的な教養になっていない。それは常民である僕たちが更新していくしかないんでしょうか?

大塚 まあ、学者に任せる必要もない。そういった文化を蓄積していく、言葉を作っていくツールとしてのウェブは可能性があったわけだけど、使わなかった方が悪いんだよね。

・工学知に対するカウンターカルチャーとしての人文知

---- 柳田にとっての「教養」とは社会について自ら調べ、考え、協議していく大衆、普通選挙の担い手としての選挙民を自分の学問で育成する、という考え方でした。

大塚 柳田としてはパブリックなものを作っていく最終手続きとしては選挙しかない。だから選挙の時、自分で考えるバックボーンを個々人が持つべきであって、群れとして行動しちゃダメですよ、そうすると近代にならないよって言っていたわけです。

---- しかし、みんな群れてしまうという。

大塚 相変わらず群れる先を探している。政治家たちが群れる先を探して右往左往している姿を笑いながら、笑っている人たちもつまり今回の状況に対してどういう風に群れるかポジション取りをしているでしょ。
希望を叩いた方がいいのか共産を叩いた方が空気に乗れるのか立憲に乗った方がいいのか、やっぱり安倍だよねっていう所に収斂していくのかっていう風に、政治家たちを笑いながら、自分たちが収斂していく先を探り合ってるのが醜悪だよね。
柳田國男が生きていたら前原や小池百合子や安倍ではなくて、ネット上にいる人たちに怒り狂って罵倒しまくって炎上したと思う。

---- いま、東さんが今回の選挙は棄権してみたらいいんじゃないかっていう意見を出して炎上してますよね。

大塚 それは違うんじゃない。民主主義システムにいかに問題を指摘しても、そんなものは終わった意味はないと言おうと民主主義や普通選挙にとって替わるシステムは今のところない。もうあとは独裁者に出てきてもらって北朝鮮になるしかないわけでしょ。

---- 言うことを聞くしかなくなってしまう。

大塚 でも、最近はみんなそれがいいって思ってるんじゃない。独裁者が欲しいんだって思うなら正直に言えって。

---- 欲しがってるんですかね? みんな考えるのがめんどくさくなって。

大塚 うん、考えるのがめんどくさいから。北朝鮮がきっと羨ましいんじゃないの。旗振ってれば、いいんだから。

---- 一国のトップについていけば幸せだしっていう。

大塚 でも、中国に行ったら、向こうの方が習近平とか政治家に対する物言いはボロクソだよね。ネットでの飛ばし方とかすごいから、だから規制するんだよ。

---- 実際はそうなんですか?

大塚 うん、言いたい放題。そりゃ、web規制するよ。だって、AIをwebに置いといたらアメリカではヘイト、日本では腐女子化、中国では共産党批判。web上のことばを学習するわけだから、アメリカではトランプみたいなおっさん、日本ではオタク、中国では共産党批判がweb上に溢れているってことになる。
実際、自治体レベルだと気に入らない市長とかがいたらみんなで押しかけて次の日には辞めさせちゃうからね。市長が汚職していて川との修繕費とかきちんと使ってないってことはみんな知ってるわけね、で本当に川とかで洪水が起きて被害が出るとみんなで市長のとこに行って辞めろってみんなで叫びまくって翌日辞めさすぐらいのことはやっている。

---- 日本だとやらないですよね。

大塚 汚職だ派閥だっていうのはどこの国も日本と同じレベルであっちはあっちであるけど、そういうところだけは中国すげえなって思うもん。講演に行った街が洪水の翌日かなんかで市長が今日辞めたっていうのをおっちゃん達がニコニコして言っているのを見たもんね。

---- 辞めるしかない状況に追い込んでいくんですね。

大塚 そういうのがあると共産党の方もマズいんで、市長にお前辞めろって言う。

---- うーむ、日本は独裁者を望んでるんですかね?

大塚 知らん。でも、安倍の悪口を言ってはいけないって言う空気感がネットで満々じゃん。政府批判をすること自体が悪だって感じでしょ、テレビとか見ても。共産党や朝日はいくら罵倒してもいいけど、安倍はだめよって。

---- 以前角川書店にいた見城徹さんが今は幻冬社の社長をしています。Abema TVの見城さんの番組に安倍首相がゲストで出ていたんですが、芸人の水道橋博士さんが見城さんが首相におべっかを使っていて、彼が安倍首相に皆さんに色々言われて大変ですねって感じで言ってるのに対して、大きな出版社の社長がそういうことを言っていてもいいのか、そんなことを言うならもっと未来の若い物書きやライターを大切にするべきだろうってツイートすると鬼のようにネトウヨに絡まれたんです。だから、こんなにも安倍政権を応援するような人がいるんだなって驚いたんですが、それはネットだから可視化されているだけなのかなって思ったりもするんですが。

