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2017年10月28日 13:00

大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(3/4)

【聞き手】 碇本学
【提供・制作】 大塚八坂堂

・大正アヴァンギャルドとミッキーの書式

---- それでは続いて『まんがでわかるまんがの歴史』について聞かせてください。以前から大塚さんは「鳥獣戯画」はまんがの起源ではないと言われていますが、この本はそこから始まります。

大塚 だって、違うし。

---- ええ、最初はキャラクターの組み合わせ方である「ミッキーの書式」などについて書かれています。

大塚 基本的にキャラクターの成り立ちや歴史的な背景に関してだね。

---- 妖怪というのは江戸時代に生まれたキャラクターというところや読んでいて一番驚いたのは『のらくろ』を描いた田河水泡がアヴァンギャルドの前衛芸術家だというところでした。

大塚 江戸時代の話と明治時代の話があるけど基本的に主軸は大正アヴァンギャルドの終結から太平洋戦争の終結の期間だからだいたい二十年間ぐらい。現在のまんがやアニメーションの基本的な枠組だとか美学みたいなものや方法みたいなものが、マーケティング技術を含めてできあがったんだよっていう話です。

---- 君たちの好きなまんがやアニメは戦時下にできたんだよっていうことですよね。

大塚 大正アヴァンギャルドっていう文脈が一個あって、そこにディズニーが入ってきて両者が結合してプロパガンダとして使われていくことによって様々なものができあがっていきました。それらが現代のまんがの基本です。

---- みんなは知りたくないだろうけど、そういうことが君たちの好きなものの誕生の背景にあるんだよっていういつもの大塚さんのスタンスですよね。

大塚 それは歴史なんで、歴史は知らなきゃいけないでしょって。

---- 途中で出てきますがまんがは最初からアートだったという話もありました。

大塚 ええ、それは散々言ってきたことだけどね。

---- わりとみんなそのことに気づいていなかったり知らなかったりします。

大塚 本に書いていることを繰り返すことになるかもしれないけど、君が驚いたっていう田河水泡は高見沢路直っていう村山知義たちと一緒に「大正期新興美術運動」=「大正アヴァンギャルド」で活躍した前衛美術家だったわけだよね。
 よく言う例えだけど身体中を白く塗ってパンツ一枚でわけのわかんない踊りをするっていうのがアートなんだよっていうのを最初にやった人たちなんだよ。美術館に石を置いて逃げてくることが芸術なんだよっていうさ。

---- トイレを置いているだけでも芸術だっていうようなことの始まりのようなものですね。

大塚 うん、戦後の1960年代ぐらいだったら今再評価されている赤瀬川原平たちがやっていたハプニングアートみたいなものはとうにやっていたし、ましてや今の現代アートのレベルは彼らが二十歳そこそこでやんちゃな時代に殆ど、やっちゃってることなんだよね。
 問題は大正アヴァンギャルドっていうものが短期的な若気の至りだったということになっていて、それがそのあとソビエトの方針が変わってプロレタリア芸術の方にみんな行っちゃうんだけど、実際は大衆レベルでアヴァンギャルドの「その感じ」ってのは生き延びていったわけです。
 大正アヴァンギャルドのメンバーだった高見沢路直が構成主義とか機械芸術論とかのちに呼ばれるもの、そういう考え方というものとアメリカから入ってきた大量消費大量生産である機械芸術であるディズニーと統合して『のらくろ』というまんがを描いた。それは田河水泡個人だけではなく昭和5、6年ぐらいから10年間ぐらい日本のまんがの中にディズニーというものを大正アヴァンギャルドの枠組で再構築していくという巨大なうねりのようなものが起きていって、外見的に見るとミッキーマウスのパチモンが大量に登場されてくるってことになる。

---- 「ミッキーの書式」と大塚さんが言われるようなものを内側に組み込んでいくことで日本の漫画のキャラクターの原型になったので、「鳥獣戯画」から派生したものではないということですね。

大塚 言わば「鳥獣戯画」が持っていた書式は大正アヴァンギャルドによって切断されてしまったので、「鳥獣戯画」の書式の延長に今のまんがはないっていうことです。

---- 田河水泡が『のらくろ』を描きますが、のらくろって軍人なんですよね?