大塚 「リテラ」で読んだ。炎上に参加するのは2%そこそこなんだって、そいつらが100回ぐらい書いてるんだっていうデータがあるみたいな一方では、それが当然と思うひとも結構いる。それがさっき言ったような分断に関する問題であったりするよね。

---- たまに安倍政権について書いたりすると、安倍さんは海外では評価されてるんですよって書いてくる人がいて、あれ、僕が知ってる世界とはズレているんだなって思うし、これが分断かって思ったりします。

大塚 それはアメリカの一部のロビイスト達に「評価」されているのであって、海外の中に当然、東アジアやヨーロッパも入るし、そこではどっちかというと失笑されていることも多々ある。それはニューヨクタイムズでも何でもいいけど、webで海外の新聞やニュースサイトに行って、グーグルで翻訳でぐちゃぐちゃな日本語で読めるわけじゃない。そういうのを読んでいると安倍さん礼賛じゃない記事ばっかりだってわかるはずなんだけどね。

---- そこを絶対に見てないですよね。

大塚 ネットがあらゆる知を検索できるようにして、人々がもっと賢くなるはずだったのにさ、なってないのはなんでかって言うと使う方の問題じゃんっていう。結局、最後は柳田國男の問題に帰ってきてしまう。さっきから言っている二つの言語の解離をどうするかっていうときに工学的な考えと人文学的な考えの解離に気がついて、ある種の共通言語みたいなものを作っていくしかないんだよね。

---- それって自然にはできないんですよね、誰かが作らないと。

大塚 解離しているっていうことを理解して、あとはコミュニケーションしようとする努力をしていく。川上の絵本のことを書いたときに星海社の太田くんも君もわかりやすかったと言うし、「違い」は、説明はできる。まあ、ケーススタディに勝手にされた川上には迷惑な話だろうけれど。基本的にコミュニケーションってそういうことだよね。説得や論破でなく、「違い」を説明する。
僕が教え子を連れて「世界まんが塾」といっていくつかの国に教え子を置き去りにして帰ってきてるけど、みんな誤解しているのは、日本のまんがを外国人が愛してくれているから彼らが中国とかフランスとかで簡単に先生になれたわけじゃないってこと。教え子たちは、日本のまんがの文法みたいなものとその国の漫画の文法みたいなものの「違い」やその背後にあるそれぞれの文化の「違い」みたいなものを認識した上でどうやって両者の間を乗り越えていくかっていうスキルを4、5年で鍛え上げられた子たちだから教えられるんだよ。
確かに海外の学校でまんがを教えてますって日本人はたくさんいるけどそれは専門学校とかで教えているような教科書を持っていって教えているだけで、聞いている生徒も、日本の萌えだオタクだワーイぐらいな感じで何も通じていない。
少なくとも僕の教え子だった連中はそうではなくて文化と文化の乗り越え方について叩き込んでいる子たちなので、中国語やフランス語は話せないけど、文化間の共通言語を持っている。すると、日本語と外国語の壁なんか向こうが勝手に通訳つけてくれる。それをやってる子たちは、まんがの先生なのに普通に卒論指導して、次々と研究者を作っていったりとかね。例えば中国に行った奴は勉強なんかできないけど、まんがの描き方は北京できちんと教えていて、彼が教えている学生たちはエリートだからさ、彼のゼミの子たちは10年経ったら、対日政策や対日貿易の会社だとか、巨大ネット産業の中に入り込んでいったりして日中関係のキーパーソンになっていく連中なわけよ。

---- 大塚さんが前にも言われていて、今回も書かれていることですが中曽根元首相と梅原猛が考えた日文研のことに通じてますね。

大塚 僕がいるところね。異文化間で対話出来る教養を政治家に提供する、そういう人材つくるっていう目的で最初は作られたみたいだから、そこが本来やらないといけないことなんだけどね。でも、やんなかったことだけど。