大塚 そうだよ、最初は捨て犬でハチワレの足が4本白いっていう不吉なワンちゃんだったんだけど陸軍の駐屯地で拾われるんだよ。

---- 最初から二足歩行ですか?

大塚 最初は四足歩行だった。でも、だんだんとディズニー化していって二足歩行になっていく。

---- のらくろはディズニー化していき、なおかつ軍人化していったことで生身と内面を持つことになりました。

大塚 そう成長しちゃうんだよね。軍人になって階級が上がっていくから結果として成長せざるをえなくなる。そういうことが宿命なのと戦時下のまんがなので最初は犬と猿の軍隊で戦うっていうレベルだったんだけど、昭和12年の日中戦争が始まった時点でリアルな戦場の中国大陸に舞台が移していく。中国とは描いていないけどどう見ても中国大陸でさ、そういう意味でもまんがが現実に合流してしまう。

---- 嫌でものらくろは生身の肉体になっていってしまいました。

大塚 そうディズニーが出会わなかったリアルというものにのらくろは身体のレベルでも、世界観のレベルでも出会わないといけなくなってしまう。

---- そのことが日本のまんがの始まりにまずあるわけですね。

大塚 結果としてのらくろはミッキーみたいな身体だったら普通は高いところから落ちても死なないのに、のらくろは戦場で負傷して単行本一巻分負傷しているという展開になっていったり、挙げ句「思うところがあって」陸軍を去っていったりとかね。

---- すごい内面が出てきてますよね。

大塚 歴史や身体みたいなものを意識した瞬間にそこには個人が出来上がるから、のらくろは個としてのキャラクターを描くみたいな。そこに初めて成功したってことなんだよね。

---- 「正ちゃん」というキャラクターについての話も出てきますが。

大塚 明治以降に子供のキャラクターはいたんだけどそれは子供一般の子供ってこんな感じだよねっていう。大正の小学生だから「正ちゃん」っていう作り方しかしなかったわけだよね。『正ちゃんの冒険』では「正ちゃん」のフルネームってなに、「正ちゃん」の毛糸の帽子は暑くないのとか、なんで大きくならないのって読者の子供からの疑問やツッコミがガンガン入ってきた。子供達がキャラクターのリアリティやリアリズムだとかを絵の水準ではなく内面的な水準や身体的な水準で読者が求めているわけでしょ。そこに作家が追いついてこなかったんだけど、結果として田河水泡はその読者の視線に追いつき得た作家だったということなんだろうね。

---- 田河水泡がミッキーと出会った後でリアルなものと出会っていくという。

大塚 ただ、ミッキーというキャラクターをただ模倣したんじゃなくて、そこにある内面や身体を見出した。それは田河水泡だけではなくて、ミッキーマウスパチモン特集みたいなネタの回があるけど、僕が好きな『ミッキー忠助』っていうのはクロネズミの忠助がミッキーマウスのコスプレをして次のページからミッキーの海賊版になっていって最後のページでベティさんから怒られてコスプレを脱いで僕は自分らしく生きていこうと思うっていう終わり方なんだよね。そこでつまりペルソナを脱いで自我が出てくるみたいなことは当時の作家たちの言わばキャラクターの中に内面を作っていかなきゃねっていうことや内的なことがあるんだとかっていう感覚が当時の海賊版の中にも表現されている。

---- オリジナルを真似る中に自分のアイデンティティを見出していくというか。

大塚 模倣の中からオリジナルを作り出していくっていうね。

---- 大塚さんがずっとまんがや創作について言われていることですよね。

大塚 『しろちび水兵』の中でもタコの墨をかけられた白熊が海の中泳いでいて顔だけ出したら白くなっていて誰がどう見ても顔はミッキーなんだけど墨をかぶった白熊っていう。そういうあたりで自分たちがミッキーの海賊版を作りながら、しかしながらそれを乗り越えようとする一人一人の作家の自覚というのかな、批評性みたいなものは当時のどの海賊版にもあるんだよね。

---- そういう部分が大塚さんが海賊版に興味を持っている一つの理由ですよね。

大塚 そう、文化が移植されるときには絶対海賊版ができるからね。それを知的所有権というものを振りかざした瞬間になにも見えなくなってしまう。

---- 自分の既得権益を守りたいっていう気持ちですよね。『MADARA』も中国や台湾で海賊版が出てましたよね? あの時はセリフが現地の言葉に変わっているだけだったんですか、どこまで変わっていたんでしょう?

大塚 セリフの中の土地が現地名にしてあったりだとかいろいろと勝手に変えているよね。いわゆるローカライズだよね。


・海軍を恫喝して『桃太郎 海の神兵』を作らせた今村太平と神戸の山側で育った早熟な子供だった手塚治虫

---- まんがの中にリアルが入り込んでくるという話からなんですが、1931年の満州事変からの15年戦争がまんがやアニメに与えた影響が大きいっていう話も書かれています。

大塚 大きいですね。国策みたいな文化映画を中心とした子供たちや大衆文化自体が科学的でなければいけない、っていう言い方の中での言わばリアリズムが機械と結びついた機械的リアリズム芸術というものになっていく。

---- アヴァンギャルドからの流れがありますね。

大塚 そう。もっとわかりやすくいったら大正末期の文学は機械的な文学、メカニズムっていうものだったわけよ。そういう思考があってそれが横光利一の『機械』だった。探偵小説の人たちがいう「本格」というのも機械的な文学でこの時期の産物。探偵小説は内面みたいなもの、人生をどう生きるのかっていうテーマではなく、トリックっていうパズルを解くことが答えでしょ。そうすると小説の言語っていうものがロジックの言語になっていく。
 例えば一個の風景を描写するときにその風景を人が内面でどう美しく捉えているかではなくて、風景を描写していく中でなんとなく書かれている1行にトリックのヒントがないといけないのが探偵小説。だから機械的な文学なんだよ。だから、太田くんがつくった「ファウスト」で、本格、新本格のあとにゲームリアリズム的ラノベが出てくるのは当然で、探偵小説の中に工学的小説の水脈があるから。
 話を戻すと、そういうものが萌芽としてあって機械芸術がアヴァンギャルドって呼ばれるようになり国策化のプロパガンダ政策の中核になっていく。文化政策の中で来るべき大戦は科学戦になるから国民を科学化するために科学啓蒙主義みたいなものとの二重構造になっていきながら、文化がそういう意味では工学化していくということが起きるわけです。

---- そうやって完全に工学化されていったんですね。

大塚 工学化の時に決定的な、この本の中ではあまり触れなかったんだけど決定的な影響を与えたのはモンタージュ論っていうエイゼンシュタインの理論だよね。実際には映画的手法と呼ばれるモンタージュの考え方っていうのは戦時下の中で整理されていくものだし、それを使ったアニメーションが『桃太郎 海の神兵』になっている。

---- まんがから物語が消えていったりするのは「科学的合理主義」によるものだと書かれています。

大塚 まあ、フィクションが禁じられるからね。「仮作」、つまりフィクションはいらないと、科学的な読み物にしなさいと教育していく。だから大城のぼるが描いた小熊秀雄原作の『火星探検』というまんがは当時の戦時下の科学啓蒙主義のまんがなんだけどさ、あれなんかを気楽に日本のSFの起源なんだとか戦争中に小熊が戦時体制に負けることなく子供達に夢を与える科学まんがを描いてきたっていう人がいるんだけど、そうではなくて国策の科学主義的啓蒙する最前線に立って軍服を着て原作を押し付けたのが大熊なんだよっていう。

---- それで空想がなくなっていく流れができてしまうわけですね。

大塚 そう、空想を否定していくっていう。

---- そうなると後はリアリズムだけになっていきますよね。

大塚 うん、そこにまんが家たちがいかに抵抗していったかという。その代表が大城のぼるだった。最後は力尽きてストーリーがなくて完全にリアリズムだけになっていき『汽車旅行』を描いて満州に渡って満映(満州映画協会)に身を置くっていうか。

---- 満映に行ったんですか?