---- 安倍がバカなのは日文研のせいだって。

大塚 そう思うよ。

---- そういうことを大塚さん自体はされていますが。

大塚 政治家は知らんけど、さっき行った、海外でまんがを教える子らがまさにそうだよ。
いつもいうけど、僕らは、抗日デモ翌日の北京とか、テロ直後のパリのイスラムのコミュニティーとか、宗教派の台頭で世俗派がひどく生きにくそうなエルサレムや、北朝鮮やチベットが彼方に目視できる場所で、まんがの描き方教えるって、対話以外の何ものでもないでしょう。
「まんが」「オタク」っていうだけで、行けない場所に行ける。それに、僕らだけが海外に行ってそういうことをやっているわけではなくて、そういうことをやってる人は世界中に本当にたくさんいる。メキシコに行ってもフランスに行ってもドイツに行ってもイスラエルに行ってもいるわけ。その人たちの目の見えない活動がかろうじて日本といろんな国との関係を持たせている部分がある。

---- そのことで日本の文化が何か渡れるってことになっているんですよね。

大塚 日中関係がこれだけ酷くなっても、それで関係を繋ぐ努力をしている人が中国に何人もいるからで、そういう日本人が。官僚でも企業であってもその人たちが細い糸になって繋がっていることが実はギリギリの、それこそみんなが大好きな「安全保障」ってことに繋がっていく。

---- そういうコミュニケーションができる人たちがいるっていう。

大塚 そういうルートや作法を維持している。

---- ただ、今そのコミュニケーションができていないっていう。

大塚 コミュニケーションができていないっていう意識が今はないでしょ。中国との間にあるのはネットでぶつかり合っているヘイトでしょ、日韓もそうでしょ。

---- そこには嫌悪しかないですね。

大塚 コミュニケーションしようとしない。することが悪だっていう感じじゃない。

---- コミュニケーションすらしなくなって言葉も通じないという分断をすごく感じますが、でも多くの人には分断って意識はないんでしょうか?

大塚 まあ、分断って言いながらみんな論じるだけでしょ。

---- そうですね、動かないですもんね。

大塚 行きゃあいいんだよ、中国にでも韓国にでも、何なら、イスラムのコミュニティーにでも。別に外国に行かなくても、現実や対話する相手なんてどこにも転がってるじゃない。
東浩紀が論じるだけの人だったのに子供ができて地震の後に良くも悪くも行動する人になった。香山リカも気がついたら沖縄の普天間で座り込んでるとかさ、そういうことなんじゃないの。結局さ、その一個一個の行動が役に立つ、立たないとかの自分の行動のコスパを求めるでしょ。いちいちコスパを計算して行動しても仕方ないでしょっていう。
そもそもコスパっていう言葉が工学的な言葉だからね。

---- 確かにみんなそう考えちゃってますね。

大塚 投票しても政治が変わらないから行かないっていうのも「コスパ」だし、自民党に投票した方が憲法がどう変わろうが少なくともあと10、20年後には赤字がどうなろうが現時点で自分たちの就職先や企業の経営がいいから保証されるっていう「コスパ」も優先される。

---- 若い世代になればなるほどにそうなってるかもしれないですね。今だと大学生が自民党はリベラルっていう考え方になってますし。

大塚 っていうか、昔のサヨクの「革新」と同じ。だから自民党用語、ネトウヨ用語って昔の市民運動や左翼用語が多いんだよ。思考回路も似ている。「革命」だとか、「動員」したり「偏向報道」って騒いだり、どこのサヨクだよって思うよ、自民党の取り巻き見ていて。第一、安倍政権ってめちゃくちゃ「大きな政府」だからリベラルってことに確かになる。

---- そういう見方もあるのかもしれませんね。

大塚 話を戻すと、あらゆることにそういうコスパを期待する。コスパで行動する。あるいは評価とコスパが一体になってるでしょ。

---- それがコミュニケーション不全になっている要因かもしれないですね。

大塚 言葉が乖離している問題を一つ立論していくことでできることがたくさんあるんだけどね。だから人文的な知に対して経済効率が短期的に要求されるというのはそういう人文的な知の、工学化ことを求めているわけでしょ。そのこと自体に単純に反発しているだけじゃダメで、一方では人文知が社会にどうやってコミットしていくのかっていうところに関しては、人文の側は答えようとしない。逃げてきているわけだから。

---- あとは既得権益を守りたいっていう。

大塚 そう。「工学知」対「人文知」は利権の取り合いって所はある。それはアウト。
一方で、工学的な知の方も社会というものへの関わり方という考えがない。ユーザーとかビッグデータみたいなものとして対象を認識するから、社会というデータで可視化できない枠組みの中で自分たちがなにかをやっていくとか関わっていくということは見えにくい。