大塚 うん、大城が満映でなにをしたのかという細やかな研究はまだこれからだけど、そういう科学啓蒙から逃れていった人の多くは中国の満映に行ってるんだよね。

---- 『木島日記』に出てきそうな話です。

大塚 大城は日本に帰ってくるけど中国に渡ったアニメーターもいて、そのまま日本に帰ってこなくて中国のアニメーションの基礎を作っていたりする。なかなか数奇な運命があるわけだよ。

---- いろんな人達は認めたくない話のような気がします。

大塚 だけども中国ではこういう人たちについてすごい研究は進んでるよ。満映に残った日本人たちがいかに中国映画の基礎を作ったのかっていうことに関してはリスペクトを持ってやっている。そこが日本に伝わっていないというか。懐の深さの違いなんだよ。資料も残っているしね。
 夏に、ぼくは満州引揚者の子だからさ、一回、満州を見なきゃと思って向こうに呼ばれたので行った時に駆け足だったけど資料館だとか見て回ってきた。研究をやろうという気運はすごいものがあるなと思うし、ちゃんと研究されている。でも、いろんな問題点というか資料の整理とか、未整備な部分もあるからきちんとやらないといけないんだけどね。

---- 全然そういう部分は日本と違いますね。

大塚 戦時下の中国における日本のプロパガンダを非難するんじゃなくて学術的にどういう風に冷静に資料を集めて分析していくのかっていう研究は膨大なインフラとしてあるよね。

---- こういうことが起きたということを理論立てるっていう。

大塚 理論立てるというよりも、まず資料をこうやってちゃんと残しておくという姿勢が明確なんだよ。そういう真面目な研究者が事実として、いる。

---- 日本だったら破棄しますからね。

大塚 あんまり詳しく言えないけど今度中国の友達が、戦争中に日本語で書かれた文芸誌が中国や世界、大東亜圏内に作られていたんだけど、それがどういうものなのかも研究はされていてまだ全貌が見えてこないんだけどね、彼が日本では存在を知られていないその中の一つを見つけてきちゃった。その中には井伏鱒二を始める近代文学の作家たちの全集とかに入っていない作品がボロボロと出てきている。彼が日本に紹介したいって言っていて、そのうちニュースになると思うけどある文芸誌で特集されることになると思う。

---- 消えた歴史みたいなものが現実として現れてしまったんですね。

大塚 うん、中国の文系の研究者たちはすべてではないけど、こういうふうに、冷静にいろんなことを検証していくっていうスタンスはちょっと圧倒されるよ。こういうことを書くと親中派とか言われるんだろうけどさ、植民地関係の資料をいじっている連中はかなり冷静でニュートラルだよ。

---- 「15年戦争」時に今村太平が「ディズニーみたいなアニメが日本にないと戦争に負けるぞ」と海軍を恫喝したという話がすごくインパクトがありました。

大塚 まあ、それはぼくの「意訳」だけど、彼はすごく戦略的で実際には『キネマ旬報』の座談会の中で海軍の人がいるときに海軍の人を丸め込んだんだよね。それは映画史の前提がないとわかりにくいけど、日本の軍部っていうのは民間から要請があった、だから私たちは民間の皆さんの要請に従って「かくかくしかじか」のことをしますというアリバイを作るのが基本なの、内務省とかも。
 映画に関してはガンガン国策化していくからさ、型にはめられていくんだけど『キネマ旬報』誌上で関係者がその場合、必ず、座談会に呼ばれる。そこには内務省とか陸軍とか海軍も座っているわけだから、もう黙っていても圧力があるわけ。忖度以外できない。

---- でしょうね、そうなりそうですもんね。

大塚 忖度をしてさ、心にもないことを「かくかくしかじか」の政策が望ましいと言わされてしまう。最後に軍や内務省が「民間の皆様がそうおっしゃるのならば私たちが協力することにはやぶさかでもありません」っていうオチになる。それが『キネ旬』に載ることでこの政策で行くからねっていうことに宣告される仕組みになっているわけです。今村太平はそういう座談会に行って海軍がアニメを作ることにサポートしますっていう風に逆に持って行ってしまうわけ。結局アニメーションは金がなければ作れないからね。

---- 当時は戦争中だったから海軍にスポンサードさせるように持っていったわけですね。

大塚 今村はもともと共産党の「大森事件」で芋づる式に逮捕されちゃうような左翼でしょ。釈放されて転向してからはアニメや記録映画の評論家になるって言っちゃった策士だからさ。彼が愛していたのはエイゼンシュタインとディズニーでその二つが日本で生き延びるならなにをやってもいいっていうような人だったとぼくは思う。だから海軍を逆手にとってそれを補強するようなエッセイを『キネ旬』に発表する。その中にさっき君が言ったような「ディズニーみたいなアニメが日本にないと戦争に負けるぞ」とかそれは敗北に値するみたいなことをしれっと書くわけ。

---- とんでもない策士ですね。

大塚 それで『桃太郎 海の神兵』を作る一個の環境みたいなものを作っていくことに今村は理論面から加担していった。

---- その加担したものを観たのが手塚治虫少年だったわけですよね。

大塚 そう、そうやってアニメーションができて結果としてディズニー型のフォルムのキャラクターがフルアニメーションで動き、マルチプレーンという方法論を使った。尚且つディズニーと決定的に違うのは記録映画の中でエイゼンシュタインの理論から発達してきたモンタージュのカット割りを徹底して多用した。
 特にアニメーションとしてキャラクターの動きではなくてカメラの回り込みで、人物の周りをカメラが回り込んでいくっていうことをアニメーションで再現するっていう思想が違うわけよ。動きではなくてカメラワークをアニメーションで再現するっていうところなんかを手塚治虫が戦争中に観たことを日記にちゃんと書いている。

---- その影響を受けた手塚治虫もそういう風にまんがを描いていくようになります。

大塚 たぶん、手塚さんは戦時下の教養を受け入れた早熟な子供だったからね。要するに兵庫県の宝塚とかその辺のボンボンでしょ。それがけっこう大事で戦争中のあの辺から京都にかけてのいいところのボンボンや学生たちには、今は京阪神アヴァンギャルド、京阪神モダニズムって言いかたをするのね。
 大正末期から戦争中にかけてあの地域にモダニズム文化や教養があったということがだんだんうっすらだけどわかってきているだけど、彼はその中の一人なんだよね。だから横山光輝さんも神戸出身だしそれこそ村上春樹も芦屋でしょ。結局モダニズム的っぽいものを作っていった戦後のサブカルチャーの書き手たちというのは、全部京阪神の人だし京都から大阪を一部飛ばして兵庫の人たちだった。

---- 確かに村上春樹さんも神戸の出身ですね。

大塚 『火垂るの墓』で戦争中ににいちゃんが妹に氷菓子を食わせてあげたいんだけどできなくて通っていく氷屋が氷を落としていく。上を見上げると豪邸みたいなとこの二階の窓が開いていてそこからお嬢様が顔を出して「この辺ぜんぜん変わってへん」っていうシーンがあるんだけど、そのぜんぜん変わってへんと言う神戸だと山側っていうんだけど海側が焦土みたいになって山側はぜんぜん平気なのよ。
 その山側の方に展開していったある文化のようなものがあって、それがモダニズム文化だった。そこにはアヴァンギャルド芸術じゃなくてモダニズム文化とかが大衆的な文化として入っていった。パテベビーっていう手回しの映写機があってそれでミッキーとかポパイのアニメーションをダイジェスト版にしたフィルムが普及していたというものがあったりしたのね。当時の日本だと一種の教養があの辺の人たちにはあった。そういう宝塚のボンボンが手塚さんだったわけ。

---- そこはかなり大事な所ですよね。

大塚 お父さんも写真をいじくる人だったしさ。彼自身がそういう環境の中で早熟な子供だったから映画雑誌の理論なんかを読んでいなかったらわからないようなことを彼は日記に書いているわけだよね。

---- それを『桃太郎 海の神兵』に見出したってことですよね。

大塚 そうやって彼の中にあったバラバラなもの、戦時下のアヴァンギャルド的な教養みたいなものが『桃太郎 海の神兵』を観た瞬間にああこうなんだって、こうすればいいんだっていうことが一気に起こったんじゃないかな。『桃太郎 海の神兵』を観た後で僕がいつも問題にするけど『勝利の日まで』を描いたんだよね。その最後の9コマの中で1カットが洗練された1コマとしてのカメラアングルやショットとして作られているという構成になっている。
 『桃太郎 海の神兵』が婉曲に表現した戦場で死ぬキャラクターがいるでしょ。3匹の動物が戦闘機に乗って偵察に行って帰ってきたら2匹になっていたという。一説によると嘘か本当かはわからないけど銃撃で死ぬシーンがあったけど検閲でカットされた。明らかにそうやって匂わされた「身体」というものを、手塚は感じ取った。だから、銃弾でキャラクターが死ぬというシークエンスを描いた。

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『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』
著者:大塚英志 
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大塚英志インタビュー 工学知と人文知:新著『日本がバカだから戦争に負けた』&『まんがでわかるまんがの歴史』をめぐって(4/4)に続く】