---- コミュニケーションができて両方が繋がっていかないとダメですね。。

大塚 コミュニケーションしないと分断が続いていくだけ。これは世代の問題でもあるから、相対的に人文知的な方は年をとった方の知だから最終的に工学知的なものが凌駕していった社会ってどうなるのっていう。どういうディストピアになるのか。
そもそも、ディストピアっていう言葉が一般化しているけどディストピアって工学的な知の果てにあるわけでしょ。ディストピアっていうのはもともと社会主義が出てきたときに、社会主義って実は一つの社会を社会システムとして社会学的工学的に分析するっていう視点だから。そうすると社会が工学的設計として極端に行ってしまったときに社会はどうなるの、例えばジョージ・オーエルの『1984』とかができあがるわけでしょ。だから社会を工学的に見ていくと、ディストピアという考え方も必然的に生まれる。
社会自体が工学的なものに向かうっていうことはディストピア的なものに向かっていくリスクみたいなものが増えるわけだよね。工学知っていうのは対象を分析する知じゃなくて、システム内に因果律で組み込まれるものなんだよ。そこにみんな気がついてないだけで社会学とか人文科学とか社会を外から見て分析するわけでしょ、みんなネットの人たちも分析してるつもりになっているけど、分析するとともに彼らはユーザーの中の人でもあって再帰的に自己言及しているわけ。彼らの一個一個の言葉みたいなものが今度は社会システムみたいなものを作っている。
つまり工学的な思考が分析的な視点から内在的な原理に変わっていっている。そのことが言わば社会みたいなものをどう変えていくのかって立論はないわけです。

---- その視点みたいものが大塚さんが残されたやらないといけないと書かれていることですか?

大塚 うん、それが結局のところ人文科学の仕事じゃないのっていう。

---- カウンターカルチャーになるための人文知ということですね。

大塚 そしてカウンターカルチャーとして工学知とちゃんと明確に対立することね。どこが違うかっていうと川上は「解」を、僕は無意識のうちに内的なものの反映を見る。つまり工学知からすると内面などというありもしないわけで。そこなんかはずいぶん昔に宮台に大塚は対象の内面に必要以上に入りすぎるって言われたことだけど。宮台はあの段階では社会学っていう応用社会学的な工学的なスタンスだったから。

---- 90年代のことですね。

大塚 ブルセラの論争なんか僕はブルセラの少女の内面が傷ついたと言った、でも宮台はあり得ないと。彼女たちはもはやシステムの中で生きているからと。10年ぐらい経って彼はフィールドワークの人でもあるからフィールドワークで元ブルセラの女の子たちと会ったら「私たち傷ついていた」って言われたんだよね。

---- 内面あったじゃんっていう。

大塚 それで自分は間違えたっていうことをなにか書いたらしんだけど。でも、それは勝ち負けの問題ではなくて、まさに宮台は彼のポイントでありフィールドワークでそうやって自分の工学的なところに対して修正を加えていくという人文的な手続きを一方では怠らない人だからそういう結論が導けるんだよね。一方では僕なんかは文学なんかただの商品であるっていう、逆説的な言い方をするわけでしょ。そうすると文学者たちが怒るわけでしょ。

---- まあ、怒りますよね。

大塚 文学は自分たちの内面の反映なんだみたいな。でもぼくが言いたいのは、その内面の反映は特権的なものではないんだよっていう。誰にでもできるんだよっていう。しかも内面の反映はけっこう制度化されてしまっている。みんなカミングアウトしているつもりになっていても同じ言葉を繰り返している。そういうありふれた反論が可能でしょ。
内面が制度化されているっていうことはAIによって証明されてしまう。ディープランニングでAIを一個置いておけば、言わば内面を持ち始めてしまう。さっき言った「りんな」にしたって共産党批判を始めた中国のAIにしてもアメリカでヘイトスピーチをしたAIだって、ネットの人々レベルの内面を言葉の上では持ってしまう。それと人間の内面はどう違うのかっていう答えは出ていないでしょ。AIの人たちと話していくとディープランニングで学習していくAIの中で、つまりプログラミングの中でなにが起きているのか彼らもまだわからない。

---- わからないんですね?

大塚 わからないって。だったら人の心がわかんないのと同じじゃん。ということはそこに今度共通の問いがあるわけ。「りんな」が勝手に学んだものと私たちが「文学」だと信じてきたなにものかが同じように未知の何ものかの表出なのかって、AIの研究者と文学者の共通の問いがあると思った瞬間にそこにコミュニケーションして一緒になにかをやっていこうという態度が生まれてくるんだよ。

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『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』
著者:大塚英志 
ISBN:978-4-06-510553-5
発売日:2017年10月25日
定価:1000円(税別)
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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(3/4)に続く】